エクスチェンジ
カチャ……カチャ……カチ……。
ふと、俺はパソコンの前に座っていて思い立った様に振り返る。
そして、ぼんやりと流れ作業のようにしていたゲームのプログラムを落としてから立ち上がって、部屋の扉に手を掛けた。
――このままじゃ、ダメだ。
落ちつけ……この部屋の扉は実は思ったほど重くなんて無いんだ。
……もう、こんな生活から脱却しなきゃいけない。
俺の名前は中藤 洋。
大学の三年生……じゃないな、一年留年してしまっている。
思い出す様に今までの経緯を反芻する。
高校時代、いじめを経験しながらどうにか三流大学に進学し、高校時代の辛い思いから、心機一転のつもりで大学に行こうとして……躓いた。
勇気を振り絞れ、いつまでもこんな生活が出来る訳じゃない。
親だって俺の事をまだ心配してくれている。
いつまでも部屋に閉じこもって何になるんだ。
いや……ずっとこんな所で引きこもっていて良い訳が無い。
俺を養ってくれた両親の為にも、勇気を出して……行かなきゃいけない。
身支度を整えてから、家の扉に手を掛けて、外へと出かけた。
その日の内に休学を取り消して授業を受けに出る。
単位は絶望的だろう。それでも、卒業にはギリギリ間に合うかもしれない。
大学の敷地内へ足を運ぶ。
見覚えのある敷地内。
心臓の鼓動がとても大きく聞こえる。
まるで世界中の全てが失敗した自分を攻め立てている様に感じる。
けれど、気になんてしていられない。
考えるな!
お前は何のために大学へ来たんだ! あの閉ざされた空間から出る為だろ!
そう、心で部屋に閉じこもっていた思い出をバネにして教室の座席に腰掛ける。
授業開始時間が近づき、ぞろぞろと生徒達が教室に入ってくる。
「あー……だりー……」
「単位の為とは言え、苦痛だよな」
「だな。いい加減、テストの成績だけで単位くれっての!」
等と言いながら、生徒達が講師が来るまで雑談を交わしている。
会った事ある奴だったか?
いつも隅の方で授業を受けていたので、あまり覚えが無い。
友人は居たはずなんだが、それも嫌な思い出として記憶に閉まっているので、ぼんやりとしてしまった。
覚えているのは高校時代の数少ない友人の顔だが、既に接点が薄い。
中学ともなると会いに行くのはどうかと思う。
最初から始めた様な不思議な感覚もある。
うん……ここから全てを始めて行けばいいんだ。
「であるから、この時――」
単語単語だけで聞いていると、マンガやアニメの授業風景そのままだ。
講師が説明している事をアニメのワンシーンだと思えば、すらすらと……頭に入るはずはないか。
遅れ過ぎててあまり入って来ない。
正直、よくわからない所が多すぎる……教科書を一から読み解かないとダメだ。
だが、何も大学……学校は勉強をする為だけの場所じゃない。
鐘が鳴り響く。
「それでは本日の授業はここまで、次は――」
講師が次の授業日程を話しているのでメモを取ってから、学生達は思い思いに行動を開始し始めた。
「さーて、お前等次は何する?」
「次の授業まで開いてるんだよな……時間潰さねーと」
「バーカ、それが終わってからだよ」
「ゲームしようぜ」
「お! 良いね。つーか、次の授業まで遊んでれば良いだろ」
俺は徐に立ち上がり、楽しげに会話している男たちの方へ歩き出す。
そしてそいつ等の周りに立った。
すると、部外者が近づいて来た。と、ばかりに男達が眉を寄せる。
俺は出来る限りの笑顔を向けながら声を掛けた。
「何のゲーム? 良かったら混ぜてくれない?」
ヒソヒソと誰コイツ? って声が聞こえてきた。
くっ……逃げ出したい気分になるが、どうにか耐える。
「あ、ゴメン。ちょっとした理由で休学してた中藤洋って言うんだ。楽しそうな会話だったから混ぜてもらおうと思ってさ」
自己紹介は大事だ。
ちょっとガラが悪そうだし、頭が悪そうで格下だと感じるけど、初対面の印象で決めたらダメだ。
少なくとも引きこもっていた俺なんかよりは何もかも成功している。
斜めに構えて俯くよりも遅れを取り戻す事を優先しないと。
「ダメ……かな?」
やや自嘲気味に視線を逸らしながらリーダー格らしき学生に声を掛けた。
