第4章
(1)
無駄とは知りつつ、今朝も足は病院に向かっていた。一昨日、意識を回復した岡村は、昨日の夕方にICUから一般病棟に移されたらしいが、相変わらず面会させてはもらえなかった。仕方なく帰ることにし、玄関に向かう。
「あの人達を刺したのは、私のせい、か」
私は、病院の正面玄関をくぐりながら独りゴチた。昨夜、「カナコ」が私に告げた言葉。結局、どういう意味がわからぬままだ。大人げない態度をとってしまった自分自身が、つくづくイヤになる。
「近藤さん」
その時、後ろからいきなり肩を叩かれ、私は軽く悲鳴を上げた。振り返ると、そこには山田刑事の笑顔があった。
「帰りはるんですか?」
「ええ。今日も会わせていただけませんでしたから」
動揺を隠し、少々イヤミを込めつつ答える。
「申し訳ないですね。まあ、いろいろとありまして……。岡村さんが全て話してくれたら、すぐに片が付くと思うんですけどねえ」
山田刑事が小さく溜息をついた。
「じゃあ、まだ岡村さんは何も?」
「ええ。記憶がないの一点張りですわ」
肩をそびやかす山田刑事を見ながら、私はふと「カナコ」が言っていたファイルのことを思い出した。
「山田さん、岡村さんの家は捜索されたんですよね?」
私の質問に、彼は少し不思議そうな表情をしたが、ゆっくり頷いた。
「しましたよ。職場のロッカーやデスクの中まで隈無く」
「で、何か証拠みたいなものは出て来たんですか?」
「証拠? 証拠ですか……」
山田刑事は首を小さく傾げると続けた。
「証拠と言えるかどうかはわかりませんが……。例の『高山堂』の小刀が、どれだけ探しても出て来なかったんですよ」
「出てこなかった?」
私は山田刑事の顔を見た。
「それならやっぱり、岡村さんは小刀を持っていなかったんじゃないですか」
「いえ、凶器にされたから、岡村さんの手元になかったという可能性もあります」
山田刑事が頭を掻く。
「そんなバカなこと」
思わず溜息がもれた。
「で、小刀以外には何か、それらしいものは……」
「それらしいものって、何ですか?」
逆に聞き返され、一瞬答えに詰まる。
「いえ、あの……事件の計画を立てたメモとか」
私の言葉に、山田刑事は苦笑した。
「そんなものが出てきてくれたら、何の苦労もなくていいんですけどねえ」
「まあ、たしかにそうですよね」
適当にごまかし笑いをする。
「じゃあ、大学に行かないといけないので」
軽く会釈をして歩き出した私に、山田刑事が声をかけてきた。
「近藤さん」
足をとめて振り返る。
「何か情報があったら、すぐに教えて下さいね。自分は明日もここに詰めてますから」
「わかりました」
動揺を悟られないよう無理に微笑むと、私は足早に病院を後にした。
(2)
「おはよう」
共同研究室に顔を出すと、いつものメンバー、中西と峰山がのんきに談笑していた。
「おお、おはよう。今日も岡村さんのとこに寄って来たんか?」
「うん。まあね。会わせてもらえなかったけど」
カバンをテーブルの上に置き、コートを脱いで椅子の背にかけると、私は研究室の中を見回した。
「どうかしました?」
峰山に尋ねられ、首を横に振る。
「何でもないの。ちょっと調べものをね」
本棚を順番に見て行く。歴史関係の辞書や教授陣の出版した本、これまでの勉強会の資料などが乱雑に並べられている。所々に挟まれているファイルを抜き出してみるが、岡村のものではなさそうだ。
「何を探してんねん」
中西が椅子に座ったまま、声をかけてくる。私は、手にしていたファイルを元に戻すと、中西達の方を向いた。
「ねえ、人に見られたくないファイルを隠すとしたら、どこに隠す?」
昨日からずっと考えていた疑問をぶつける。
「人に見られたくないファイル?」
中西に聞き返され、答える。
「昨夜、『カナコ』さんがうちに来たのよ」
「え? あの幽霊がですか?」
峰山が顔を歪めた。
「岡村さんからファイルを預かってないかって聞かれてね。でも、何も預かってないし」
