第6話
「いやあ、あのくらいしねーとよ。お前、オレっちとまともに話してくんないだろうと思ってさあ。すぐ逃げるからなあ、エルは」
青タンをたくさんこしらえた真っ青な顔で、悪びれた風もなく、さらっと言い放つハビエル。
そんなハビエルの言葉を右から左へ受け流し、私はユーリと共にハビエルの店を訪れていた。
「ほらほら、いつまでむくれてんだよ。機嫌直せよ」
「……いやだ。絶対に許さない」
「はぁ? お前、何女々しいこと言ってんだあ?」
「女々しくないよ! ていうか、なんであんなことしたんだよっ!」
「いやー、びっくりさせようと思ってな。そしたら、昨日のことも忘れるだろうとおもってよお」
「びっくり……?」
びっくり? びっくりさせるためにやっただと?
そんなことのために、私のファ……ファ……くっ! 前世でもまだだったのに!!!
無意識に拳に力が入り、ユーリが小さく悲鳴をあげる。
「あっ、ごめん。ユーリ」
「……」
謝罪の言葉を向けるも、手をつないだ先のユーリは目の焦点のあっていなければ、あんぐりと口を開けたまま呆けている。
何故だ。私のほうが放心状態になりたいのに、なんでユーリがこんなに大ダメージを受けているんだ?
つないだ手はまだ強く握られている。
先ほど用を足したくて振りほどこうとしたのだが、きつく握られた手はそれを拒み、私の手の甲に爪まで立てる始末だった。
「あんなことしなくたって、ちょうどハビエルの店に向かうところだったのに!」
「ほんとかあ?」
「ほんとだよ! ……なあ、ユーリ」
「……」
ユーリに同意を求めるが、相変わらず無反応だ。大丈夫か、コイツ……。
視界の端でアーシアがこちらに近づいてくるのが見える。
無意識に体がこわばってしまったが、小さく息を吐き落ち着かせた。
「昨日はごめんなさい。エル君」
アーシアは私の目の前まで来ると、私の目線にあわせるようにして少し屈んだ。
やさしい瞳には昨日あった戸惑いの色はない。
少し気まずい気持ちにはなるけれど、先ほどのハビエルの愚行のおかげ……とはいいたくないが、逃げたいという衝動には駆られなかった。
むしろ、このバカ亭主をちゃんと教育してくださいと言いたいぐらいだ。
「あなたを傷つけてしまったわよね」
「いえ、そのっ。俺っ……!」
言葉を放つ前に、ふわっと暖かいぬくもりに全身が包まれた。
アーシアの腕が私の背中に回り、ぎゅっと抱きしめる。
甘くてやさしい香りがした。ああ、お母さんの匂いってこれのことを言うのかもしれない。
「オレっちたちも、ここに来てあんまり長くないんだ。特殊な場所だってきいてはいたんだがな。やっぱり慣れねーもんでさあ。まあ、アーシアも色々と不安に思っちうまうんだよ。昨日はあれだ……オレっちたちの配慮不足だ。すまなかったな、エル」
「それは別に……、俺みんなに何も言ってないから……」
私の口から出た言葉は今にも消えてしまいそうな、か細いもので、自分で言っていて歯がゆいものを感じる。
どうせなら、洗いざらい言ってしまいたい。けど、それを言ったらハビエルたちの身が危ないような気がした。
正直今のこの状況だって、リュミエール王国に知られたら、ただじゃすまないんだろうけど。
ハビエルたちのため、もう、ここに来るのはやめたほうがいいのだろうか。やっと自由を手に入れたというのに。
そんな葛藤を和らげるように、アーシアが私の頭をやさしく撫でた。
「無理しなくても大丈夫よ」
「そうだぞ、エル! ほら、オレっちの胸にも飛び込んでこいよ!」
アーシアのぬくもりが離れていくのが少し名残惜しかったが、それより何よりハビエルの言葉にひっかかる。
私は両手を広げ待ち構えているハビエルを睨んだ。
「それは絶対にイヤだ!」
ハビエルに対してはやっぱりまだムカムカしたものが胸に巣食っていて、どうも反抗的になってしまう。
「あ? まだ怒ってんのか?」
「当たり前だろっ! だって……俺、だって……」
じわりと目から涙が溢れ、視界がぼやける。
ロマンチックなシチュエーションとまでは言わない。だけど、やっぱり最初はふつーに好きな人とがよかった。
ハビエルが嫌いとは言わない。むしろ好きではあるのだが、ハビエルにはアーシアがいる。
ていうか、そういう気持ちでハビエルを見たことが一度たりともない。
返せといって返してもらえるものじゃないのは分かっているけれど、やっぱり現実を受け入れるには少し時間がかかりそうだ。
「ハビエル。エル君に何をしたの? その顔の様子だと、色々あったように見えるけど……」
「あ? ああ、オレっちのいつものあつーいアレをな、一発おみまいしたんだけどな?」
こともなげに言うハビエルだが、アーシアの周りの空気が一瞬で氷点下並みに下がったような気がした。
アーシアの顔は笑顔だけれど、なんか怖い。笑っているようで笑っていない。
