1.エレガントな紳士 ☆
「ハンカチ落としましたよ」
駅の改札で声をかけてきたのは、高級そうなスーツに身を包んだスタイリッシュな男だった。
ほっそりとした頬にさらさらの黒髪、整った眉に優しそうな瞳。
さぞや女にモテるだろうと思えるような顔立ちでにこやかに微笑んでいる。
履きつぶしたパンプスによれよれのスーツを着た小山美來は「どうも……」と言いながらハンカチを受け取った。
(ハンカチなんてどうでもいいんだけど……)
美來は投げやりにそう思った。
派遣社員として働いていた美來は三ヶ月前、雇い止めを食らっていた。
以来、新しい職場を求めて面接を受ける日々だが、採用は未だ決まらない。
そろそろ貯金も尽きてきている。このままだと遠からずアパートも追い出されかねない。
美來は切羽詰まっていたのだ。
男はそんな美來の境遇など知りもせずニッコリほほ笑むと「それじゃ」と言って去って行った。
去り方までエレガントだった。
歩き方ひとつとっても上品さが伝わってくる。
(こういう人が会社で必要とされるんだろうなぁ)
漠然とそんなことを思いながら、美來は今度の面接会場へ向かった。
◇◆◇
「次の方、どうぞ」
神妙な面持ちでドアを開けると、二人の面接官が長机を前にして座っていた。
一人は白髪の神経質そうな男。
そしてもう一人は──。
美來は思わず「あっ」と声をあげそうになった。
そこにいたのは、駅の改札でハンカチを拾って渡してくれた紳士だったからだ。
彼のほうも、美來の顔を見て「おや?」という顔をした。
しかし、お互い黙ったまま面接が始まった。
白髪の面接官が履歴書に目を通す。
「えーと、小山未來さん。四十歳……。んー、四十ねえ……」
(はい、不惑ですが何か?)
と、心の中で美來は呟いた。
「前職は丸山商事の営業事務ですか」
「はい。営業のサポートをしていました」
「どうして辞められたのですか?」
「どうしてって……。えーと、クビになりまして……」
「クビ? 何か不祥事でも起こしました?」
「い、いえ。会社の都合で……辞めてくれと……」
「ああ、リストラですか。なるほどなるほど」
言いながら白髪の面接官が用紙に何やら書き込んでいる。
美來はそれをまるで危険物のように眺めていた。
「それで? クビになった原因はわかりますか?」
「げ、原因ですか?」
「そう、原因。会社にとってあなたはいらない人間と判断されたわけでしょう? それはどんなことだと思いますか?」
「原因とおっしゃられても……」
「おや、わからない?」
白髪の面接官が黒縁メガネをクイッと上げる。
その口元には笑みが浮かんでいた。
まるで他人を見下すかのような醜い笑みだ。
「それは困りましたな。会社をリストラされた人間がリストラされた理由がわからないとは」
「会社から一方的に言われただけですので……」
「ほう、会社から。一方的に。……で? あなたは理由も聞かずにお辞めになったと?」
「人員整理とだけ……」
「ですから、その人員整理でなぜあなたが選ばれたのか聞いているんですよ」
美來はだんだん腹が立ってきた。
採用の面接に来たのに、なぜこうも執拗にクビになった経緯を聞かれなければならないのか。
白髪の面接官は楽しそうな笑みを浮かべて美來の傷口をグイグイ広げている。
まるで面接に来た人をいじめるのを生きがいにしているかのようだ。
「考える脳みそが足りないからクビになったんじゃないですか?」
彼のとどめのその一言にあまりに腹が立った美來は(もう結構!)とばかりに、面接の途中で帰ろうと立ち上がりかけた。
その時。
「高坂さん、言い過ぎです」
それまで黙って聞いていた例の紳士が口を開いた。
「あなたがいつもそうやって面接に来る方をいじめるから、いつまで経っても新しい人が入らないんですよ」
「ですが、真宮さん……」
「あなたもいつ、あちら側に座るかわかりませんよ」
言葉は柔らかいが、その口調は有無を言わさない迫力があった。
高坂と呼ばれた白髪の面接官は「うぐ……」と口を閉ざしてうつむいた。
(なに? なに? なんなの?)
