プロローグ
日々を生きるのが辛い。
そう感じるようになったのはいつ頃からだったか。
憧れのゲーム業界に足を踏み入れたのが5年前。
絵を描く能力に秀でている訳ではないと自覚し、日々移り変わるプログラムの言語を勉強し続ける忍耐もない私は、ゲームプランナーとして社会人になった。
企画を立案し、ゲームのルールを作り、世界観を描き、シナリオを紡ぎ、パラメータの設定をして、デザイナーやプログラマーをゲームに繋げる。最初から最後までゲームの完成まで携わり、お客様にゲームで笑顔と感動を届ける。
そんな夢のある職業。
最初の1年はキラキラとした日々だった。
毎日が新鮮で、覚えることが楽しくて、周りの先輩も優しくしてくれた。
現場の違和感に気が付いたのは、ちょうど1年が経った頃だった。
周りの先輩が数ヶ月単位で入れ替わり辞めていった。
上司は「辞めていったあいつらの精神に問題があった」と言っていた。
心の違和感に気が付いたのは、2年が経った頃だった。
最初から全ての工程に携わるプランナーは、他の職種の同僚のストレスの捌け口にされやすかった。
毎日社内のグループチャットで飛び交う、不条理な暴言と謝罪の羅列。消えていく先輩たち。抜けられないプロジェクト。積み重なり伸し掛かる責任。
いつのまにか毎日朝起きるのが憂鬱になった。
たった3年しか経っていないのにディレクターになっていた。
前のディレクターはもちろん、企画職の先輩は皆消えていたのだ。自動的に、まだまだ若手なはずの私には後輩と部下ができていた。
毎日誰よりも遅くまで、終電が無くなっても仕事をして、次の朝には出社していた。
それでも責任職だからと、周りからの心無い言葉で精神はすり減らされていった。
同級生たちは恋をして、結婚をして、趣味を謳歌していた。そんな報告を、休日出社の退勤中、夜中の電車で眺めて少し泣いた。
それでも一度見た夢だからと、ただただ生きた屍のように、ゲームを面白くすること、完成させることだけを夢見て走った。
クライアントからの急な仕様変更も、プログラマーからの不条理な暴言も、デザイナーからの責任転嫁にも耐えた。
そうして苦節5年、ついに完成した≪ファンタジーマジカルクエスト〜観測者の歴史書〜≫の発売日……。
ゲームを手に取るお客様の反応を見たいがために、45連勤明けの体に鞭を打ち、ゲームショップのドアを開いた次の瞬間、体が謎の光に包まれ---。
「よくぞ参った、勇者よ!お主を呼んだのは他でもない。最近魔物どもの侵攻が活発化しておる。民たちは皆怯えながら過ごす日々……。どうか、かの魔王を討ち滅ぼし、世界に光を取り戻してはくれんか!?」
白いヒゲをたくわえたよく見覚えのある老人が、何度もデバッグしたチュートリアルのセリフを私に向かって放ったのだった。