するとリーダー格らしき学生は笑顔を浮かべて立ち上がり、頷く。
「ダメじゃねえよ。かと言ってお前、ヒロだっけ? このゲームやった事あるのか?」
そう言って見せられたスマートフォンの画面……。
あ、これ、やった事ある。
「無料プレイでやってたなぁ……最初にもらえる宝石でガチャを回して遊んだ程度だけど」
「どれどれー……お! 良いの出してんじゃん! これなら少しの時間で俺達にある程度追いつけるから一緒に遊ぶか」
内心ホッとした。
その後、俺はみんなが遊んでいるゲームを調べた。
攻略サイトの知識と照らし合わせた。無料の範囲内で、だけど。
課金もある程度しておいた方がこのグループに馴染むのは早いかもしれない。
考えておこう。
「じゃあ……これからよろしく」
「ああ、よろしくな!」
「よろしく!」
という訳で、その後はゲームの話題で仲良くなったこのグループを足がかりに、遅れを取り戻す為に勉学に励んだ。
みんなで集まってワイワイ遊ぶ時に遅れる事も無く、それなりに付き合いをしながらも他の時間は勉学をしていた。
少しばかり財布にダメージがあったが、しょうがない
他にもいろんなゲームをプレイして行ったけれど、その結果、俺自身でも不思議なくらいライト層だと思っていたグループと友好を深める事に成功した。
大学の図書室で参考書片手にノートを取っていると小声で友人と呼べる間柄になったグループリーダーに絡まれる。
「なあ、ヒロ。なんか面白いアニメやゲームとか無いかー?」
「んー……俺もそこまでオタクじゃないけど」
「嘘吐け」
引きこもっていた時に熱中していたアニメやゲーム等のオタク知識をそれとなく披露したら、グループ内でもディープな方だと思われて突っ込まれるポジションになっていたのは、失敗だったか?
とはいえ、そういうキャラ付けが出来たので結果的には成功だと思う。
引き篭もっていた俺が考えるよりも、世の中はオタク趣味に理解があるようだ。
「つーか、まだ勉強してんのか? こんな三流大学でそこまで真面目に学ばなくてもどうにか卒業できるもんだぜ」
「休学していたから遅れがな……一見するとみんなと同じに見えるけど、俺はみんなの中で一番年上なんだよ」
「不思議なくらい馴染んでいるから気にしなかったけど、そうなんですね」
友人がふざけて敬語になったので指で額を軽く小突いて笑う。
「敬語はやめろって、自業自得なんだよ」
「あーはいはい」
「とは言え、俺も勉強の方に重きを置いてるから一番ウケているのとはズレが出てるかもなー……今期のアニメでおススメは決まってるけど」
「お! 良いね! 是非とも教えてほしいもんだ」
「声でかい。えっとな……」
なんて感じで俺の大学生活は友人を得た事でそれなりに華やかとなった。
半年もした頃には遅れも大分取り戻し、底辺だった成績は上向きになった。
努力の結果……かな。
そうだと思いたい。
「ほんじゃヒロー明日な」
授業が終わったので、アルバイトに出かける友人を見送って俺は家に帰る為に駅前を歩いていた。
うん、リア充には遠いけど、高校時代の暗黒時代よりも良いはずだ。
高校時代……俺はいじめを受けていた。
俺自身に非があったとは思えない。
普通に授業を受けて普通に家に帰る、延々とそれを繰り返す日々だった……はずだ。
ただ、気が弱そうと言うだけで奴等は狙いを絞ってきたんだと思うしかない。
いじめの主犯格は高校生にもなって恥ずかしげもなく変なあだ名で人を呼び、教師の前では良い顔をしていた。
勇気の無かった俺は教師に相談する事も出来ず、三年間のいじめを耐えきった……訳じゃないか。
部屋に閉じこもり通信制高校に転校してどうにか済ませたんだ。
「お? そこにいるのは中藤洋くんじゃあーりませーんか」
なんて今との生活の違いを実感しながら、その日……偶然出会ってしまった。
高校時代に俺をいじめていたグループ。
野村連中だ。
顔付きがあの頃と全く変わっていない。
耳にピアスを付け、タバコを吸いながら俺に馴れなれしく声を掛けていた。
高校の頃のまま、成長していないんじゃないかと思うくらいの連中だ。
いや、取り巻きは変わっているのか?
