シャーロット・シャリアール、湯豆腐、寿司、オードブル。お隣の学生さん。
12月17日
そんな毎回毎回おもしろエピソードがあるわけでなく、普通に洗濯物してベランダに干してクリーニング屋に出してたスーツ取りにいってその帰りに切れてた御茶っぱとあかぎれひどいからハンドクリームを買いに幼馴染の実家の薬局に寄って、昼から一回出掛けて、本読んでたら日曜日は終わりである。
日没、冬の澄みきった酸素を燃焼させた陽光が山の端に消えてゆけば、おゆはんである。
さて、今日は湯豆腐でも食べてさっさと寝ようとした頃に、いつものように呼び鈴が鳴る。
誰何もせずに玄関の戸を開けば、金色の髪の非日本的な顔立ちの少女が、立っている。
『こんばんは、お腹空いた』
お前、飯食う以外の用事ないのかよ。
異世界人シャーロット・シャリアールが今日も来た。
もしかして、こいつお腹空いたが日本の挨拶の定型句と勘違いしているんじゃないか? という疑問もあるが、恥ずかしげもなく腹の虫を鳴かせて人の部屋に上がり込む少女は単純に空腹のようだ。
『お前、自分ところで夕飯食べたりしてこないの?』
と訊くと、勝手に押し入れから座布団を出して、テレビのリモコンをいじっていた。
『だって私ダイジロウに食事に招かれたって名目で次元跳躍魔法の発動が許可されてるんだから』
え、そうだったの?
すると心外、と言った顔をされた。
『えー?! 最初に言ったじゃない! 本当はあなたを自分の世界に送り還したら、もう今生の別れだったはずなのに。ダイジロウがどうしても会いたいって言うから無理してんのに!』
おい、いつ会いたいなんて言った。このままさよならなんて嫌だと言ったのはお前だろう……と言おうとしてこの手の話題は泥沼になるから避けることにした。
『だから、私こっちの世界に来る日はお昼ご飯も抜いて準備してるんだからね!』
と憤慨しているが、それは僕のせいじゃないだろう。食べ過ぎなのは、僕のせいでは、ない。食べ過ぎなのは、僕のせいでは、ない。
『お腹空いた―』
とほざきながら、座布団を二つ折りにしてクッションにして、寝転がりながらテレビのスイッチを入れるシャーロットを見ていると、そんだけ食っちゃ寝してりゃ、太るのは僕のせいじゃないだろと言おうとして、この手の話題は藪蛇になるので避けた。まあ、そもそもこいつ痩せ気味なんだよな。三食ちゃんと食えよ。
台所で、すでに白菜と豆腐は切って出汁も取っているので、コンロに鍋をかけるだけである。
テレビのチャンネルを変えながら、こっちも見ずに今日の夕飯は何かを尋ねるシャーロットに、こいつと結婚する奴は大変だなと思う。が、とりあえず、湯豆腐の準備をしながら台所から呼びつけた。
『こっちの机の上に、オードブルと寿司があるから取りに来い』
『え?! 何それ! なんでそんなのあるの?』
急に体を起こしとてとてと走ってくるシャーロット。ガキかお前は。……まあ、ガキだわな、年齢的に。
テーブルには少し大きい折詰が二つ並んでいて、片方には握り寿司8種24貫セット。もう片方には揚げ物や焼き鳥、肴料理が盛りつけられていた。
『どうしたのこれ?!』
目を輝かせる少女に、何から説明したもんか。
『詳しく話すと面倒なんだけれど』
『じゃあいい! 要点だけ!』
『昼間、地元の消防団の手伝いに行ったら、余ったから持たされた』
『知ってる! 情けは人のためならず!』
よく日本のことわざ覚えたな。
折詰二つは流石に食べ切れないから何回かに分けて食べようと思って、野菜が不足で湯豆腐を用意していたのだが、この分だと夕食だけで食べきりそうだ。シャーロットはしきりにオードブルを眺めている。
『美味しそう! このエビの横にあるの何?』
『イカリングだろ』
『じゃあこの小鉢に入ってるのは?』
『なんだろ……ナマコの酢和えかな』
『じゃ、じゃあこっちの玉子焼きみたいなのは?!』
『玉子焼きだろな。いいからテーブルに並べてくれ』
はしゃぐよなあ。
鍋が煮えたので火を消して今に運ぼうとした時、ふと気付く。
『あ、シャーロット。悪いけれど戸棚の皿を一つ取り出して、オードブルと寿司から美味しそうなところ見つくろって盛りつけてくれ』
『いいよ? もしかしてジンセンジ様のところに持っていくの?』
『ジンさんとこはちょっと遠いなあ。違うよ、隣の学生さんに差し入れ。前に一度会ってるだろ』
