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牛の舌草

 途中まで番人さんのイラついた声が聞こえていたが、それももう聞こえなくなるぐらいに走った。

 所々で番人さん達の方に進んで行く思喰(おもいぐらい)の姿が何体か見えたが、俺には何も出来る事は無くて唇を噛んだ。

 瑠璃子さんは大丈夫だろうか?

 彼なら助けられる、そう思ってみてもやはり心配はしてしまうものである。特に助ける相手が待人ともなれば、難しい物になっているだろうし。

 走り続けていたのがたたったのか、俺の足の力がいきなり抜け前のめりに倒れた。間一髪両手をつき、大きな衝撃は避けたものの疲れた身体にはきついものがあり、俺は痛みで呻く。


「……っふ。」

 ばくばくと暴れる心臓を押さえつける様に右手を左胸に置き、何度も深呼吸を繰り返す。火照った身体は冷たい地面が熱を吸い取っていき、浮ついた妙に気持ちの悪い感覚がゆっくりと治まってく……。

 水が飲みたいと思っても、此処にはない。何度も唾を飲み込み、その欲求を抑える。俺は一度目を閉じた。

 何の音もしない空間は、俺が此処にいてもいいのだろうかと思う程に異物を寄せ付けない何かを持っていた。唯の静寂であるのに、どうしてこうも居心地が悪いのだろうか?

 ……あぁ、俺が生きているからか。

 なんだか可笑しくて、俺は声を出して笑った。意味が分からない。此処に呼ばれた理由も、あの夢の事も。


 全て夢であって欲しいと思うが、その反対に夢であって欲しくないとも思う。真衣さんや瑠璃子さん、番人さんが夢だなんて思えなかったから。……感情が入り乱れて、どれが本当の真意なのかわからなくなる。

「……きっちぃ。」

 俺は仰向けになるように身体を動かした。

 番人さんも待人さえもいない、今の状態では寝る事さえも許されない。重たくなってくる瞼を無理矢理に持ち上げ、天井を見上げる。こんな事が起きているのに、我関せずと言いたいかの様に俺の目の前に相も変わらずそこに存在し続けている森。


 目の前にあるような場所に……恵探達のいる元の世界に戻りたい。

「──の……。」

「ん?」

 声が聞こえた。俺は声の聞こえた方向へ視線を向けた。

「あの……大丈夫ですか?お疲れの様ですが。」

「あぁ、大丈夫です。唯思喰から逃げて来ただけなので。」

「思喰は探人を襲わない筈ですが?」

 そこにはどこか病弱そうな感じを思わせる男の人が、しゃがみ込み俺の顔を覗き込もうとしていた。俺は少し気不味くて男の人のいない方に視線を彷徨わせながら、上半身を起こし、胡坐をかいて座ると、男の人も同じ様に俺の向かいに座る。


「恐らく、なんですけど。まだ生きている俺に思喰が反応したんじゃないかと……。」

「貴方は、まだ生きているんですか?」

「あ、はい。……姫に呼ばれた、らしいです。」

  成る程、と男の人は納得して頷き、俺の目を見てきた。眼鏡の向こうにある瞳はどうしてか濁っている様な気がした。

「分かっているのはそれだけなんです。番人さんや待人さん達にも会って、色々話していたんですけれど、一向に分からないままですし、姫にもここに連れてこられる前に会ったっきりです。」

  本当に困ったものです、と眉間に皺を寄せ、苦笑した。

「待人に会ったんですか⁉︎」

「ぇ?……は、はい。」

「どこで!」

  彼は突然大きく声を荒げながら膝立ちになり、俺の肩を掴んだ。その掴んでくる強さと、着ている服からでも伝わってくるその手の冷たさに、俺は顔を顰めた。


「い、痛いです……。」

「私が聞いているのはそんな事ではない!待人がどこにいるかと聞いているんだ!」

  人が痛いと言っているのに何を言っているんだ!

  それでも声を荒げる男の人の手を下から跳ね上げる様にして払い、落ち着いてと彼の目をじっと見る。

「痛いです。」

「あ、あぁ、すまない。」

  案外そうした方が、怒るよりも相手が冷静になる事があるんだよなぁ、なんて思いながら何度か深呼吸をした後に、また座り直す彼を見つめる。


「君は、本当に高校生かい?」

「えっと……相手がテンション高いと言うか、興奮してたら逆に冷静になりません?」

「成る程なぁ。」

  元の話題から違う方向に話を飛ばしながら、俺と男の人は苦笑したいながらそっと息を吐いた。

「……私の名前は誠だ。君の名前は?」

「俺は黄坂まちとです。」

「ふむ、まちと君か。……それで、さっきの質問の答えは?」

「すみません。教える事は出来ません。」

  真衣さんの場所なんてとっくの昔に分からなくなってしまった。ここから真衣さんの所に行け、なんて言われても道に迷う、しか俺の選択肢にはない思う。


  ……あぁ、でも瑠里子さんの所に行けば、分かるかな?