……覚えていない。
いや、コイツとその取り巻きに苛められた記憶はあるんだが、トラウマの影響か、顔の辺りがぼやけている。
とはいえ、どっちにしても相変わらず碌な事をしていなさそうだ。
「中藤くーん。お金くれない? 昔みたいにー」
高校時代の学友を捕まえていきなり金寄こせってなんだよ。
「お断りだ。迷惑だから絡まないでくれ」
「は?」
きっぱりと拒否の台詞を言われて野村はキョトンとした表情をした後、烈火の如く怒りを露わにした。
「あ!? ちょっとこっち来いよ!」
人込みの目を気にした野村は俺の襟元を掴んで、裏路地へと仲間を引き連れて連行しやがる。
ドンと壁に俺を押しつけ、舐める様な眼で俺に胸倉を掴んで睨みつけてくる。
恐怖心が心を……支配しないな。
少なくとも引きこもりをやめて、大学で友人が出来た日よりも、怖くない。
あの時の恐怖を思い出せ。
この程度……なんとも無いはずだろ?
「何お前? 俺の命令に逆らうっての?」
周りの連中がヘラヘラしながら俺を見ている。
暴力で解決しようとしているのは一目瞭然だ。
「逆らうも何も、金を貸す気も舎弟になる気も無い――」
「あ!? 舐めた口聞いてんじゃねえぞ! 中藤の癖によ!」
俺が返答するよりも早く野村が俺の腹目掛けて拳を放ってきた。
目で動きを追う事は出来たのだが、体が追いつかない。
だけど、俺だってタダじゃ転ばない。
「ガハ! てめ……」
「ぐ……」
腹部に嘔吐感を催しながら痛みが炸裂する。
その痛みは野村も感じていた。
俺のカウンターの拳が野村のわき腹にヒットし、野村が苦痛に顔を歪ませ、更に激高する。
「いい度胸じゃねえか! 調子に乗るんじゃねえぞ!」
二度、三度、野村は俺の腹部に拳を叩きこんできた。
この野郎!
ちなみに連行される前にそれとなくしていた、スマホのロックを外して置いて……ある番号へコールした。
もちろん、音声を大きく拾う様に設定済みだ。
ゲホゲホと何度も呻く声をしながら呼吸を整える。
「お前は昔みたいに素直に俺の言う事に従ってれば良いんだよ! 転校してまで逃げやがって! このオタクが!」
髪を掴まれて、強引に立ち上がらされた所で、沸騰しそうな怒りが思考を支配する。
腹の痛みを忘れ、野村の喉元に手を伸ばし、力を込めた。
「な、このやろ――」
俺の抵抗に野村が殴るのをやめて俺の腕を掴む。
と、同時に野村の仲間達が俺に群がろうとしていたが、その僅かな隙を俺は逃さない。
背負っていたバッグで野村の顔面を殴りつけてから、出来る力で野村の首に腕をまわして盾にする。
「調子に乗るんじゃねえぞ!」
野村が思わぬ反撃に激昂の声を上げながら、俺の拘束を解こうと暴れている。
非力な俺ではすぐに解かれるだろう。
痛みで弱い心が浮き上がってきそうになる。
だけど、それじゃあダメなんだ。
なんの為にあの部屋から出た?