「そうか。それで、探しとったってわけか」
中西が頷く。
「木を隠すなら森に隠せとか言うから、この辺りにさりげなく挟んであるんじゃないかと思ったんだけどねえ」
私は、溜息をつきながら椅子に腰掛けた。
「岡村さんの家とか、職場なんかにはないんですかね?」
峰山の質問に、顔を上げて答える。
「今朝、洛北署の山田さんに会った時に聞いたんだけどね。家からも職場からも、証拠になりそうなものは出てこなかったそうよ。小刀がなかったって話だったけど」
「小刀って、例の『高山堂』ってやつか?」
「うん」
私は頷いた。
「凶器にされたから、手元になかったんじゃないかって」
「そんなあほな」
中西が椅子の背に乱暴に身体を預ける。
「ラグビー部のロッカーとかに、置いてないですかねえ。僕は結構、クラブのロッカーにもの入れておきますけどねえ」
「岡村さんは、去年卒業してはんねんで。ロッカーはもうないやろ」
中西が峰山の方を見て言った。
「せやけど、一応、行ってみませんか? うちのハンドボール部の部室、ラグビー部の隣なんで、顔見知りのやつも結構いてるし……。ダメモトで、話だけでも聞いてみましょうよ」
峰山が立ち上がる。
「無駄やと思うけどなあ」
中西と私は、顔を見合わせて立ち上がった。
(3)
去年建て替えられたというラグビー部の部室は、室内もかなり綺麗だった。
入って左側は一段高くなっており、畳が敷かれている。その上には、年代もののコタツが置かれていた。一方、右側には、ロッカーが整然と並んでいる扉にかけられているプレートの名前を見ると、一人にひとつずつ、ロッカーが割り合てられているようだ。
「あの……岡村さん、どんな感じですか?」
私達を中に入れてくれたラグビー部員、立松の言葉に振り返った。彼は農学部の3回生。家賃滞納でアパートを追い出され、年末からこの部室に住み着いているらしい。
「岡村さんなら、意識が戻って、一般病棟に移ったわよ」
「え? ほんまですか?」
私の言葉に、彼の表情がぱっと明るくなる。本当に岡村のことを心配しているようだ。
「他のOBの方は、OB会の時に顔出しはるんがせいぜいなんですけど、岡村さんは就職されてからも、ちょいちょい練習に参加してくれてはって。特別にロッカーを進呈してたんですよ。困った時には相談に乗ってくれはったりして、ほんまにお世話になってるんで……」
ロッカーがあったのか。私達は顔を見合わせた。
「ねえ、岡村さんが最後にここに来られたのって、いつ頃かな?」
私の質問に、立松は首を傾げた。
「いつやったかなあ。年末……あ、ちゃう、この間ふらっと来はりましたわ。練習には参加しはりませんでしたけどね。たしか、バレンタインの話をした覚えがあるし、2月の15日か16日か……そんなもんやったと思うんですけどねえ」
「鍵は、全員持ってるんか?」
「いえ、各学年に2人ずつ、あとは僕と部長だけですね」
中西の質問に、立松が答える。
「他の人達はどうやって中に入るの?」
「いやあ、大概、誰か中にいてますし、おらへん時には研究室行ったりして、鍵持ってるやつを捕まえるんですわ。それでも、どうしても鍵が開かへん時には、守衛さんの所に行って、頼んでスペアキーを借りてくる。そんな感じですね」
「ふうん、そうなんだ」
それぞれにやり方があるようだ。たしかうちのクラブは、ナンバー式の南京錠を使っていて、ナンバーを覚えていれば入れるようになっていた。
「で、岡村さんのロッカー、どれや?」
峰山が尋ねると、立松は指差しながら答えた。
「この列の一番奥ですわ」
「そうか。ちょっと頼まれたもんがあるから、のぞいてええか?」
「はい。いいですけど」
「すまんな」
峰山は軽く手を上げると、言われたロッカーに向かった。私と中西も後を追う。
「岡村、岡村、お、ここですね」
峰山が私達の方を見て微笑むと、「岡村」という手書きのプレートが貼られた扉に手をかけた。ガシャガシャと金属音を立てながら、その扉が開く。
