大切な友達
精神疾患にかかると精神疾患の友達が増えるのは当然のことだ。どんな人間にも友達は必要だしな。
ことわざにもそういうのがある。ことわざっていうのは答え合わせだ。つまり人間は他のやつから言われないと自分がなんなのかよく分からないときがあるってことだ。
そういうのを自覚するのはあまり気分のいいもんじゃない。
少なくとも俺にとっては。あるいはタカハシにとっては。
タカハシは大柄で肉付きがよく長髪でインディオのように堂々とした男だ。
たまに肉のついたあごのせいで甘ったれたクソガキに見えるときがある。だがそれを補うように荒っぽい身体の動かし方をする。ムショに長いこと入っていたってのも嘘じゃないかも知れない。というのは、タカハシは虚言癖があったからだ。大抵の嘘は大げさなんですぐわかるが、中には判断がつかないのもある。
それが病状なのか性格なのかわからなかった。
そんなことはだれにも分からないだろう。
おれが誰かと話したり、なにかしている時、タカハシがじっと見てる時がある。おれはタカハシの行動にピンとくる。おれも同じことをしてるからだ。つまり俺たちはお互いの狂い具合を見定めようとしていることになる。狂人同士で。
まあ、そんなことはどうでもいい。
とにかくおれはタカハシが憎めなかった。
タカハシは慣れた調子で病室のベッドの備え付けの棚に自分の荷物を収納した。
それから大事そうに小さいCDラジカセをベッドの上に置き古いロックをかけた。そしてゆっくり身体をゆらし目を閉じた。アップテンポの曲がかかると空想のマイクスタンドを激しく振り回し、空想の観客を煽った。
それはタカハシの日課であり、思い出したようにサングラスをかけたり、突然ポマードで髪を固めたりした。
窓際の席で病院の箱庭を眺めていたおれに、タカハシは缶コーヒーを差し出した。おれが遠慮すると自分はコーヒー会社の社長の御曹司だから気にしなくていいと、言った。
「コーヒーだけは親父が送ってくるんだ。」タカハシははにかんだ。
「入院は初めて?」タカハシがおれに聞いた。
おれはそうだと答えた。
「おれは慣れているからなんでも聞いてくれ。そういえば、梅田っていう女知ってるか?あの知的が混じった若い女の。さっきトイレの前の鏡でオッパイ丸出しだったぜ。」
精神病院のトイレは通路から手洗い場が丸見えだった。
「タバコと交換でやれるんじゃねえか?」おれが言った。
「タバコもいらんぜ。」
タカハシがそういって俺たちは笑った。
おれ達はよく食堂のテーブルでカードゲームをした。
おれ達っていうのはおれとタカハシと酒井とシングルマザーだ。
酒井はてんかん持ち酒好きの知的障害者でタカハシによくなついていた。右の眉の上のおおきな傷は親父との喧嘩の時にできたらしい。殴られたんじゃない。自分でガラスに突っ込んだんよ。死のうと思って。酒井は言った。ゴタゴタを家族に通報され服役した時にてんかんになったらしい。
おれは体調が悪い時にLSDを食って、このときの酒井と同じような気分をあじわったことがある。
つまり人間っていうのはクソと同じだということを、おれも酒井も知っていた。
シングルマザー金髪の小柄な女で、長男が少年院に入ってしまって、頭がおかしくなってしまった。
夜遅くまで、あるいは朝早くから、ひたすら折り紙を折っていた。
タカハシはいろんな種類のカードゲームを知っていた。
それに自前のトランプも持っていた。
おれ達は「大富豪」にはまって、お菓子やタバコで点数をつけながらやった。
タカハシは損得関係なくいつも酒井を狙い、おれとシングルマザーは漁夫の利を求め、酒井はたまに大逆転した。
看護婦たちは病院を忙しく動きまわり、毎日のんびり遊んでるおれ達を横目でみた。
その日はいつものようにタカハシは酒井を狙い続けた。とうとう酒井はふてくされて、病室に帰ってしまった。タカハシはシングルマザーに促されて酒井を連れ戻しにいった。