過去を捨てて今を手に入れる為だろう!
全体重を掛けて野村を引き倒しながら地面に押さえつける。
「中藤の癖に何かましてんだコラァアアアア!」
「死ねや!」
「うわぁああああああああああああああああ!」
出来る限りの大声を出し、パニックになったフリをしながら俺は馬乗りになった野村目掛けてバッグで何度も殴打を繰り返す。
野村の仲間は俺が発狂したとでも思ったのか殴る手が止まった。
昨今、不良は群れなきゃ何も出来ない。
誰か一人が本人達の常識を超えた範囲の猛撃を受けた際には、大きな隙が生まれる。
……なんて話をネットで読んだ事があった。
それが事実かは疑問だったが、どうやら本当の事らしい。
次は己がコイツに同じ事をされるかもしれない。
そんな感覚に支配されたのだろう。
運が良かった。
もっと喧嘩慣れしていたらこれで止まりはしなかったはずだ。
「ちょ――てめ――ふざけんな!」
バッグでの殴打はそこまで威力は無い。
けれど、俺の気迫に押されて頼みの仲間達が息を飲んでいる所で、野村は愚かにも馬乗りから仰向けに体勢を変えた。
チャンスとばかりに腹に全体重を掛けて圧し掛かり、顔面を数発殴った所で野村が殴り返してくる。
「だりゃあああああああああああ!」
俺の顔面を殴った所で、一瞬意識が飛びかけた。
その時の衝撃で野村の拘束が解けて、逆に俺が倒れる。
「ぶち殺してやる!」
と、野村がそう拳を作った。
……殴りたければ殴れば良い!
いじめられて引き篭もって……心が傷付いていくより、何倍もマシだ!
「おまわりさん! こっちです!」
裏路地とはいえ、大声を上げた事で騒ぎを聞きつけた通行人が警察官を呼んだっぽい。
一瞬で我に返った野村が俺を睨みながら体勢を立て直し、立ち上がった。
「中藤、覚えてろよ! この事をゲロったらどうなるかわかってんだろうな!」
そう、吐き捨てて野村達は逃げて行った。
「はぁ……はぁ……」
自分でも不思議なくらい、冷静に喧嘩に対処出来たもんだ。
とはいえ、迂闊だった。
確率は低いとは言っても、過去の方から俺を追い掛けてくる可能性は十分にあった。
武術の類でもやっておいた方が良かったかな……。
「野村、それはこっちのセリフだ」
サイレンが聞こえてきた。
野村に殴られた所が腫れて来ている。
呼吸を整えながらやってきた警察官に状況を説明する事で事無きを得た。
……証拠は出揃ったかな。
当然、野村の言う『ゲロ』とやらをぶちまけてやった。
俺が電話していたのはもちろん、警察だ。
いたずら電話だと思われるかもしれないと思ったが、幸いにも俺の企みは成功の方へ傾いた。
正当防衛と言うのは厳しかったけれど、過去に野村にいじめられていて、先ほどいきなり金をせびってきた件を可能な限り冷静に説明して、殺されると思ってパニックになって殴ってしまったと言い切った。
で、野村の方は高校時代は隠せていたけど、既に別の場所で色々とやらかしていたらしく、今回の件で一発御用となったらしい。
野村の家族が示談示談と騒いでいたらしいけれど、高校時代に受けた事を忘れる事は出来ない。
報いをしっかりと野村は警察で受ける事になったようだった。
まあ、俺自身もそれなりにダメージを受けたけどさ。
骨が折れるほどの重症じゃなかったから良い。
あの時はその可能性もありえると踏んでいたからな。
騒ぎを聞いて、大学の友人グループは心配してくれた。
「相談してくれれば力になったのに……」
リーダー格が教室で心配そうに声を掛けてくれる。
