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 昼休みになっても、サトルはまるで食欲が沸かなかった。

「ねぇ、山代。ちょっといい?」

 ミサキが、いつの間にかサトルの横に立っていた。彼女に連れられてきたのは、演劇部の部室だった。

「あんた、アヤから病気のこと聞いてるんでしょ」

 ミサキの問いに、サトルは「ああ」と返事した。

「見舞いには……?」

「放課後、行くつもり。ミサキは?」

「私は一昨日、行ったから。でもよかった。アヤにさ、頼まれてたんだ。出来ることなら今日、あんたにお見舞いにきて欲しいって」

「そうか」

 そこで、会話が急に途切れる。何気なく視線を落とした時、微かにミサキの声がした。

「……酷いよね。神様がいるとしたら残酷すぎるよ」

 彼女の両眼から、たまのようなしずくが流れ落ちた。

「なんであの子が、訳分かんない病気にならなきゃいけないの!アヤは優しくて、思いやりがあって……あんな良い子なのに。それなのに、なんで……」

 サトルは沈黙することしか出来ない。ただ、ミサキの気持ちはヒシヒシと伝わってきた。幼少の時からずっと一緒で、付き合いも長く仲の良い親友。サトルなどより余程、アヤの苦しみを我ことのように想っているだろう。

 アヤが罹患りかんした病気の発症率は、およそ三千人から三万人に一人。ミサキが言うように、神という存在が本当にいたとしたら、残酷だと思わずにはいられなかった。



 サトルは街の山手にある、小高い丘に建てられた病院の前で、バスを降りた。病院は、新築かと見紛うほどの外観をしており、駐車場や歩道の脇に飾られた、色とりどりのパンジーやピオラが、来院者にささやかな安心感を振りまいていた。

 入り口の受付で、入院病棟の場所と、見舞いに来たことを伝えると、受付の女性は、電話で連絡を取ったのち、許可証のくっついたネックストラップを、サトルに差し出した。待合室は。怪我をして松葉杖まつばずえをつく人、マスクをつけ辛そうに咳をする人、泣き叫ぶ子供などで溢れかえっている。

 入院病室は、別館の上階にあると、告げられたサトルは、受付を後にした。病院内の通路を歩いていると、消毒液のツンとした匂いが、鼻腔びこうをくすぐる。

 通路から診察室を見ると、銀色の台車に乗った注射器の束が目に入った。

この病院独特の雰囲気が苦手だなと、別館に向かいながら、彼は思う。 出来れば一生、病気にもかからず、ご厄介になりたくないというのが本音だ。しかし、生きている間に、一度も病院のお世話にならないで済む人間など、まずいないだろう。

 高校一年の冬、インフルエンザにかかった。夜中に、車で病院の緊急外来に向かう途中、苦しさの余り、もう自分は死ぬんだと、本気で感じた記憶が蘇る。

 その時は医者と医療の存在に、畏敬の念を覚えたものだ。だが、喉元過ぎればなんとやらで、健康体に戻れば、そうした感情も薄れてしまう。

 本館から別館に続く渡り廊下を過ぎる。別館に入ったすぐ傍に、エレベーターがあり、サトルは目的の病室がある、フロアのボタンを押した。エレベーターを降り病室に歩き出すと、正面から白衣を着た看護師が会釈してきた。サトルは丁寧に会釈し返し、やがて目的の病室の前まで来る。

 表札プレートには『海原亜耶』と表示されていた。サトルは深呼吸をし、病室のドアをノックする。スライド式のドアを開けると、今まで薄暗かった廊下とは、段違いに明るい太陽の光が室内を照らしている。

 奥のベッドに見覚えのある女の子が、文庫本を手にして、窓辺から見える黄金こんじき色の空を眺めていた。

「海原さん、調子はどう」

 サトルの声に、アヤが視線を移動させる。

「来てくれたんだ」

 彼女は、微笑を浮かべながら文庫本を閉じた。サトルも笑顔を浮かべて返す。

「これ、果物の詰め合わせ。ありきたりだけど、持ってきた」

「ありがとう。あ、私からもサトルくんに、サプライズがあるんだ」

 アヤはベッドの脇にある、バッグを取って欲しいと彼に頼んだ。バッグを持ち上げ、彼女に渡す。と、アヤはベッドの上でバッグの中から綺麗に包装された箱を取り出した。

「はい、これ。バレンタインチョコ」

「もしかして本命?」

 茶化したつもりだったが、アヤは紅潮こうちょうしながら「もちろん本命だよ」と即答した。

 気恥ずかしいを誤魔化す為、サトルは「さっき、どんな本読んでたの?」と尋ねる。

「あぁ、これ?『結婚』って小説。お母さんが持ってきてくれたんだ」

「面白い?」

「うん、面白いよ。内容は結構ドロドロしてるけど」

 彼女は、苦笑しながら話し続ける。

「でもね……。やっぱり女の子にとって大好きな人と結婚するって、とっても素敵だなーって想ったよ。まぁ、私みたいに、立てなくなって動けなくなって、家事も洗濯も出来なくなるようなの、貰ってくれる人なんか居ないだろうけど——」

「僕が君と結婚するよ!」

 サトルが椅子から立ち上がって叫んだ。アヤの顔から笑みが消えた。彼は、一体なにを言っているのだろう?突然のことに、どう反応していいか解らない。もしかして、私の状況に同情して言ってくれているのだろうか。だったらそんなもの——。



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