着古したラガーシャツと短パンが2枚ずつ、ハンガーにかけられている。上の棚にはソックスとタオル、そして下の部分には薄汚れた巾着袋が置かれていた。
「特に何もありませんね」
しゃがみ込んで中を探っていた峰山が、振り返りながら顔を上げる。
「その巾着は何?」
私が尋ねると、彼はその袋を手に取って答えた。
「スパイクですね。ほら」
峰山が縛られていたひもをほどき、口を広げる。中にはドロの着いた黒いスパイクが入っていた。
「くっさー。岡村さん、これ、全然洗ってへんのと違います?」
峰山が顔を背けた時、手を滑らせたらしく、袋が床に落ちた。
「おいおい、人のもんやねんから、丁寧に扱えや」
中西が、袋から飛び出したスパイクを持ち上げる。
「すんません。あんまり臭くて」
峰山は涙目だ。
「これ……」
中西は目を見開いて、手にしたスパイクの中を見つめた。
「どうしたの?」
中西の後ろから覗き込んだ私は、思わずあっと声を上げた。
「どうしたんですか?」
峰山も後ろから顔を出し、そして息を飲むのがわかった。そこには、先日警察で見せられたものと同じ小刀の柄が、ひょっこり顔を出していた。
(4)
「どういうことなんでしょうねえ」
岡村のスパイクの中から見つかった小刀を前に、私達3人は腕を組んで考え込んでいた。再び共同研究室へと場所を移している。
「ほんまは、こうやってサヤに納まってるんやな」
中西が、小刀の刃先が納まった、木製のサヤを指差す。
「そうね。よく考えたら、刃が出たままでは持ち歩けないだろうし」
「ねえ、ここ見てくださいよ。『K・M』って読めません?」
峰山が示した辺りに注目した。柄の部分に、マジックで書かれた跡がうっすらと見える。
「ほんまや。あの凶器と同じ場所に書き込まれてるんちゃうか?」
「そうだね。こっちの方は使い込まれてるけど」
「例の、見つからなかった最後の1本やろうか?」
中西が心配そうに尋ねる。
「宮本佳奈子さんのものって可能性もあるわよ」
私は、小刀を見つめて答えた。
「事件が起きたのは3月1日。これが部室に置かれたのは、2月の15日か16日あたり。どういうことなのかなあ」
立松が鍵を持っている部員達に確認を取ってくれたのだが、その日以降、岡村に鍵を貸した人物は1人もいなかった。また、守衛の話でも、ここ数カ月の間、ラグビー部の鍵を持ち出した人間はいないらしい。
岡村が小刀を隠したのは、立松が最後に会った2月15日か16日頃と考えて、まず間違いないだろう。
「ああ。なんであんな所に隠してはったんかなあ」
中西が椅子の背にもたれながらつぶやく。
「しかも、隠したこの小刀と同じ型のものが、その半月後に起きた殺人事件で使われた。――まるで、そのことが事前にわかってたみたいやんけ」
「つまり、あらかじめ自分が疑われないように凶器を隠したって、そういうことですか?」
峰山が尋ねる。
「それはおかしいわ」
私は反論した。
「だって、岡村さんの手元にこの小刀がなかったせいで、現場で見つかった小刀が岡村さんのものだと思われてるのよ。逆効果じゃない」
「あっ、それなのかもしれませんよ」
峰山が顔を上げる。
「岡村さん、自分が犯人やと思われようとして、あえて小刀を隠したのかも」
「理由はどうあれ、岡村さんが事件のことを事前に知っていたって可能性は、どうしても高くなるやろ?」
中西が眉間に皺を寄せてつぶやく。
「たしか『カナコ』って幽霊、ファイルって言うたんですよね」
峰山が私の方を向いた。
「うん」
私が頷くと、峰山は続けた。
「こんなものが出て来たせいですっかり忘れてましたけど、肝心のもんが見つかってへんやないですか。とりあえず、それを探しましょうよ」
「そうやんけ。元はと言えば、それを探しに部室に行ったんや、僕ら。なのに、この小刀を見つけてもうて、話がややこしなったんや」
中西が小刀を目で見つめながらつぶやく。