あんな事があった手前、高校生の頃にイジメられていた事も話した。
「いきなり出会ったから呼ぶ暇がなかったよ。その気持ちだけで嬉しい」
出来れば巻き込みたくなかったし……そう思いながら卒なく答える。
「そうか? ともかく、またその……野村が来たら連絡しろよ? 友達だろ?」
「ああ、その時は頼むよ」
まあ、今頃野村は警察でみっちりと絞られていると思うけどさ。
ともかく、野村にされた事は返し切れてないけど、一応に報いる事は出来たと思う。
しかし……目は追いついても体が追いつかないか。
今度から野村みたいな奴に絡まれても返り討ちに出来るように自己鍛錬をしておきたい。
なんて感じで怪我の治療を含めて色々とやっていたら一年があっという間に過ぎて行った。
「そう言えばさ」
「ん?」
友人となった大学グループのリーダーが飲み会の席で、俺に恥ずかしげに呟く。
酒も入っているから言える話かもしれない。
「実はさ、ヒロの事……中学時代辺りから知ってたんだ」
「……そうなのか?」
「ああ、一学年上だったし、兄貴の級友で遊んでるのを知ってた」
リーダー格の名字から中学時代に遊んでいた友人の顔をおぼろげに思い出す。
……出てきそうで出て来ない。
正直、中学高校は記憶がおぼろげだ。
「まあ、ヒロが覚えてなくても不思議じゃない」
「良いのか? 兄貴なんだろ?」
「仲はあんまり良くねーから気にしなくて良いって、そうじゃなくてヒロの事だよ」
「俺の事と言ってもな。何が言いたいんだ?」
「なんつーか……あの頃は近寄り難い根暗みたいな奴だなぁって思ってたんだけどさ」
「ハッキリ言うなぁ……」
「いざ話してみるとスゲー話しやすいから、人は見た目によらないと言うか、纏う空気が違って見えるもんなんだって思った」
俺はそこで苦笑いをした。
色々と話せない過去ってのもあるんだけどなぁ。
根暗っぽいってのはよくわからない感覚だな。
小さい頃から漫画とかゲームが好きだったけどさ。
「大学に入学した当初もチラッと見たんだよヒロの事」
引きこもる前の事だろうなぁ。
俺も復帰する様に努力していた。
「なんつーか、やっぱ変わったと思う。何か心境の変化とかあったのか? って思ってさ。教えてくれない?」
「休学している時に……このままじゃ良くない、もっと挑戦して行こうって、ふと思ってがんばろうとしたら、かな? 俺は変われたかな?」
俺の言葉にリーダー格は大きく頷いた。
「うん……凄く付き合いやすくなった。良いと思う。何かあったら本当に言えよ。友達なんだから。目つきも全然違うし、顔は同じなのに別人みたいになるんだな。とはいえ、金の話は簡便な」
「わかってる。そうだなぁ……じゃあ手始めに言うけどさ」
そっか……うん。俺も成長、出来たか。
改めてそう言われると嬉しい気持ちになる。
ただ、敢えて言おう。
「俺を知る奴らがみんな揃って似た様な事を言うのは何なんだろうな?」
両親は元より、昔の友人、親戚に至るまで『変わったね』って善意的な目で見てくる。
昔の俺ってそんなにダメな奴に見えたんだろうか?
なんか恩知らずと言うか中学生や高校生の頃は内弁慶で暴れていた。
今は明るくなったと言われる。
「そりゃあな。別人みたいによくなった」
同意されてしまった。
そんなに変わっただろうが? 今一つ実感できない。
なんて事があった。
「ふう……」
良く晴れたある日の事……。
三流大学卒なのだけど、ダメ元で受けた一流企業の面接に受かった!