  必死で走ってきたからあそこから真っ直ぐ走ってきた筈だから……多分。

  でも、言わないと言ったのはそんな事が理由じゃない。探人は自分で相手の待人を探さないと意味がないと思ったから、その一つのみ。

「どうしてですか⁉︎」

「どうして、と言われても、探人である貴方自身が探さないと意味がないのではないですか?」

「それは、そうですが……。」

「他の探人が同情して教えたとしても、俺は教える事は出来ません。」

  待人達の願いを知っているから、だからこそ俺は誠さんにそう言った。それは変わる事のない俺の意思である。


  彼はぐっと悔しそうに唇を歪め、俺を睨み付けてきた。

「まちと君、貴方には私達探人の事を分かってないです。」

「……と言うと?」

「どうして知っている筈もない相手を探せと言うんですか。出来る筈がないでしょう?それに加えて顔まで分からないときた。」

「……は?」

  意味が分からない。知らない相手を探す?どういう事だよ。

  だって瑠里子さんの時、あの子って言ったじゃないか。待人が探人の事を知っていて、どうして探人は待人の事を知らないんだよ。


「だから、分からない、知らない相手をどう探せと言うんですか、とそう言ったんです。」

「あ、いえ、言ってる事は分かってるんですが……。」

「じゃあ、なんです?」

「……言えません。」

  言える筈もなかった。相手は貴方の事を覚えています、なんて言える訳がない。

「貴方はそればっかりですね。」

 きつい言い方ではあるが、まったくもってその通りだ。


「でも……一つだけ言わせて下さい。」

「なんですか?」

「本当に相手は知らない人何ですか?」

 本当にそう言い切れるものなのだろうか。知らない人だと言い切れる理由なんて一体どこにあると言うのだろうか。

「教えてくれたんです。」

「ぇ?」

 誰が、と聞くまでもなかった。

 先程も聞いた、水っ気のある音が俺の耳に響いたからだ。それは天井から誠さんの背後に落ち、ずるずると傍に寄って来る。

 誠さんは楽しそうにくすくすと笑いながら、俺が焦っている様子を見ている。背中には冷や汗が流れた。

「思喰……。」

「そう、思喰です。この子達が教えてくれたんですよ。」

 そう言いながらに、誠さんは思喰の周りにある靄の中に手を入れた。それは何を思ったのかは分からないが、大きく口を開けた。


 俺は喉がどんどん乾いていくのを感じながら、気付かれないようにポケットからナイフを取り出した。手は既に冷や汗で濡れており、滑って落とさない様に握り締める。

「まちと君、君は探人なのに思喰に襲われるなんて可笑しな立ち位置にいるんだね。」

「誠さん、幾ら何でも危な過ぎます!思喰は待人を喰べるんですよ!?」

「そんな事ぐらい分かっているさ。でもね、顔も分からない、自分の記憶にいない人を探すのだったら、直接待人の思いを……記憶を食べた方が早いと思わないかい?」

「なっ……!まさか!」

「そのまさか、だね。」

 俺は目を見開いた。身体は固まって動かない。唯、誠さんの顔を見る事しか出来なかった。


 いかれてる、心の中で呟く。

「だって、そんな……思喰は元は探人だって言いたいんですか?」

 俺の言葉は彼の笑いによって肯定された。不気味に響く笑い声は、俺と誠さん、思喰のみのこの空間の重さをより一層際立たせ、俺は身体をぶるりと震わせた。

「何がおかしいのだい?何ら矛盾する点なんてどこにもないじゃないか。」

「矛盾する点は、ない。だけど……!」

 俺は身体を無理矢理に動かして、立ち上がり誠さんの隣にいる思喰に右手でナイフを突き刺した。その直後にバットで頭を殴られたような鈍痛が襲ってくる。俺は慌ててナイフを刺したまま手を離し、もう片方の手で誠さんの腕を掴み一緒に走って思喰から距離を離す。