「部室以外に岡村さんが立ち寄りそうな所って、どこやろなあ」
「図書館はどうですか? 岡村さん、大学に来ると、必ず立ち寄ってたでしょ?」
「どこに隠すねん。司書さんかっていてるし、あそこのロッカー、1日以上は使われへんし」
「そうか」
峰山は残念そうにつぶやいた。
「岡村さんが立ち寄ってもおかしくなく、いつまででも資料を隠しておけるところ、か」
「家でも職場でもなかったんやろ? 事情を知っているはずの『カナコ』の手元にもない、となると、大学内の可能性が高いと思うねんけどなあ」
「共同研究室は、年度末に大掃除が入りますしねえ」
峰山が周りを見渡しながら溜息をつく。
「ねえ、森山先生の研究室は?」
私は、思いついたことを口にした。
「あそこ、たしか奥の方が資料置き場みたいになってて、特に掃除も入らないよね?」
「そうやったな」
中西が嬉しそうに私の方を見る。
「行ってみるか」
「うん」
私達は立ち上がった。
(5)
「森山先生、いてはらへんみたいやな」
研究室のドアの横にかけられた名札は、不在になっている。
「ドアの桟の上とか、スペアキーが置いてあるんじゃないですか?」
峰山に尋ねられ、中西は苦笑した。
「中にはいろいろ貴重な資料が置かれてるねんで。そんなことが平気でできるんは、古代史の荒川先生くらいなもんや」
峰山が、私の方を見て「あちゃっ」とでも言いそうな表情を作る。同じく古代史を専攻している私としても、ここは同じような顔をしておくしかない。担当教諭が遅刻魔なのは、別に学生のせいではないのだが。
中西は、そんな私達の思いを無視して、さっさと歩き出した。
「となると、田代先生やな。今日、いてはるやろか」
森山教授が不在の時は、田代助教授が鍵を預かることになっているらしい。私達はおとなしく中西の後について行くことにした。
幸いなことに、田代助教授は研究室にいた。ドアをノックし、中に入る。
「おう、春休みなのに来てるのか? よっぽどヒマやねんな」
田代助教授は楽しそうに笑った。
「いえ、そうでもないんですよ。今度の勉強会で使う資料を探しに来たんですけど、森山先生がいてはらへんみたいで」
中西が適当に取り繕う。
「そうか。ご苦労さんやな」
田代助教授は、机の引き出しから、鈴のついた鍵を取り出した。
「はい、これ」
「どうもすみません」
中西は鍵を受け取って一旦帰りかけたが、何かを思いついたように振り返った。
「たしか森山先生、2月の中頃、九州かどこかに出張してはりましたよね?」
「ああ。熊本の大学から要請があってね。短期講習の講師として出てはったよ」
「その間に、岡村さん、来はりませんでした?」
「岡村君?――ああ、来たねえ。えっと、たしか……」
田代助教授はそう言うと、デスクの上に立ててあったシステム手帳を手に取った。2月の辺りを広げて指でなぞる。
「そうそう。2月の16日やね。ちょっと見たい資料があるって言うし、森山先生の部屋の鍵を渡したよ。あの時は、まさかこんなことになるとはねえ」
田代助教授は小さく溜息をついて、私の方を見た。
「で、岡村君、どんな具合なんや? 意識の方はもう?」
「ええ。一昨日、戻られたみたいです。今は一般病棟に移られて」
私が答えると、田代助教授はほっとしたように微笑んだ。
「そうか。会うことがあったら、よろしく伝えてくれよ。またお見舞いにも伺うって言うてたってね」
「わかりました」
いつになったら会えるのだろうかと思いながらも、私は頷いた。
(6)
「あかん、全然ありませんねえ」
本棚を捜索し始めてから、既に1時間を過ぎていた。
「空振りやったかな」
中西が唇を噛む。
私は、しゃがみ込んだまま辺りを見回した。本棚の他に、ファイルらしきものが置いてある場所はなさそうだ。
諦めて立ち上がろうとした時、正面に置かれたテーブルの奥の方に、押し込められたダンボールがあることに気付いた。
「ねえ、あれは何?」
中西に尋ねる。