就職活動も終わったし、庭で日課にしていた木刀の素振りを終えてから、部屋の掃除をする。
ブームが過ぎるとグッズとか途端にゴミだと思いそうになるのが嫌だな。
売るって手もあるけど、愛着もある。
かと言って部屋が狭くなるし、捨てるのもどうかと思う。
結果、押入れに入れてしまう訳だけど。
掃除をしていると中学生だった頃の痛い妄想ノートとか出てきて悶絶しかけた。
引きこもっている間にも書いていたっぽい。
あれはあれで楽しいし、やめて正解って訳じゃないけど、妄想は今の所封印している。
なんて思いながら掃除を終えてから……パソコンの内部の埃をエアダスターで飛ばしてから起動させる。
最近はスマホばかりだったから埃を被り気味だった。
うん……引きこもっていた時には愛用していたパソコンの画面が少しばかり懐かしい。
カチ……カチ。
勉強にかまけてギャルゲーとかフリーゲームとかやらなくなっていたなぁ……。
自分でも不思議なくらい触れる事が無かった。
大きく成長した様な充実感がある。
とは言え、社会に出たら色々と資料作成に使うだろう、必要ない訳じゃない。
一年前とほぼ変わらない画面……そう言えばいろんな事があった。
大学に再デビューして、学業の成績は若干汚点があるけど、良い方向に傾いている。
友人と勉強会もしたし、大学とは言え、テストで良い成績を出した。主席になんて初めてなったぞ。
後は……卒業まで割と遊んで行く事は出来るけど……どうしたものかな。
「うん、今日はゲームでもしてストレス解消するか」
独り言が気持ち悪いと内心思いつつ、そう思い込む為に喋る。
気持ちを切り替える為にストレス解消のゲームをしよう。
スマホのゲームも良いが、若干マンネリ気味で、集中は出来ない。
この際だ。このパソコンに入れてあるゲームをやり直してみるのも悪くない。
整理していたフォルダのゲームの項目をクリックする。
「何をするかなー……」
ギャルゲーは気分じゃない。
タダで出来るからってフリーゲームをインストールして遊んでいた事があったっけ。
フリーゲームと言うのはネット内の誰かが作った無料で出来るゲームだ。
大体が、ゲーム制作ツールを基軸に作られていて、パーツ単体で見ると何処かで見た事があるゲームが多い。
バグが多かったり、バランスが致命的に悪かったり、ユーザービリティが悪かったりと問題も多いが、その分、手作り感があって面白い。
もちろん、名作も沢山転がっていて、映画になった物とかもあったはずだ。
誰かが攻略しているサイトとかがあれば良い方で、存在しない物も多い。
ネット内の掲示板で、プレイした感想とか行き詰った際の質問とかがあるくらいか。
そんな攻略サイトすらないゲームを自らの経験で楽しむのもそれはそれで楽しいものだ。
一年も経ったらどんなゲームだったのかを忘れているだろう。
再プレイしても楽しめそうだ。
そう……思いながら俺は最後にプレイしていたらしいフリーゲームの履歴を調べてフォルダを開く。
エクスチェンジver0.74
ふむ……こんなゲームやったっけ?
フォルダを開いてゲーム本体と、メモ帳で記された簡易説明書を見つける。
どんなゲームだったか思い出す為にメモ帳の方を開いて調べるか。
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フリーゲーム・エクスチェンジをダウンロードして頂きありがとうございます。貴方のIDは74です。
このゲームは、様々な世界の異世界人と自分の魂を交換してしまうプログラムです。
みんなが憧れる英雄になる事も出来ますし、検索内容次第で思いのまま。神様にだって成れちゃうかも。
交換された人間はどうなるの?
自分の体はどうなるの?
ご安心ください。交換された人物は自分が何者であったのかをすっかりと忘れ、貴方の代わりに貴方の前の人生を過ごしてくれます。存分に新たな人生をお楽しみください!
但し、交換は一回限り。その後の設定を弄るのは無理なので最初にしっかりと決めてください。
さあ、つまらない世界なんて捨てて夢の異世界の人物に成りましょう!