おれとシングルマザーは2人を待った。
「息子の事、あまり思いつめないほうがいい。手紙を書けばいい。ムショで手紙をもらうと嬉しいんだぜ。」
「なんて書けばいいかわからなくて」
「なんでもいいんだよ。流行りの曲の歌詞とか、TVのこととか。」
「うん」
「気分を変えなきゃ。息子も、あんたも。」
「気分転換に恋愛でもしようかな。」
「それがいい」
そう言ってから、おれはシングルマザーの3人の子供たちが全員父親が違うことを思い出した。
大きな問題を抱えてるやつは理由があるもんだ。おれは人のことを責める権利なんてないけどな。いや、だれにもそんなもんはない。
酒井はタカハシからタバコをせしめて、ホクホク顔で帰ってきた。
少しして看護婦がおれを呼びに来た。医師の診察があるらしい。
診察室から駐車場に停まっている赤いポルシェが見えた。
「体調はどうですか?」
医師はこの病院の二代目の院長で、まだ若かった。
「いいですよ。」
「最近はテレビを見てイライラしたり、芸能人を殺したくなったりしますか?」
「だんだんそういうことを考えなくなりました。」
「あなたの才能に回りが嫉妬しているというのは?」
「気のせいだったように思います。」
医師はそろそろ退院を考える時期ですね、と言った。
おれはタカハシにもうすぐ退院できそうだ、と言った。
タカハシは顔を少しそらし無表情になり、そうかと言った。タカハシは感情をかくすのが下手だった。
おれ達はよくベッドで寝ながら、話をした。昔のことや女のこと。タカハシは次々に話をつくったが、やはりうそが下手だった。
おれは眠剤が効いてきて、呂律が回らなくなってくる。タカハシは強烈なやつを飲んでるので気絶するようにいきなり眠りに就いた。
タカハシはぶっ倒れるように眠るまえに、おれに漫画本を一冊くれた。
「おまえに持っていて欲しいんだ。」
それは、探偵が女とイチャつきながら事件を解決するシリーズものでタカハシは全シリーズ持っていた。
おれ達はお互いに退院したら、会う約束をした。
シャバはもう真冬にように寒かった。あるいは寒く感じた。病院のなかはエアコンが効きっぱなしだったからだ。
案の定、おれと同じようにタカハシも分厚いコートを着ていた。
風の強い日で、首を縮めて歩く姿はエスキモーのようだった。
おれ達はおれのおごりで肉と酒を買い、おれのぼろのグループホームの部屋で食った。
タカハシは生活保護でアパートを借りていたが、なぜかおれに場所を教えようとしなかった。
「おまえはおれにいろいろしてくれるけど、聖教新聞でもおれにとって欲しいんだろ?」
ほろ酔いのタカハシがおれに言った。
それからおれ達はパソコンで、タカハシが見たがっていた最新のヤクザ映画を見たあと寝た。眠りに落ちるまえ、タカハシが言った。
「わかった。とるよ。聖教新聞。何部とればいい?」
次の日にタカハシは渋々帰った。おれは日常に戻った。タカハシからは毎日電話があった。おれは仕事をしていたし、だんだんうんざりし始めていた。
タカハシからの不在着信を折り返すのを忘れてから、しばらくたった頃だった。
早朝にチャイムがなり玄関のまえにタカハシが立っていた。
驚いたおれの顔をみて、言い訳するように言った。
「前に自転車が欲しいって言ってたろ?いいのやるから、取りに来いよ。」
おれは丁度仕事が休みで、タカハシと一緒にブラリと街を歩いた。
タカハシは追われるように急ぎ足で歩いた。
「体調はどうだ?」おれが聞くと答えをはぐらかした。タカハシの顔は土色で、げっそりしていた。
おれ達はカラオケに入り、タカハシのおごりで酒を飲んだ。タカハシは古い、おれの知らない歌を歌った。おれの歌った歌もタカハシは知らなかった。なんだか気まずくなって、酔いもそこそこでカラオケを出た。
街は、年の瀬でたくさんの人が流れていた。楽しそうな顔とクリスマスソングが溢れていた。
