百日草
彼女との会話が耳から離れない。ぼぅ、としていると、堂々巡りに会話が繰り返される。
どうしてか、それが怖い。
何か引っかかる。気になることがあるのは俺自身でも分かっている。それでも何が引っ掛かっているのかが、全く分からない。開けなければならない箱なのに、その箱の鍵を失くしてしまって開けられない……そんな感じ。不思議と、疑問が思考の路線上に横たわり、その先に行かせまいとしているのだ。
答えが分からなくて、暗闇を覗いているいる訳ではない。答えを知っているのに、そこに横に伸びた壁がある。
「今俺の目の前には、何も遮る物なんてないのにな。」
ぼそりと俺は呟いた。相も変わらず風が吹いているようで、吹いていないこの空間の変わりなさに呆れが出てくる。木はそよぎ、何も起きていないとでも言いたいかのように、唯風に葉を連れて行かれる姿は、どこか儚さを持っているようにも見える。
依然として下を見れば、俺の足の下にある空には太陽は無く、いつからか薄い雲がそこに居続けている。
「なんでこの世界は、上下逆さまなんだろう?」
考えれば考える程に、ずっと働いていた頭は疲れたとでも言いたいかの様に、痛み出してくる。
「……そう言えば、恵探達大丈夫かなぁ。」
何時間たったかも分からないが、とっくの昔に自由時間は終わっている筈だ。それだけは確信できた。
「何だかんだと結局俺の楽しい修学旅行は、飛んだ事になっている訳だ。」
あぁ、そう考えるといつにも増して悲しくなってきた。何が楽しくて、思喰に襲われる危険を冒してまでこんな事しなきゃならんのだ。
怖さよりも理不尽さに対しての怒りの方が勝る。
なぁ、姫さん。どうして俺なんかを此処に呼んだんだい?
「はぁ……。」
俺は思わず深くため息をついた。
考えてても埒が明かんな。一向に突き止める事の出来ない問題より、今は目の前の出来る事をやらないと始まらん、と気分を入れ替えた。
何も考えないように、と辺りを見渡しながら歩いていれば、先程の真衣さんとはまた違った服装の女性が、見えた。
「……いた。それにしても、この世界が広いからかは分からんが、待人同士の間隔が広いなぁ。」
さっきもそうだったが、一人姿が見える範囲にもう一人人が見えると言う事が、これで二回目だがなかった。
「あの……。」
「あなた!危ないわよ!」
「ぇ?」
俺は突然言われた言葉に、意味が分からずに首を傾げる。
「どういう事ですか?」
「どうもこうもない!上を見なさい!」
「うぉっ!」
辺りは見ていたものの、上を見ていなかったのが仇になったなぁ、なんて頭の端でのほほんと思った。
真上、俺の頭の上にある背の高い木の天辺に思喰が登ってきており、前の女性が声を張り上げて教えてくれなければ今背を伸ばし大きく口を開けているそれに、頭ごとばくりと食べられている所だった。慌ててしゃがみ込めば、髪が思喰に触る感覚がその後に続いてあり、俺はひっと声を上げる。
「おいおい……こんなに近づくまで気づかないなんて事があるのかよ!」
前に会った時は、動く毎に水っ気のある音を響かせていたのに!心の中で続きを叫びながら、俺は正面に向かって走る。
「あの、待人さん!」
「私は瑠璃子よ!何?」
「瑠璃子さん、俺がこいつ引き付けておくので、番人さんを呼んでもらっていいですか!」
「……嫌よ。」
「はぁ!?」
まさかの返答に俺は素っ頓狂な声が出た。
「何言ってんの!」
「そうやって叫ぶ暇あったら、貴方が呼んだらいいんじゃない。」
「っ!」
そりゃそうだよなぁ、なんて内心納得しながら、後ろを見ると直ぐ近くまで来ており、とっさに横に避ける。
べちゃり、俺の目の前で覆いかぶさるように地面に倒れる。
一瞬、指が思喰に触れた。
「っふ!」
視界が揺れた。何か大切な物が、直接頭の中に手を入れられて強引に取られてしまうんじゃないかと思うくらいに、酷い頭痛が途端に襲って来て、俺はバランスを崩して倒れ込む。受け身を取る余裕もなく、仰向けに倒れ、後頭部を打ち付けた。
「何やってるの!」
「……っぁ。」
「早く逃げなさいよ!……私は思喰が来るのを待ってたんだから。」
俺が一瞬触れたのに気付いたのか、思喰は大きく身体を震わせ歓喜するように口を開けた。
やばい。その一言が頭の中で一杯になる。
「食べ、られる……つもりで、すか?」
それでも、と動きを止めている内に身体を無理矢理動かし地面に手をつきながら体をゆっくり起こし、頭をあまり揺らさないようにしながら距離を離し、瑠璃子さんに問い掛けた。
「貴方がいなくなったら……探人、は、どうなるん、ですか!」
「ぁ……。」
「これは、貴方だけの問題、じゃない。」
真衣さんと同じように、この人も自身の罪に囚われているんだろう。だからって、自身から思喰に飛び込むなんて馬鹿げてる。俺は痛みに顔を顰めながら、困った様に笑った。
「……あぁ……、ごめんなさい。ごめんなさい……。」
「なら、早く!」
視界の端で、それがまた動き出したのが見えた。次は、確実に避け切れない。
遠くで誰かの叫ぶ声がした……。
* * *
「──、貴方は優しいわ。そして聡い子。……大丈夫よ。貴方はきっと大丈夫。」
誰かの優しい声が聞こえる。
肝心の名前はノイズが走って、今までと同じ様に聞こえない。
「……だ、れ?」
掠れた声ではあったが、口をついてそんな言葉が出ていた。あぁ、どうしてそんな事を聞く必要があると言うのだろうか?