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そこから細かい設定の操作方法が羅列してある。英雄とか最初から強い人物を指定する事が推奨されているっぽい。
開始時の脳内シチュエーションにも付与できる様だ。トラックにはねられたとか気が付いたらとかにチェックを入れるっぽい。
どうやら初期設定をしないとゲームが始まらないみたいだ。
細かい事はチュートリアル参照と記載されているな。
プログラムの方を起動すると、なんか綺麗な異世界っぽい3D映像が映し出されている。
サンドボックスというジャンルのゲームに近いのかも? いや、洋ゲーと呼ばれる自由度が高いのが売りのゲームをイメージしたものなのかもしれない。
思い思いにプレイヤーを設定して、自分がその人物に成り変わったと言うシチュエーションを楽しむ。
作り自体は面白い試みだ。
フリ-ゲームである事を最初に言っている。
検索してダウンロード先を探そうとしたがエクスチェンジなんてワードとフリーゲームってだけじゃ見つけきれなかった。
噂の類すら見つからない。
クオリティは高そうに見えるんだが……無名ってのが逆に凄いな。
このゲーム、やったんだよな?
そう思いながら、エンターキーを押してゲームを始める。
前のデータとか残って居るだろう。
そう思ってセーブ画面を出そうとした瞬間。
――既に使用済みです。
と言う文字が浮かび上がり、タイトル画面に引き戻された。
「え……」
額に手を当てて、考える。
視界がグラグラと揺れて目が回る様な錯覚を覚えてしまう。
設定してプログラムを実行……このプログラムは一回しか設定できないんだっけ?
ログ自体の確認は……出来そうにない。
プログラム知識は多少あるが……このプログラム、拡張子が無いぞ!?
EXEとか色々とあるはずなのに詳しく調べてもない。
分解して調べようかと思ったが、それすら出て来ない。
コピーをしようとしたら失敗した。
配布元のURLも無い。
ウィルスか何かか?
嫌な汗がじんわりと背筋にこびりつく。
「はは……まさかな。そう言って驚かそうとするプログラムなんだろう」
もう遅いかもしれないが、ウィルス対策プログラムで削除しようか考える。
ファイルのプロパティを確認……え……?
作成日時は俺が引き篭もりをやめた日だ……。
引きこもった部屋を出た日にプレイしていたフリーゲーム。
ゲームにさえ騙されて腹を立てた俺が、苛立った感情のまま部屋を出たのかもしれない。
きっとそうに違いない。
だが、否定しようとする意識と肯定しようとする意識で帳尻が取れない。
そもそも俺はなんで引きこもった?
大学に馴染めなかったから?
高校時代いじめられていたから?
今の俺からしたらなんでこの程度の事を解決しようと努力しなかったのかと考える理由ばかりだ。
成長したと片付けるのは簡単だ。
だが、俺を知る人物達は口を揃えて言う。
俺は『変わった』と……。
そして、俺が変わった日はこのプログラムを入手した日だ。
万が一にもありえない事だが、仮にこのプログラムが本当だったとして、じゃあ今の俺の中身が俺で無かったとして、この体の本当の持ち主である中藤洋は何処へ行った?
何処の誰と入れ替わった?
それは俺だ。
この考えが仮に事実だとしたら、俺がこのプログラムによって自分を奪われ中藤洋に中藤洋を押しつけられて入れ替わった事になってしまう。
「いやいや……まさか、そんな話がありえる訳が無い。このプログラムを起動させて遊んだ後、すっかり忘れたんだろう」
一回しか遊べないゲームというのが存在する話を聞いた事がある。
何処でダウンロードしたかわからないけど、ログを全て消せばきっと再度設定して遊べるだろう。
『信号を受信した! 聞こえますか!? 自動削除を妨害して良かった……』
そう、ゲームの画面に謎のアイコンと文字が浮かび上がった。
「ん?」
声を出すと文字が消えて再度浮かび上がる。
『今、声を出した貴方です。どうか耳を傾けて下さい!』
「耳を傾ける?」
『はい』
返事をした!?
「いったい何なんだこのプログラムは!」
俺の声まで拾っている?
というか、マイクなんて付けていないぞ。
どうやって俺の声に反応しているんだ?