「……ハビエル。ちょっとこっちにいらっしゃい」
「ん? なんだ? オレっちはまだちょっとコイツにききたいことが……」
「いいから……、いらっしゃい」
店の奥のほうへ消えていく二つの影。その後、店の奥からはカゴン、ガゴンという鉄製の何かで硬い何かを叩く音が聞こえた。
すさまじい音だ。何をやってるんだろう。想像はつくけど、想像したくない。
「エル君はワンちゃんと違って、大きいのよ! なんでそういうの分かってあげないの、ハビエルっ!」
「は? 男同士だろ? そういうの気にするようなやつじゃないって、アイツはっ! って、イデッ!」
「そういう問題じゃないのっ! エル君は今、不安定な年頃なのよっ! 多感な時期にあなたって人はっ!」
「そういうもんかあ? イデッ! やめろ、アーシアっ! いたっ! イダダダダダっ!」
アーシアが私に理解を示してくれているのはとても嬉しいんだけど、人から「あの子思春期なんだから……」って言われるのってなんか恥ずかしい。
私の本体はまだ5歳だし、むしろ中身はもう成人してあなたたちより上なのですが……。
ていうか、ワンちゃんと違ってってどういう意味だろう。もしかし、ワンってハビエルに……。
私は先ほどからこちらをジッと見つめているワンに目をやる。
赤く熟したさくらんぼの実ようなプックリとした唇。少し開いたそこからは透明な液体が私を甘く誘う。
とても柔らかくて、おいしそうな……。
「はっ……!」
ゴクリと自分のツバを飲む喉の音がやけに大きく聞こえた。
なんかいけないことをしているような気がして、わたしはさっと目をそらす。
ヘンタイか私はっ!
「エル、まほう」
「は、はい。ハビエルとアーシアが戻って来てからその事は話しましょうか?」
ワンの顔がまともに見れないので、とりあえずユーリに視線を移す。
まだ呆けたままだったので、とりあえずコイツをどうにかすることから始めることにした。
「おい、ユーリ。しっかりしろっ! いつまで、そうやってるつもりだ?」
「……」
「ユーリっ!」
「……」
駄目だ。全然反応しない。どうしたものか……。
そうこうしているうちに、ハビエルとアーシアが店の奥から出てくる。
アーシアは先ほどとは変わらない、いでたちだが手にはフライパンが握られている。
ハビエルのほうは青タンにプラスされて、頭に大きなタンコブが2、3個上に重なっていた。
なるほど、やはり先ほどの音はアーシアのフライパンでハビエルを……
「ていうか、そいつ誰だ?」
「見りゃわかるだろ?」
ハビエルだってバカじゃない。私はそっけなくハビエルの問いに答えた。最初から分かっているくせに。
ハビエルはユーリに近づき、上から下まで嘗め回すように視線を這わす。そして赤く燃えるような髪をじっと見つめて、顔をしかめた。
「火の国のヤツもここに来ているのか。向こうもヤバイってきいてたが、本当だったようだな」
「え? フランメンもどこかと戦争してんの?」
「いや、戦争とかじゃねーらしいんだけどな。知り合いのフランメンのヤツが、もうあそこは人が住めるとこじゃねーって言ってたな」
人が住めない? 一体どういうことなのだろうか。でも、ハビエルも詳しくはしらないようだし……。
「リュミエールでも、この中はどこの国のヤツでも受け入れてくれる要塞だ。こいつもそうだが。そいつも身の安全を求めてやってきたんだろう」
「え? ここってただの城下町じゃないの?」
「は? ただの城下町にソルとフランメンのおぼっちゃんが来るか? 普通」
「……」
町を囲むように高く立ちはだかる強固な石の壁。結界が張られている天井のない門。
何かの進入を拒むような防御体制。たしかに、普通じゃないのかもしれない。けれど、私は他の町に行ったことがないのだから、これが普通なのかと思っていた。
「で、名前はなんていうんだ、このフランメンの坊主は」
「ユーリだよ。ユーリ=フェーリンガー。フランメンの第一皇子だよ」
「ほー、第一皇子……。第一っ!?」
ハビエルの驚いた声が店内に響く。ツバが飛ぶからバカみたいに口を大きく開けて叫ばないでほしい。
ユーリの手がビクリと動いたのを感じ見やるが、やっぱり目はまだ焦点が合っていない。
早くユーリを家に帰したいんだけどな……。
しかし、第一皇子が来ちゃまずいのだろうか。ハビエルの驚きは尋常じゃないものを感じる。
「フランメンが今、大変なんだから、きたんでしょ?」
「大変だからって第一皇子だったら、王宮のほうが絶対に安全だろ! ここに来るのはよくて第五とか六とかよお……」
そういって、ハビエルはワンをちらりとみやる。
ワンも王族だけど、ハビエルの様子からだとワンは五か六ぐらいなのだろうか。
次期国王の座に着く可能性が低いから? 五番目とか六番目は王宮で守る価値なし? ということなのだろうか。