だって此処は夢の中じゃないか。
……思い出した。
「貴方は、あの子供の……母親?」
どこからか子供の笑い声が聞こえた気がした。
「……私が、最後まで守ってあげられなくて、ごめんね。」
いつの間にか閉じていた目を開ければ、そこには太陽の光が目一杯入ってくる。俺は慌てて目を閉じた。目の裏が焼けて、これでもかと言うぐらい目の奥が痛む。
「……あぁ。」
誰の声だったかは分からない。多分きっと、俺の声。目をもう一度開けた先にあったのは、目を焼く程のそれを難なく反射してみせる海の姿。潮の匂いが香ってくるわけではないが、波が砂を打ち付ける音が妙に大きく聞こえた。
「だいじょうぶだよ。おれさ、ちゃんとここにいるんだから!」
茜色。淡い朱色の世界の中、俺の頬を緩やかな風が撫でて過ぎ去って行く……。
子供とその母親は、裸足姿で海の水で足を濡らしながらゆっくりと手を繋いで歩いてゆく。父親は、そんな二人を砂の上に座り、微笑みながら見ていた。
「海は、全てを取り除いてくれる場所……。」
しゃくり、しゃくりと音を立てながら砂の上を進み、彼の父親の横にそっと呟きながら座った。
「そうだね。取り除いてくれる場所だ。嫌なことがあっても、生き物を生み出し還る場所は全てを受け入れてくれる。」
俺は隣にいる人に目を見開きながら、視線をやる。
彼も同じ行動をしていた様で、彼の視線とぶつかった。彼は俺の顔を見て目を見開いたが、その直後に朗らかに笑った。持つ優し気な目元に微笑みを湛えた口元は、俺の緊張を解していくには十分だった。
「ん?驚いているのかい?」
俺は頷いた。だってこの言葉は……あ、れ?
「俺、どこでこの言葉を……?」
「今はまだいいんだよ。大丈夫……大丈夫。」
大きな手が、俺の頭に乗った。暖かい何かを掬い上げ、持ち上げてきてくれる様な不思議な感覚に包まれ、俺はゆっくりと目を閉じる。
頑張れ、どこかでそんな声が聞こえた気がした……。
* * *
「あ!気が付いたみたいよ!」
「……瑠璃子さん?」
顔の無い女性が、俺の傍でしゃがんでいた。視線を彼方此方にやりながらも、俺は彼女に問い掛ければ、強く頷いた。彼女の反対側に目をやれば、番人さん。
「あのなぁ、なんの為に俺はお前にナイフ持たせたと思っているんだ。」
「ぁ、す、すみません……。」
「まぁ、そんなに言わないであげてよ。元の原因と言えば私なんだし。」
「だがなぁ、来た時倒れてるのを見て冷や汗かいた。また最初に会った時みたいに間に入り込んだら、気を失って倒れたんだ。ほんと、勘弁してくれ。」
あの思喰妙に興奮してたし、お前一体何やったんだよ、と俺にほとほと呆れたとでも言いたいかの様な口調で話す番人さんに、俺はもう一度すみませんと頭を下げた。
番人さんに対しては申し訳なさ過ぎて、頭が上がらない。
「だから、もう勘弁してやんなって。」
「はいはい。もう言わないって。……で?」
「……俺が避け切れなくて、少しと言うか一瞬触ったらあんな事になったんです。同時に頭も痛くなって……。」
「お前、良くそれだけで済んだな。普通の待人なら触った部位の一部持って行かれているぞ。」
「はぁ!?」
そうなんですか、と瑠璃子さんの方を見ればそうだと頷いた。
今更だが、一歩間違えていれば身体の一部が無くなっていたかもしれないと、その光景を想像して俺は吐き気に見舞われた。
「ぅ……。」
自分がどれだけ危ない状況に立っていたのか、改めて感じさせられた。そりゃ番人さんも心配するし、さっきの様に怒る筈だ。なんだか自分が惨めに思えてきた……。
両手で口を塞ぎ、深く息を吸い酷くなってきた吐き気を抑える。