「ああ、あれは、どっかから届いた案内状とかパンフレットとかを、封筒ごと放り込んでんねん。中見て役に立ちそうなもんは表に出すねんけど、いらんようなもんもあるやろ? せやけど、先生の知り合いから送られてきたもんを、勝手に処分するわけにはいかん。先生も、忙しくてなかなか確認してくれはらへんし、どんどん溜まっていくっちゅうわけや」
中西が大げさに溜息をつく。
「ふうん。大学の教授っていうのも、いろいろ付き合いがあって大変ですねえ」
峰山がそう言いながら立ち上がった。
「中、見てもいいかな?」
「ああ、ええけど。かなりの量やで」
「うん」
私は頷いて、テーブルの下に潜り込んだ。引っ張り出そうとするが、重くて動かない。
「大丈夫ですか? 僕がやりましょうか?」
峰山に声をかけられ、私はテーブルからはい出した。
「ごめん、頼むわ」
ひざに付いたホコリを払いながら、私は立ち上がった。峰山が代わりに中に入り込む。
「よいしょ、と」
少しして、テーブルの下から峰山の身体が現れた。ずるずるという音と共に、大きなダンボールが引きずり出される。それを見て、中西が尋ねた。
「おい、峰山、お前、ダンボールのフタに触ったか?」
「いや、触ってませんよ。横に付いてる持ち手用の穴から、手を入れてひっぱりましたから」
「ホコリの上に指の跡が付いてんねん。もしかして、この中と違うかな」
「ほんまですか?」
中西の指摘に、峰山が立ち上がる。私も段ボールのそばに駆け寄った。留められていたガムテープを外し、ふたを開ける。中には無造作に封筒が放り込まれていた。中西が、その中に手を入れ、上の方に置かれていた封筒をいくつか取り出した。
「ほんまに、送られて来たまま放り込まれてるんですね。封は一応開いてるみたいやけど」
峰山が、その封筒を受け取りながら笑う。
「おお、封筒から出してまうと、誰から送られてきたもんかわからんようになるからな」
中西はそう言うと、次の一群に手を伸ばした。
「よいしょっと」
彼はかけ声と共に封筒を取り上げた。そして、驚いたように私の方を見た。
「何も書いてない封筒が混じってるけど」
「え?」
私は、中西が持ち上げた封筒を受け取った。峰山も手を止め、その封筒を見つめる。
セロテープで軽く留められた封を開けると、中には2種類のクリアファイルと、1冊の大学ノートが入っていた。手を入れて取り出す。
「あっ」
その時、はらりと1枚の写真が舞い落ちた。
「これは……」
床に落ちた1枚の写真。そこには、赤い髪の毛にサングラスをして微笑む宮本佳奈子の姿が写っていた。
(7)
誰にも見られてはいけないような気がして、私達は中西のマンションに集まっていた。オートロックになったマンションは、見かけから受ける雰囲気通り、部屋の中もなかなかオシャレだ。オールフローリングでバリアフリー。1Kロフト付き。家賃はおそらく、うちの倍以上するだろう。
「どれから見ていきますか?」
峰山が、私達の顔を交互に見ながら尋ねる。
「1冊しか入ってへんみたいやし、そのノートから見てみたらどうやろ?」
中西の提案に従い、私はまずノートを取り出した。どこにでもある水色の大学ノートだ。表紙には何も書かれておらず、比較的新しいものという印象を受ける。
とりあえずパラパラとページをめくってみた。使われているのは最初の10ページほどで、あとはサラの状態だ。
「なんや、単語と記号が羅列されてて、わかれへんな」
中西がぼやく。
「ほんとね。他のものから見ていった方がいいかも」
「そうですね」
峰山が頷く。
私は、そのノートをテーブルの上に置くと、再び封筒を覗き込み、次に赤いファイルを取り出した。2人に見える角度で手に持つと、パラパラとめくっていく。新聞の切り抜きが多いようだ。ふちの色が変色しているところを見ると、少し古いものらしい。
「なんやろな。ちょっと気にならへんか?」
中西に言われ、今度はゆっくり、最初からファイルをめくっていく。