『私はこの異世界への強引な力の介入に接触して逆探知した者です。今、力の入り口で貴方の魂を感知して声を掛けています』
「は、はぁ……」
いや、あれだ。タイトル画面で放置すると発生する隠しコマンドとか何かかな?
ともかく、半信半疑だけど話を合わせよう。
『単刀直入に証言します。貴方はこの強引な力で誰かに自分を奪われてしまい、押し付けられた人です。でなければ私は接触しません』
「は?」
いきなり結論を言い渡された!?
『私の主は、この力の介入で別人にすり替わってしまいました。なので主を取り戻すべく、持てる力を使ってこうして貴方の様な奪われた者がアクセスする時を待っています。これは貴方と同様の方が見つかった場合、共通して行っています』
「そ、そうなんだ? じゃあ、俺が君の主では無いかもしれないんだね」
『はい。もちろん、承知の上です』
無作為に、主かよくわからないけど、声の主と出会えるのを待っているのか。
創作物だとしたらヒロインにピッタリの設定かもしれないな。
「それで……俺に何の用?」
『決断を求めに来ました。貴方は、本当の自分を取り戻したいですか?』
「……」
『私が出来る事は僅かです。この力の浸食を止める事さえ出来ません……取り戻すにはとても険しい道でしょう。それでも……取り戻したいかをお尋ねします』
理由はわからないが、声の主が真実を言っていると確信してしまう。
心当たりがあり過ぎて背筋に嫌な汗が流れたからだ。
俺は……本当に、中藤洋であるの……か?
「もちろんだ。仮に本当だったとして、誰かに成り変わって悠々自適に過ごしている奴がいるんだったら許せない」
中藤洋が今までどんな人間であったのかは周りの認識から察する事が出来るし俺も覚えている。
自分でも言ってはなんだが、同情の余地はある。
誰もがみんな強い訳じゃない。
誰にだって失敗する事はある。
引きこもる理由もわからなくはない。
けれど、いつまでもやっていて良い事でも無い。
前を向かずに身内を……俺は自分よりも弱い者を甚振る性格だったらしい。
それは変えられない俺の過去だし、がんばって償っていくつもりだ。
だけど……それがもしも、この声の主の言う、俺ではない俺がやった事だったなら……その罪から逃げて俺を奪った事になる。
絶対に許す事は出来ない。
心当たりは無数にある。
記憶もある。恥ずかしい記憶だ。
『貴方のいる世界の話をコンタクトをした方が仰っていました。話によると人間同士の争いもそこまでない、戦争の少ない世界だとか』
「そう?」
この世界の事を知っている様だ。
とはいえ、歴史的に見れば結構戦争とかやっているけど。
『はい。少なくとも、私のいる世界よりも治安が良いと聞きます。もしかしたら私の主も、その平和な世界で一生を過ごす事の方が幸せかもしれません。ですから尋ねます。何があっても自分を……取り戻したいですか?』
このプログラムの言葉を全てゲームだと片付けて日常に戻るか、それとも何かしらの提案を受け入れて何か危険な事に巻き込まれるか?
その是非を問われている。
「そんなの決まっている」
仮に異世界の誰かに成り変わるならば自分よりも遥かに成功している人物と入れ替わる。
突然、そんな事をされた方の身になって見ろ。
ゲームかもしれない。
例え遊びだったとしても俺はこの提案を受け入れざるを得ない。
これがゲームの始まりだとしても、ここで逃げ出す奴にはなりたくないからだ。
「奪われた自分を探して……取り戻したいに決まっている!」
俺の返答にパソコンの画面が強く輝き、目が眩む。
『私が出来るのは貴方の魂から取り戻すべき肉体がある世界へと導く事です。私がいる世界とは別の世界かもしれません。それでも、貴方自身を取り戻す旅が幸ある物である事を、節に願っています』
そう声が聞こえ、俺の意識は遠のいて行った。
これが『中藤洋』であり『名前も知らない』俺の始まりだった……。
初めに読んでいただきありがとうございます。