「大丈夫かい?」
俺は首を横に振った。これが端から大丈夫に見えたら凄いって。きっと今の俺の顔は青くなっている事だろう。
そんな俺の反応に瑠璃子さんはくすりと笑い、俺の背中を擦ってくれた。番人さんは黙って俺の頭を撫でてくる。
「……すみません。ありがとう、ございます。」
「やっと分かったか。」
「はい。」
じくじくと胃の辺りが疼く。それでも、随分とましになってきた。吐かなかっただけ十分だと思う。
俺は二人にもう大丈夫だと視線をやってから、番人さんに支えられながらゆっくり立ち上がった。
「本当に思喰ってやばいんですね。」
「それは十分に説明した筈だが……?」
「喰べられたら終わりなのは知っていましたけど、詳しくは知りませんでした。」
「そうか……。」
「そう言えば、番人さんはどうやって思喰を倒すんですか?」
それは悪かったな、と言外に謝られ、気不味い雰囲気が漂う中、俺は番人さんにそう聞いた。
話題転換しないと、そのままの空気ではまた気分が悪くなっても可笑しくないと思ったからでもある。
「倒すんじゃあないんだ。唯応急処置、と言った方が正しい。」
「そうなんですか?」
「貴方は見た事ないの?」
「こいつ俺と初めてあった時も、こうやって気を失ってんだよ。」
「……あぁ、さっきも言ってたわね。」
「そんなに言わなくても良いじゃないですか。」
なんだか体裁悪くて、俺は番人さんにじとりと視線を送る。
番人さんはそんなことも気にせず飄々とし、瑠璃子さんは楽しそうに笑った。
「……早く続きを。」
「はいはい。これで思喰を刺して直接体内に思いを送り込むんだ。触ったらやばいからな、これを媒介としている訳だ。」
「思いを送り込むって……大丈夫なんですか?」
「送っても身体が無くなる訳じゃなし、奪われた訳でも無いからな。身体があれば思いは生まれ続けるし、その思いを忘れる事もない。」
「だから……。」
俺はズボンのポケットに入れていたナイフを一つ取り出し、柄の部分から刃を出した。丁寧に扱っていたのか、使っていなかったからかは分からないが、刃は白い光を反射し鋭い光を放っている。
「そうだ。俺と同じような事が出来るとは思ってはいないが、媒介を経て思喰に少しでも送れれば、時間稼ぎにもなるし、ひょっとすればそのまま去ってくれる可能性もある訳だ。……ナイフは消費物と考えておけよ?」
「分かりました。」
もう一本がポケットにある事を確認し、俺は出したナイフを仕舞い頷いた。次は瑠璃子さんの様に番人さんを呼んでくれる人がいない可能性だってあるのだから……。
「番人さん。」
「なんだ?」
「私、前々から聞こうと思っていたのだけれど、それって銃剣の……?」
「あぁ、そうだ。」
「やっぱり。一度生きている時に見た事があったのだけれど、それにそっくりだったから。」
あの時期はもう廃れてきていた物だったのだけれど、とそう言う瑠璃子さんの声は昔を懐かしんでいる様だった。
でも俺は言葉の意味が良く分からなくて、首を傾げた。
番人さんは苦笑しながら手にっ持っていた鈍色のそれを見易い様に持ち上げる。俺に渡して来たナイフと比べれば輝きは劣る物の、使い込まれた感じのする、刀……と言うよりは、短剣の刀身をもう少し細くし、長さを四十~五十センチ程の長さにした感じの西洋剣に似ている。
「銃、剣?」
「ん?聞いた事ないか?」
「いや、名前だけは聞いた事あります。」
「そうか、名前だけか……。」
お前の今住んでいる日本も平和になったものだなぁ、と番人さんがしみじみと呟けば、同感だわと瑠璃子さんも頷く。
彼女達は一体どのような生活をしてきたのだろうか?