「早く帰さねえとエラいことになるぜ、こりゃ」
「俺だってそうしたいよ。いつまでも手をつながれちゃ、トイレすら行けないしさあ」
「クソができねぇねえ。お前はお気楽でいいな、エル。ったく、とんでもねえモノ持ってきやがって」
「クソじゃないもん。小だもん」
私の抗議を軽やかにスルーし、ハビエルはユーリの前に屈むと、その無防備な顔をパシンと両手で挟んだ。
ユーリの顔はハビエルの手でほとんど隠れてしまってはいるが、隙間から見えたその金色の瞳はかすかに揺れたように思えた。
そして、ハビエルはゆっくりとユーリに顔を近づけ……
ま、まさか……こいつ。
「ハビエルっ!」
私が叫んだと同時に、ユーリの瞳が大きく開かれ、びくりと肩を大きく上下させる。
おっ、気づいたっ! だけど、このままじゃユーリが……。
私があわててハビエルをとめる前に、ガゴンっとついさっきもどこかで聞いたことのあるような金属音がし、そしてアーシアの罵声が飛んだ。
「ハビエルっ! あなたって人はさっき言ったばかりでしょ! なんで、そういう愛情表現しかできないのっ!」
「っってぇ~~~。いや、これが一番きくかと思ってだな」
「トラウマになっちゃうでしょう! それにもし、変な道に行ったらどうするの? あなた、責任とれるのっ!?」
「あ、あの……ハビエル? アーシアさん?」
ユーリの意識は戻ったのは嬉しいが、またハビエルとアーシアのいさかいが始まるのはよろしくない。
アーシアさんは身重の体だし、あまり興奮してはいけないのではないだろうか。お腹の中の子どもが心配だ。
私がハビエルとアーシアをなだめようと近づくと、それに割って入るかのようにユーリの小さいからだが私の前に滑り込んできた。
「エ、エルはオレがまもるんだからなああ!!! おまっ、おまえなんかにエルはぜったいにわたさないんだからなあああ!」
「……?」
店内が一瞬水を打ったようにシーンと静まり返る。
私とハビエル、アーシアの3人は顔を見合わせ、ユーリの行動に言葉を失った。
ユーリは目から大粒の涙を流し、嗚咽をあげている。その眼光はまっすぐハビエルに向かっていた。
「ユーリはあ、オレのぉぉぉ、ケライなんだからなあああああ!」
「だから、いつ俺がユーリの家来になったんだよっ!」
思わず突っ込みを入れるが、その後、私の足に抱きついてきたユーリを見て、何も言えなくなってしまった。
かがんでよしよしと頭を撫でてやるとユーリは私の首に腕をまき、肩に顔をうずめてさらに大きな声でなきじゃくった。
耳元で泣くな、うるさい……、それになんか肩に冷たい感触が……。
そんな私とユーリの様子を見て、ハビエルがほうと感嘆の吐息をもらした。
「かなり懐かれてるんだなあ。知り合いだったのか?」
「いや、さっき出会ったばかりだけど」
自分でもなんでこんなに懐かれるのか分からない。おそらく、迷子になって不安だったところに私がいたからなんだと思う。
ユーリが他のヤツに声をかけていれば、きっと今頃私の知らない誰かに懐いていたんだろう。
そう考えるとちょっとだけ、ムカっとした。
いやいやいや、何を考えているんだか。
ユーリを好きになったら、私の運命はBAD ENDまっしぐらだ。ヒロインとユーリを取り合う気はさらさらない。
「エル……」
「落ち着いたか?」
「うぅ……、アイツ……」
少し泣き止んだユーリは眉間にシワを寄せハビエルのほうへ涙に濡れた顔を向ける。
そんな警戒をあらわにしたユーリの態度にハビエルは両手を軽く挙げ、やれやれと肩をすくめてみせた。
「もう、何もしねーよ。そんなにショックだったのか? オレっちとエルの……」
「ハビエル」
私はハビエルの言葉を遮った。まだ私の傷は癒えていない。できれば、その件に関しては蒸し返さないでほしい。
とりあえず、顔がぐじゅぐじゅのユーリの顔を綺麗にして、ユーリに向き直る。
「ユーリ。とりあえず、お前を家に帰したいんだが、何か……家の特徴とか覚えてないか?」
「……わからない。きのうリュミエーリュきたから、よくわからない」
なす術なしか、もはやこれまで……とあきらめていたところで、店の前の通りがざわつき始めた。
何事かと思ってそちらを見やれば、遠くのほおから「ぼっちゃまぁぁぁぁぁぁぁ」と男の叫び声が近づいてくる。
先ほどのハビエルのこともあり、遠くからきこえる雄たけびに、私は反射的に全身を緊張にみなぎらせた。
だが、そんな私とは裏腹に、ユーリはその声をきくないなや、ぱっと顔をあげ、とことこと店の外のほうへと向かっていく。
一応何度か読み返してはいるものの、おかしいところが結構あって悶えています。
序章はようやく折り返し地点です。ハビエルは最終的にキス魔となりました。ワンがそれの餌食になっていて、将来が非常に不安ですが、温かく見守ってやっていきたいと思います。