タカハシの軍モノのカーキのコートはがっしりした身体によく似合ったが、やつれた顔で歩く姿は激戦地から帰還したばかりの兵士に見えた。
まあ、おれも小汚い格好をしていたし、人のことは言えない。
おれ達はトボトボと歩き、帰りのバス停を目指した。なんだか惨めな気持ちだったし、少しだけいれたアルコールのせいで胸がムカついた。タカハシは相変わらず、肩を丸め逃げるように早足で歩いた。
途中でタカハシがトイレに行きたいと言ったので、デパートに入った。デパートの中は人がぎゅうぎゅうで、人をかき分けながら歩いた。タカハシはトイレの途中にあった靴屋の中を横切った。そして棚に陳列していた婦人用のパンプス無動作につかみ、コートのポケットに突っ込んだ。それから振り返らずトイレの方に消えていった。
あんぐりと口をあけて、中年の女店員がそれを見ていた。すぐに気をとりなおして、女店員はレジの横の内線をとった。帽子を深くかぶった警備員がすっ飛んできた。そのうちの1人がおれのところに来た。嫌な予感は遅すぎた。
「少し話を聞きたいんだが。」おれはもう逃げるには遅すぎた。
従業員用の狭い待機室で無表情の警備員と向かい合って待たされた。
ドアの隙間からトイレから出てきたタカハシが取り押さえられるのが見えた。人だかりができていて、みんないろんな表情をしていたが、当の本人は無表情だった。
やがてスーツを着た刑事がおれのところに来た。チラリと俺を見た後、警備員と小声で何かを話した。おれは裏口からパトカーに乗せられた。タカハシを乗せたパトカーはもういってしまったようだ。後部座席のシートは嫌な匂いがした。犯罪者の冷や汗が強い消毒液でかき消されていた。
パトカーの中で無口な刑事と長いこと待たされた。公務員は待つことに慣れている。待っている間も給料がでるからだ。そうやって公務員は老人になる。刑事は中年の割にサラサラとした髪、細い身体に合わせた細身のスーツを着ていた。控えめなデザインのよく磨かれた革靴。だがよく見れば、どれも三流品だった。
やがてパトカーは動きだし、最寄りの警察署についた。おれは取調室の硬いパイプ椅子に座らされ、細身の刑事が机をはさんでまえに座った。
「こうやって警察にくるのははじめてじゃないでしょう?」刑事はいった。
「前に挨拶にきたぜ」
「何度か挨拶に来ていただいたようで。」刑事の目の前にはおれの前歴やらが書いてある分厚いファイルがあった。
「今日のことについて聞かせてください。」刑事の顔は冗談のように険しかった。
「おれが何を知ってるんだ?おれが操ったっていいたいのかよ?」
「友達はあんたも関わってるって言ってるけどな。」
「あいつは病気なんだ。調べたらすぐにわかる。」
「だから、あなたの口から今日のことを聞かせてください。」
取調室は時間が早く過ぎる。細身の刑事は半日ほどおれを絞り上げ、そのあと釈放した。
「これも仕事なんで、悪く思わんでください。」
去り際に刑事はヘラヘラしながら言った。
「おまえらの言い訳は聞き飽きたよ。これはツケだからな。」
刑事はうすら笑いをうかべたままなにも言わなかった。なにか気の利いたことを言おうとしているが、思いつかず間抜けズラをしたままとういう感じだ。おれは帰路についた。
街はすっかり暗くなっていて、タカハシが多分逃げようとしたものに包まれていた。つまり不安とか悲しさとかよそよそしさとかに。おれはタカハシに対して罪悪感を感じた。なぜならまともな友人がいれば、そいつがタカハシのそばにずっとついていれば、坂道を転がるように生きることもしないでいいだろうと思ったからだ。
そいつが若い女で、肌を見せるのが好きなタイプだとなおいい。そういうやつはおれにも必要だ。
タカハシは可哀想なやつだ。おれも可哀想なやつだ。
誰かが、おれ達のために祈ってくれてもいいんじゃないか?
そんなことを思いながら歩いた。