暗い声色の中に含まれた何かに俺は、少しだけ顔を顰めた。俺がそんな事をしたって何の解決にもならない事は分かっている。それでもその言葉に対して何も思わない、何て事はない筈がなかった。
「貴方からすれば昔、戦争に使われていた物よ。」
「銃の先辺りにこれを付けて、銃で殺れなかった相手をこいつで突いて殺すんだ。大概は銃で殺れたし、こいつを使うとどうしても銃の調子が狂っちまうから、あまり使う事はなかったがな……。」
「……そう、ですか。」
「おっとすまんな。要らん事まで喋っちまったな。」
「いや、気にしないで下さい。……俺も聞けて良かったです。」
この二人と、それから真衣さんは、きっと激動の時代に生きていたのだな、そう思った。話し方ではそう感じさせなくても、言葉の節々に感じさせる物があった。
「……私は二十代の時に死んじゃったから、銃剣が使われなくなる以降のことは分からないのだけど。」
「そんなに若く?」
「えぇ、お陰であの子とは会えず仕舞い。ほんと悲しい物よ。戦争は富を齎すものであっても、逆に多くの命を連れ去って行ってしまうんだもの。」
「言えてるな……。」
俺には分からない物だった。俺の生きている中で、それに巻き込まれる事なんてなかったし、それ以前に存在すらしていない。その感情の意味は分かってもその根本の気持ちが分からなかった。
あぁ、俺は何て非力なんだろうか、彼女の声を聞く事しか出来ない。結局既に死んでしまっている彼女には、生きている俺が出来る事なんてそれぐらいしか出来ないのだろう。それが、なんとも俺の気持ちを罪悪感にまみれされ、苛んでいく。
声を掛ける事が出来なくて、俺は視線を下に向けた所でふと思い、身体の動きを止めた。
……あの子?
「……それが、相手?」
「さぁ、どうでしょう?」
無意識の内に呟いた言葉に、瑠璃子さんの言葉が繋がった。
何だか煮え切らない返答だが、待人と探人の関係性が少し見えた気がする。まぁ、それだけしか分からなかった、と言った方が妥当ではあるけれど。
「ふふ。」
「どうしたんですか?」
「いや、なんだかね、嬉しくなっただけよ。」
「はぁ……。」
何とも言えないと気の抜けた声を出しながら頷けば、一段と楽しそうに彼女は笑った。それから、一段と真面目な表情に戻り、俺の目をじっと見つめてくる。
「ほんと、貴方には頑張ってもらわないとね。」
「ぇ?」
「……おい、まちと。そろそろ動いた方がいいかも知れん。」
「は?」
「戸惑ってる場合じゃない。お前は一所に長居し過ぎた。……思喰が集まって来てる。」
俺のせいで、集まった?どうして?
俺は何かしただろうか……ってしたな。思喰が集まってくる理由なんて一つしか思い浮かばなかった。
先程の俺の行動によって巻き起こった頭痛が、思い出しただけでぶり返し、俺は額に手を当てた。
「……俺が思喰に触ったからですか?」
「良く分かったな。」
「今思喰が近付いて来ているとしても、瑠璃子さんの前に会った待人さんの時はこんな事にはなりませんでしたからね。さっきと何か違う所があるとすれば思喰に触った、この一つしかないです。」
妙に間を開けての同意だったが、何か思う所があるのかも知れないと気にせず番人さんの言葉を待った。番人さんが俺の腕を掴みあの剣を手に持ちながら、ある方向を示す。
「あっちの方にお前の次会うべき奴がいる。早く行け。」
「でも……。」
「いつもの思喰の数とは違うからな。きっと俺は庇いながらとなると、一人しか助けられない。」
俺は一人しか守れなさそうだから今、自由に動ける俺に早く逃げろ、と。
「……遠回しに言うなよ。」
「悪かったな。」
「邪魔になってるなら、邪魔と言ってくれた方が幾らかましだ。」
「まぁ、次からそうするよ。」
俺と番人さんはお互いに顔を合わせて、にやりと笑った。楽しいショーの始まりだ、なんて言ったら案外似合うんじゃないだろうかと思う程の企んだ笑顔には、少し余裕がなかった。
「瑠璃子さん。」
「何?」
「食べられないで下さいね。」
「番人さんの働きによるわね。」
「けっ!言いたい事ばっかり言っちゃってさ!」
頑張らせて頂きます、なんて番人さんのおちゃらけた声に俺はつい笑ってしまった。
余裕が無い割にこの緊張感の無さは、きっと守れる自信からくるものなのだと思いながら、俺は足を動かす。
「……行ってきます。」
此処に来てから番人さんには頼りっぱなしになっているな、と内心自分の役に立たなさを罵りながら、俺は小さく呟いた。
誤字、脱字、感想など、コメントあればよろしくお願いします。