「貴方は馬鹿か!」

 掴んだ手を離した後、俺は感情のままに誠さんの頬を殴った。

「どれだけ待人達が辛い思いをしているのか分かってんのか!辛い思いをしてんのは探人だけじゃねぇんだよ!」

「うぅ……。」

「顔が分からない?それがどうした!逆に待人は顔を失くしてるんだぞ!記憶がない?ふざけるな!じゃあなんで待人は探人に思いを馳せてるんだ!会った事ないならそんな事する必要ないだろうが!」

 矢継ぎ早に言い放った為に息を切らせながら、俺は思いっきり地面に倒れた誠さんを睨み付けた。


「っ!」

「なんだよ、あんだけ言っておいて反論はないのか?」

「……。」

 殴られた方の頬に手を当て、呆然としている誠さん。俺は彼に近付きながらしゃがみ込み、視線を合わせた。

「もし思喰になってみろ、後悔するのはあんたの方だ。あんたがしようとしていた事が何か、教えてやろうか?他の待人を喰らい、探人からその関係を取っちまう、最低の行為だよ。」

 もしかしたら、誠さんの待人はもう思喰の餌食になっているかもな、と言ってはいけない事だと思いながらも、閉じる事が出来なくなった口はその言葉を口にしてしまっていた。後悔してももう遅い。俺も最低の人間じゃないか、心の中で罵倒する。


 誠さんの身体がピクリと反応した。顔を下に向け、その後に聞こえてくるのは嗚咽。涙に濡れた声は、妙に俺の心に響いてきて、俺は息を詰まらせた。

「……あ、その――」

「ごめん、まちと君。私は、君に辛い事を言わせてしまった。」

 顔を上げ、次に見えた誠さんの瞳は光を反射し、きらきらと輝いていた。反射的にもう大丈夫、そう思った。

「私は本当に馬鹿だ。人に頼ってばかりで、何度も直せと言われていたのにね。結局年下のまちと君に諭されてしまったよ、面目ない。」

 苦笑しながら言葉を連ねるその姿は生き生きとしていた。感化されたのかは分からないが俺の視界が霞み、歪んでいくのを感じる。


「ほら、泣かないで。男の子でしょう?」

「さっき泣いてた人が、何言ってるんですか。」

「それはそれ、これはこれ。」

「なにそれ、ずるいです。」

 あふれる涙は止める事が出来なくて、頬を伝い地面を濡らす。地面に落ちた涙は、まるで今から雨でも降らせようかとでも言いたいかの様に、白い雲が増えていき涙を吸収していくのを、俺は誠さんに苦笑されな頭をなでられながら、唯々見続けた。

「もう、気付いているんでしょう?」

「どういう、事ですか?」

「待人と探人の関係性に、です。……それから、あの番人と姫関係性も、ですかね。」

「さぁ、まだ俺にとっては答えじゃないですよ。唯の憶測です。」

「慎重ですね。」

「間違いは、許されないでしょう?」

「まぁ、そうですが。」

 涙はもう出ないと伝えようとしているのか、じわじわと止まっていく。走って汗かいて、涙流して、おまけに水分が補給出来ていないと来た。俺そろそろ干乾びるんじゃないだろうかなんて、冗談でも此処じゃ本当の事になりかけそうな事を、俺は考えながらに深く息を吐いた。


「揃いも揃って俺の事子供扱いし過ぎです。」

「仕方のない事なのでは?大体の探人は自身の寿命を全うして死んだ方の方が多いですし。」

「因みに、誠さんはお幾つで……?」

「七十、八十位じゃあないかな?」

「何故に疑問形……。」

「そりゃあ、此処に来てから何年たった事か。そんな事時間が経てば気にならなくなっちゃいますし。」

「……。」

 なんとも反応しがたい話だった。時が経てば忘れられる物なんてあるのだろうか?俺としては忘れて良い物なんて、嫌な思い出であっても、ないと思うのだ。

「……忘れられる?」

「どうしました?」

「貴方は、誠さんは忘れているのではないのですか?」

「……。」

 俺は自身の頭に乗っている彼の手を両手で包みながら、彼の目を見た。逃げてはいけないと、訴えるようにして。


「そう、かも知れませんね。」

「誠さん……!」

「大丈夫ですよ。……さぁ、まちと君。迎えが来たようですよ。」

「ぇ?」

 誠さんの目は悲しげに揺れながらも、全てを悟っているかの様な意志を持っていた。俺は突然の彼の言葉に、意味も分からず小さく声を出した。


「……行ってらっしゃい。」

 誠さんのその一言を最後にして、俺の意識は白に飲み込まれた……。


誤字、脱字、感想などあれば、コメントよろしくお願いします。

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