『1997年8月20日、毎朝新聞』
一番初めに挟まれている切り抜きには、そう書かれていた。
「几帳面そうな文字やな」
中西が腕を組む。
「岡村さんの字ではなさそうや」
私は頷きながら、記事の中身に目を移した。それは、宮本佳奈子のひき逃げ事故を報じるものだった。1ページずつ、内容をたしかめながら活字に目を通していく。犯行が行われた車両は発見されたが盗難車であり、犯人を特定するのは困難だといった記事が目に付いた。
さらにめくっていくと、今度は写真が挟み込まれていた。写真と言っても、A四版の普通紙に2枚ずつ印刷されたものだ。写真をスキャナーで取り込んだものらしく、それぞれの右下の部分にはデジタルで日付けが記されている。不鮮明で見づらいが、1997年の8月となっているようだ。
写真には、ガラスやプラスティックのかけらが散らばった道路が、色々な角度から映し出されていた。
「交通事故の痕みたいやな」
「うん」
中西に言われ、私は頷いた。
写真の空白部分に手書きで書かれたメモの内容から、宮本佳奈子がひき逃げされた現場と考えられた。中には地面にベッタリと血痕が付着しているものもあり、胸がキリキリと痛む。
「ここで佳奈子さんが……」
溜息を付きつつ、先へと進んで行く。写真のまとまりが終わると、今度は写真入りのビラが現れた。サングラスをかけた佳奈子の顔と当日着ていた服の他、前方部分が破損した黒いセダンの写真。そして、『ひき逃げ事件解決にご協力を』という文字。色々なデザインで5種類のものが挟み込まれていた。
「ひき逃げの犯人を探してたんやな」
中西が、ファイルを覗き込みながらつぶやく。
「あれ? これは何や?」
ビラのページの次には、細かく文字が書き込まれた紙が挟まれていた。レポート用紙のようだ。
「これ、目撃者からの……」
内容にざっと目を通すと、ビラを見て寄せられた情報を、整理したもののようだった。何枚か重ねられており、左隅がホチキスで留められている。
「ちょっと詳しく見てみませんか?」
峰山の提案に頷くと、私はファイルからそのまとまりを抜き出し、中身をめくった。
「この赤線、なんだろう」
書かれている文章の下には、所々に赤いラインがひかれていた。内容を見比べる。と、それぞれの証言の内容が、一致している部分であることがわかった。
「『黒い帽子をかぶった小太りの男』やて」
「目撃証言が一致してるってことですかね」
峰山が首を傾げる。私は頷きながら、最後のページをめくった。するとそこには、犯人と思われる男性の似顔絵が留められていた。
「うわ、めっちゃ似てるやんけ」
「ほんまですね。テレビのニュースで見た本村さんの顔、そっくりですわ」
中西と峰山が驚きの声を上げる。小さい目に太い眉毛、厚い唇。たしかに特徴が一致している。
私は、その束を元あった部分に戻すと、ファイルのページをめくった。
「あ、これ」
宮本佳奈子がひき逃げされた約2ヶ月後の1997年10月、本村卓治が逮捕されたという新聞の切り抜きを目にし、手を止める。
「ほんまに、頑張りはったんやろうな」
中西が感慨深げにつぶやく。
そのファイルの最後の部分には、レポート用紙が1枚、挟まっていた。『佳奈子、安らかに。岡村豊』という一文に、思わず胸が詰まる。
「この字……」
「おお。岡村さんの親父さんの字やってんな。ってことは、 このファイル、岡村さんの親父さんが作りはったってことか」
中西が頷く。
「にしても、こうやってビラまいたりして、本村さんを逮捕させたわけでしょ? もし、本村さんが殺された理由がこのひき逃げやったとしたら、犯人には、逮捕させただけではおさまらない何かがあったってことですよね?」
峰山が私と中西の顔を交互に見る。
「逮捕させただけではおさまらない何か、か」
中西が腕を組んだ。
「とりあえず、もう1冊のファイルの方も見てみない?」
私は2人に声をかけると、封筒から、黒いファイルを取り出した。