10.不惑女と紅い薔薇 ☆
それから二人は他愛のない話で親睦を深めた。
どこそこのパスタが美味しいだの、都内に有名なシェフが店を開いただの、本当に他愛もない話題だ。
しかし親睦を深めたといっても、真宮には紗麻里がどこか一線を引いているように感じられた。
話を振っても紗麻里はそれ以上広げることはせず、ただ相槌を打つだけなのだ。
初対面であればそれも当たり前のことかもしれないが、真宮には紗麻里がわざとそうしているように見えた。
「……紗麻里さん」
「はい」
「僕の話、つまらないですか?」
「え?」
紗麻里が初めて笑みを崩して真宮を見た。
「すみません、なんだかつまらなそうに見えて」
「……申し訳ありません。気分を害されたのなら謝ります」
「いえ。そんなことは」
それからしばらく沈黙が続いた。
紗麻里は伏し目がちに手元を見ている。どうしたものかと考えあぐねているようだ。
そして、意を決したかのように言った。
「……やっぱり、見合い相手である真一郎さんには伝えておかなければなりませんね。実は私、懇意にしているお方がいるんです」
沙麻里はその場で三つ指を突き、深々と真宮にお辞儀をした。
「ここまで来ていただいたのに、申し訳ございません……」
見合いの場にそぐわない、しかも相手をないがしろにしている告白に、紗麻里は罵声を浴びせられると覚悟したが意外にも真宮は平然としていた。
「そうでしたか」
「……怒らないのですか?」
「どうして?」
「だって……ここまで来て私に他に好きな人がいると言われたら誰だって……」
真宮は笑った。
「怒りませんよ。怒る理由がない。僕にも好きな人がいますから」
「え?」
「……この見合いを後押ししてくれた女性です」
紗麻里は眉を寄せて首を傾げた。
「見合いを後押ししてくれた女性?」
「その女性は、僕と同じく不器用な人でね。自分の感情を押し殺しながら生きている。自分のことよりも相手のことを第一に考えてしまうんだよ。でもお酒が入るととたんに本音をさらけ出すおかしな人だ」
「お酒が入ると?」
「その場で僕は『野良犬以下だ』と生まれて初めて言われたよ」
「ふふ。それはまた」
お嬢様育ちの紗麻里には理解できない言葉に、自然と笑みが浮かぶ。
「ずいぶん個性的な方でいらっしゃいますのね」
「でも、そのおかげでその女性に少し興味が出てきてね。僕にきつく言ってくるのは父くらいしかいなかったから」
「それがやがて恋になったのですね」
「まあ、一番の理由は別にあるんだけどね」
忘れたくても忘れられなかった過去の恋人エリス。
彼女とエリスが重なり合った時、真宮は初めて自分の気持ちに気が付いた。
今でははっきりとそれを感じ取ることが出来る。
「それよりも、君はどうなんだい?」
「私も……専属の運転手の彼と……その……良い仲になりまして……」
少し恥ずかしがるところが可愛らしいと真宮は思った。
いくら完璧すぎるほどの社長令嬢とはいっても、自分よりも一回りも年下なのだ。
婚約相手というよりも、妹のような感覚に近かった。実際、彼に妹はいないが。
「お互い、進展するといいですね」
「ええ。そうですね」
この時、紗麻里は心からの笑顔を見せたのだった。
◇◆◇
「断る? 結婚を断るというのか?」
父の言葉に、真宮は「はい」と答えた。
帰りの車の中。
運転手もプライバシーには関与しないのが鉄則だが、それでも気になって後部座席にいる二人をチラチラ見ている。
「どうしてだ?」
「ああ、カクヨとの関係が壊れるのを危惧しているのなら心配いりません。紗麻里さんとは良好な関係を築けました。今後ともに手を取り合いましょうとも約束してくれましたし」
「……ではなぜ?」
「実は父さんには、十数年前から言ってなかったことがあります」
真宮は父に、エリスについてポツリポツリと話し始めた。
ドイツに赴任してエリスという女性とひょんなことから同棲を始めたこと。
それからすぐに恋に落ちたこと。
けれども彼女は大富豪の娘で、親の決めた婚約相手に嫁ぐため自分のもとを離れて行ったこと。
それがトラウマとなり、今までずっと苦しんでいたこと。
赤裸々に語る真宮の言葉に、父は深くため息をついた。
「どうして早く言ってくれなんだ」
「すみません。すべては僕の不徳の致すところです」
「お前に責任はあるまい。でも、望んだ相手と結ばれないのは不憫だよな」
「そこで父さんにお願いがあります」
「なんだ」
「結婚相手は僕自身で決めさせてください」
今だからこそ言える言葉だった。
父はさらに大きく息を吐いた。
「……お前の人生だ。好きにせい」
真宮は深々と頭を下げたのだった。