さきほどまでの怒りはどこへやら。美來は目の前で起こっている面接官同士のやりとりを不思議な面持ちで眺めていた。
面接官は二人。
さっきまで執拗に美來に質問をしていた高坂は50代後半。
ハンカチを拾ってくれた真宮と呼ばれた紳士は40歳前後。
どう見ても高坂のほうが年上だが、立場は真宮のほうが上のようだ。
「君、すまなかったね」
真宮は優しい笑顔を向けると高坂が書いていた用紙を奪ってゴミ箱に捨てた。
「私が面接をするから。答えられることだけ答えて」
「は、はい」
真宮の面接はごくありふれた質問だった。
前職での業務内容、仕事の取り組み方への考え方などを聞かれた後は、家族構成や持病の有無、通勤手段など。家庭環境に関わることから趣味や食事の好みなど個人に関わることまでいろいろと尋ねられた。
けれども、ひとつひとつ丁寧に聞く真宮の姿に美來もリラックスして本音で語ることができた。
そうして、気が付けばあっという間に面接は終わっていた。
「では、採用か不採用かの通知は追って郵送にてお知らせします。数日お待ちください」
「はい」
「お疲れ様」
ニッコリとほほ笑む真宮の姿に、美來は自然と身体が火照るのを感じた。
顔が熱い。
美來はそそくさと逃げるように面接会場を後にしたのだった。
それから三日後──。
「ウソ! 採用⁉︎」
美來のアパートに、『株式会社リヒト・コーポレーション』から採用通知が届いた。
◇◆◇
「あのぅ……。今日から当社に採用になった小山美來ですが……」
初出社日、本社受付で美來が受付嬢にそう言うと、
「小山美來さんですね。真宮専務から聞いております。これが社員証及び身分証明です。社内ではこれを常に携帯していてください。そこのエレベーターから22階の秘書室までお越し下さい」
「ひ、秘書室?!」
「ええ、秘書室採用です」
(な、なんでただの営業事務経験しかない私が……。しかも四十歳にもなるのに……)
そんなことを思いながら秘書室を訪れると、美來よりやや年上のいかにもやり手の女性が美來を待っていた。
「今日から勤務の小山さんね。私は秘書室副室長の高梨なな美です。あなたには真宮真一郎専務取締役の専属秘書を務めて頂きます」
「まみや……?」
「ええ。あなたが面接を受けたときに同席されていた方よ」
「やっぱり……」
「案内するからついてきて下さい」
そうやって、美來は言われるまま、なな美の後をついて行った。
最上階フロアでも一番奥の方にある社長室の少し手前の部屋のドアをコンコンとなな美がノックし、「失礼します」と室内に入った。
「専務、小山さんをお連れしました」
「ああ。ご苦労様」
なな美に続いて室内に入った美來はギョッとした。
専務と呼ばれたあの紳士が、デスクの前でバランスボールに乗りながら美來を待っていたからだ。
高級そうなスーツに身を包んだ紳士が、必死にバランスボールの上でバランスを取っている姿は見ているだけで笑えてくる。
「すまないね、小山くん。私は毎朝、ここで体幹を鍛えることを日課としているんだよ」
「はあ……」
あまりの滑稽さに美來は緊張も忘れて気の抜けた返事をした。
「小山さん。この人、ちょっと変なとこあるから気にしないでね」
なな美が小声でささやいたあと、いたずらっぽくウィンクした。
「聞こえているぞ、高梨くん」
バランスボールに乗りながらツッコむ真宮に、なな美は「あら」と悪びれた様子もなく口に手を当てた。
そんな二人のやりとりを眺めながら、美來は
(この人たちと一緒ならやっていけそう)
と思ったのだった。
「さて。よっと」
バランスボールから降りた真宮はその健康グッズを部屋の隅に置き、改めて美來の前に立った。
「改めまして、専務の真宮です。よろしく小山くん」
ニッコリとほほ笑むその姿は面接の時と同じように、また、ハンカチを渡した時とも同じようにエレガントさを醸し出していた。
「さっそくだけど、高梨くん。小山くんに会社と業務内容について教えてあげてくれるかな。今日の仕事はそれだけだ」
「かしこまりました。行きましょう、小山さん」
「は、はい」
一礼する高梨に習って美來も一礼すると、美來は真宮の執務室を辞して、なな美に更衣室へと連れて行かれた。
表紙は汐の音さまに描いて頂きました。




