第1章-1
15歳になったら、悪魔が囁くようになる。気をつけなさい。
涼介が小さい頃から、育った施設の大人達から聞かされた言葉だ。涼介は孤児で、自分の親が何故いないのかは知らない。ただ、特別だから、この施設に居られるのだということだけは耳にたこができるほど入念に教えられて育った。
そして今日、涼介は15歳になった。
鉄格子で縞々になった朝日が、窓から差し込んでいる。鳥の声が届き、涼介は窓から鉄格子の向こうの空を見やった。そこから見える小さな景色には白は見当たらず、快晴であることが伺えた。
「人類ってさ、滅ぶべきじゃない?」
突然降ってきた雨のように、その言葉は自然と頭に浮かんできた。それは囁きと言うより、情動というか、衝動というか、心の底から湧いてくるようなものに涼介には感じられた。
「人類って、滅ぶべきじゃない?」
なるほど、これが悪魔の囁きというものか。涼介はベッドを抜け出し、施設の廊下を裸足のまま歩いていく。施設に、危険なものが落ちていることはない。今まで住んできた経験上、涼介はそれをよく知っていた。
涼介の目は、人よりよく見える。単純な検査でわかる視力は1.8程度。ただし、それに加えて、涼介の目は見たいものを何でも見ることができる。
涼介の目標は施設長。涼介の目には、ホースを片手に花壇に水をやる施設長の姿が見えていた。
涼介は迷いなく足を進める。一際明るく日の入るドアを開けると、中庭に出た。
「先生。」
涼介は、ホースを片手に花壇に水をやっていた施設長の背中に、声をかけた。
施設長は振り返る。そして来ることが分かっていたかのように、不自然なほど自然に微笑んだ。ホースの水を止めると、涼介に向き直る。
「涼介。誕生日おめでとう。」
そして両手を広げる。涼介はその胸に飛び込んだ。
「ありがとう、先生。」
「朝一番で、悪魔が囁いただろ?」
「うん、でも、言われてたから、大丈夫。」
大人の、しっかりした手に頭を撫でられ、涼介は面映そうに笑った。
「だって滅ぼすべきなんだ、そのために僕は君たちを作ったのに」
拗ねたような悪魔の囁き。
「ここの施設で育って、幸せだって思うから、俺。だから、悪魔の囁きなんてさ、意味ないよ。」
涼介は笑う。
施設で育つものは、みな、純粋だ。施設長は満足げに笑みを返した。
「さて、君、起きてからそのまま来たね?京介くん。」
京介をそっと体から離し、施設長は言った。
「よく見たら、また靴を履いていないし、顔も洗わずに、だらしがないぞ。」
額をつつかれて、京介は笑った。
「ごめんなさーい、支度してくるよ。」
バイバイ、と手を振り、京介は自室に戻り始めた。
「人類滅ぼそうよー、殺そうよー。」
頭に声が響く。こんなものか、というのが、京介の感想だった。声に惑わされて、悲しい結末を迎えた施設の仲間の話をよく聞かされていたが、京介にはそれは不思議に思えた。
たまたま、自分のは軽いのかもしれない。そう思い直した頃、自室についた。
支度を整えなければならなかった。時計は朝7時をさしており、あと30分で朝食の時間になる。朝食は施設の仲間、みんなで摂ることになっている。
京介は食堂を覗いてみることにした。目を閉じ、集中すると食堂の風景が見える。なにやら何時もと様子が違うようだ。すでに仲間たちが揃って、話しているのが見えた。
「なんだろ?」
京介はそわそわしながら、いつもより早く支度を終えた。そして跳ねるように部屋を出る。靴は、やっぱり履かなかった。
廊下を進み、この施設で一番大きな扉を開いて食堂に入った。
「みんな、何話して……。」
言いかけた言葉は、パァン、という破裂音で止められた。同時に、花吹雪が舞い上がる。
「誕生日おめでとう!京介!」
それは唱和だった。破裂音を出したのは、両手から爆発を起こせる小唄で、花吹雪は風を起こすことができる翠だろう。あとの二人は、横で拍手を贈っていた。伊織と優太だ。
京介と、小唄、翠、伊織、優太。この施設で暮らす仲間の全員が集まっていた。
「あ、ありがとう!何か話してると思ったら、この事だったんだ。」
京介は照れて赤くなりながら、礼を言った。
「あ〜、やっぱ見てたんだ。でも、びっくりした?」
いたずらっぽい笑顔で小唄が言う。小唄が両手を合わせると、またパァンという破裂音が鳴った。
「したよー、そんな使い方できるんだね。」
「ホントはクラッカー、欲しかったんだけど、火薬はだめだって先生が言うからさ。」
「だから私、花吹雪係やったの!」
翠はそう言うと、えっへんと胸を張った。
「そうそう。手伝ってくれてありがとうな〜、翠。」
小唄が翠の頭を撫でる。小唄は施設の仲間の中では一番年上で、18歳だ。翠は逆に一番年下で、まだ10歳。
「俺と優太からは、これ。」
伊織が差し出したのは、透明な石で出来た花束だ。
「うわ!きれいだな。」
「俺が出した花を、優太が石にした。まあ、部屋にでも飾れよ。」
伊織は、土に触れるとそこから植物を生やすことができる。中庭の花壇の花々は半分くらいが伊織の生み出したものたちだ。
「久しぶりに、お風呂以外で手袋取ったから、緊張した……。」
半ばつぶやくように優太は言った。優太が触れるものは、無条件で透明な石になる。調べても、未知の鉱物としか分からない、よく澄んだ石だ。
自分の体以外、何を触っても石にしてしまうので、常に手袋をはめている。
伊織は14歳、優太は13歳だ。