◇◆◇
翌日。
美來は朝早くに出社したにも関わらず秘書室でボーっと天井を見上げていた。
(専務は見合い相手とどうなったのだろう)
うまくいったのだろうか。
それともダメだったのだろうか。
うまくいっていたとすればどこまでいったのか。
もしや式の日取りまで決まってしまったのでは。
考えれば考えるほどモヤモヤして、美來は頭を振った。
「おはよう、小山さん。今日は早いんですね」
なな美が出社してきて美來は立ち上がって挨拶をする。
「おはようございます。ちょっと早く来てしまいました」
「もしかして専務のこと?」
「え?」
「お見合い、昨日でしたものね」
「え、ええ」
適当に相槌を打ったものの、なな美は意味深な笑みを浮かべて美來に言った。
「心配?」
「え?」
「うまくいったかどうか」
「ど、どうしてですか?」
「顔に書いてあるもの」
ドキッとする美來に、なな美は笑った。
「ふふ、わかりやすい人ね。そんなに心配なら『行かないで』って言えばよかったのに」
「そ、そうですね……」
「あら。認めちゃってる」
「あ……」
美來は慌てて口を閉ざすも、時すでに遅し。
なな美は「やっぱりね」と笑った。
けれども美來は言えなかった。
まさか自分から「見合いに行ってください」と進言したなどと。
真宮の幸せを思うならば、それが最善のことだと思ったなどと。
その後、真宮が見合いを決意したことで自身の想いに気付いてしまった。
取り返しのつかないことをしてしまったと思う。
でもどうしようもないではないか。
相手はあのカクヨの令嬢なのだ。
生まれながらのお嬢様なのだ。
どう転んでも勝てるはずがない。
思えば思うほどみじめになってくる。
泣きたくなってきて、美來は唇を噛み俯いた。
「おはよう」
その時、真宮の声がした。
美來は飛び上がらんばかりに驚いた。
今、まさしく胸に想っていた相手だ。
意識するほどに息苦しい。
「おはようございます専務」
「お、おはようございます……」
挨拶しつつ顔を上げると、真宮の手には花束が握られていることに気が付いた。
それは見事な真紅の薔薇の花束だ。
(ああ、きっと見合い相手からもらった花束ね。うまくいったんだわ)
美來は愕然と膝から崩れ落ちそうになるのを懸命にこらえた。
なな美はそんな美來をフォローしようと、すぐに仕事の話を始めようとした。
が、真宮は待ったをかけた。
「二人とも、聞いて欲しい。大事な話だ」
「はい、なんでしょう」
美來は怖くて返事ができない。
代わりになな美が答えた。
「昨日の見合いなんだが、破談になった」
「え……?」
ポカンとなな美が返事をする。
美來も「は?」と間抜けな声をあげた。
「ただし、会社同士の関係は今以上に強固になる。今度、カクヨとの共同開発をすることになった」
「……それはつまり?」
「血縁関係となるわけではないが、まあ、業務提携だな」
「業務提携……」
「ということで、今以上に忙しくなるぞ。二人とも、よろしく頼む」
「は、はい」
何が何やらわからない美來となな美は、言われるがままに返事をした。
「それと小山くん」
「は、はい」
真宮は美來に持っていた花束を差し出した。
「僕の気持ちだ。受け取って欲しい」
「……これは?」
「今更だけど気づいたんだ。僕の好きな人は君だってことにね」
「専務……」
「どうか僕と結婚を前提に付き合って欲しい」
なな美は口をパクパクさせて真宮を見ている。
美來は困惑した。
「専務……エリスさんのことは」
「君が『過去』にしてくれたよ」
「けれど……」
一介の庶民の自分がリヒトの御曹司に求婚されるなど考えてもみないことであり、受けたら先に問題が山積みなのは目に見えている。
しかし、真宮はいつもと変わらない笑顔を美來に向けている。
「どうかな?」
「……私でよろしいんですか? ただの40歳のオバサンでしかない私で」
「君だからいいんだよ」
それは実直な、頼もしい言葉だった。
美來は紅い薔薇の花束を受け取ると
「ぜひ」
と頷いた。
真宮の爽やかな笑顔が映るその瞳にはキラリと涙が光っていた。
了
本作は、たこす様と香月よう子によるリレー形式のコラボ作品で、長岡更紗さま主催「ワケアリ不惑女の新恋」企画参加作品でした。
作中挿絵は、汐の音さまに描いて頂きました。
お読み頂き、本当にどうもありがとうございました!(^^)
尚、たこす様が書かれた真宮とエリスの恋物語
【真一郎とエリス〜純愛・サイドストーリー〜】
もどうぞよろしくお願いします。↓
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