『あのくっそ分厚い眼鏡した女の子?』
『そのくっそ分厚い眼鏡した女の子。あと、あの人お前より年長だからな』
お隣さんはここから電車で三駅(田舎の三駅は隣の市に移動するくらいの距離なのだ)の大学に通ってる女子大生というやつだ。意外と穴場のこのアパートに今年から移ってきたそうで、僕の方が後から引っ越してきたので先輩にあたる。色々と掃除当番やらこのアパートの決まりなどを親切に教えてくれて御世話になっており、美味しいものが手に入ったらお裾分けをしたりしている。僕が留守の時にシャーロットが来た時に相手もしてもらっているのだ。
『渡してくるから、盛りつけてくれ』
すると上機嫌に
『情けは人のためならず! だね!』
とかよくわかってんのかわかってないのかわからないことを言いながらとてとてと台所に来て皿と箸を取ってって、なんか海老フライとか軍艦巻きとかいろいろ並べてた。綺麗に箸を使って盛りつける。こいつ、食に関することならセンスあるよな、と感心していると。
『できたよー』
『御苦労』
『じゃ、持ってって来るねー』
『おう。……いや! ちょっと待て!』
僕が止めようとする時には、さらにサランラップまでしっかりかけて、玄関から飛び出た後だった。
お前、僕以外の現地人とコミュニケーション取るとか本当チャレンジャーだよな! 慌てて飛び出したが、すでにシャーロットはお隣さんの部屋の戸を叩いて、学生さんが出てきたところだった。
学生さんは突然の金髪碧眼の少女の登場に面喰っていたが、少女の方は一切の躊躇なく皿を持ったまま学生さんの部屋に押し入っていた。
ちょ、這入るな。
事の成り行きを見守っていると、シャーロットが部屋から出てきた。
学生さんの手を握って、こっちに引っ張ってきながら。
『ダイジロウ! せっかくだから三人で食べよう! いいことは何人でしてもいいことなんだぜ!』
あー、それは昔僕が君に言った言葉だな。
流石に止めた。
『なんでさー! 情けは人のためならずだろ!』
『お前意味わかって言ってんのか? 学生さん目が泳いでるじゃねーか』
『どこがよ』
とか言って、牛乳瓶眼鏡の奥、学生さんの目を覗きこむ碧眼の美少女。
学生さんは顔を真っ赤にして自室に飛びこんでしまった。
『……今時あんなリアクション取る人いるんだね』
唖然としているシャーロットの天頂にげんこつをいれといた。
『痛ーい』
『お前なあ、相手の気持ちも考えろよ』
『だってさー、あの人ダイジロウと話たがってたみたいだし』
『日本語の会話できないのにどうしてわかんだよ』
『彼女周辺の闇の流れでなんとなく』
またそれかよ。
とりあえず、一人で謝りに行った。
呼び鈴を鳴らすと、学生さんは出てきてくれた。
なんか挙動不審でドアの外をしきりに警戒している。
「あの娘は帰らせましたので。今日はご迷惑をおかけしました。すみませんでした」
と謝るとこっちがびっくりするくらいびっくりした顔を横に振る。
「い……いえいえ」
そこで会話が詰まってしまったので、あまり余計な弁解はせずにその場を離れようとしたら
「あ……あの子……」
「シャーロットですか?」
「へ、へへ。シャーロット、ちゃん」
にへらと学生さんは笑った。
どうやらあの破天荒娘に嫌悪感はないらしいので、それだけは救いである。
すると突然学生さんが口を開く。
「あの、お寿司……いただいて」
「いえ、僕も貰い物ですので、よろしければ召し上がってください」
「かわいいですね」
……?
「シャーロットちゃん」
あ、ああ。そっち。
「ごちそうさまです」
何が? 寿司が?
そこで玄関の戸が締められた。
まあ、そんなに怒ってはいないようで、何よりである。
自室に戻ろうとすると、玄関を少し開けて中から様子をうかがっているシャリアールが見えた。
やれやれ。
僕が戻ると、なんだかおそろしげに
『コムロ、怒ってなかった?』
『怒ってなかったよ』
というか、
『え? あの学生さんコムロって名前なの?』
『え? なんで隣に住んでるのに知らないの?』
いや、学生さんっていつも呼んでたから。
すると、呆れたような顔をされて
『ダイジロウって、本当変わってるよね』
そ、そうなのかな……。
そこで、僕の腹の虫が鳴いた。
それをばっちり聞いたシャーロット、くすりと笑う。
『ご飯にしよっか』
そうすることにした。