第2話
あれからさらに月日が経ち、私は5歳の誕生日を一人で迎えた。
とうとう来たのだ。ユーリに出会う年が。でも、具体的にいつ出会えるのかはわからない。
「ふあー、今日もいい天気だなあ」
朝の陽光が天井に近い窓から私の部屋を照らす。
ご飯はいつも同じ場所に、決まった時間に現れるようになっていた。
つくづく魔法とは便利なものだと思ってしまう。献立はいつも栄養バランスのよく考えられた、野菜中心の食事。
設定がヨーロッパ風となっているせいか、パンやスープ中心の朝ごはん。
たまにはTKGが食べたいが、この世界に米という食文化があるかどうかが謎だ。いままで米というものが食卓にのぼったことはない。
もちろん、卵の生食も、魚の生食も出たことはない。いつか食べたいな、白いご飯。
私は寝間着から部屋着に着替え、自室を出た。
私にとっての大きな要塞。国立魔法図書館の隅っこの一角に私の部屋は存在する。
小さな部屋だが、本棚に机、ベッドが完備されている。
クローゼットにはいつも真新しい洋服が整備されていた。
ちなみに、クローゼットが洗濯機代わりになっているらしい。
このクローゼットに入れると、誤ってスープをこぼした洋服も、取り出すときにはピカピカになっている。
どれも淡い色をしたワンピースで、装飾などは一切施されていない。
この世界の装飾品というのはどれも魔力を帯びているらしく、私が身につけるとその装飾品は粉々になってしまうらしい。
この間、どこかの貴婦人が落とした宝石を拾ってみたら、一瞬にして砂になり、手のひらからこぼれおちてしまった。
あの時の虚しさったらなかった。思わず、『なんじゃ、こりゃあぁぁぁぁぁ!』なんて言ってブルブル手を震わせてみた。
なんて、恐ろしいんだ……私。
「さて、今日は外で何をしよう」
つい最近知ったことなのだが、私はどうやら外に出れる……らしい。
この図書館の仕組みを知れば、どうってことのないことだった。
まず、忍者の如く分身の術を使う。分身の術という名前ではないが、とりあえず私を二つに分裂させる。どちらの意思も私だ。
一時に二つの視点があるから、最初は頭がくらくらしていたが、どちらかに意識を集中させれば、そんなめまいのような感覚はなくなる。
次にもう「一人」の私が外に出る。まあ、これで私は外に出られる。
結界はどうした? とか、センサーにひっかからないのか? という疑問はあるが、この図書館の仕組みというのは、私という呪われた子どもが「1人」外から出られないようにするための
ものだ。
だから、私が「1人」この図書館の中にいれば、結界は張り巡らされない。
結界が張り巡らされるのは、私が外へ出る通路のある一線を越えたとき、「1人」も図書館に「私が」いなくなったときだ。
それ以外はこの図書館に結界は張られない。
昔、その一線を越えた瞬間、5メートル先に見えない透明な壁が突如現れ、そこから一歩も先へ進めなくなってしまったことがある。
それなら、その5メートル先の見えない壁が貼られる前に通り抜ければいいのではないか。
と思っていたのだが、そのまた1メートル先にもまた結界が生み出され……。
それなら、それよりももっと先へ行けばいいじゃないかと思い、さらに先へ行くもまた見えない壁が立ちふさがった。正直きりがなかった。
格闘の日々は続いたが、しばらくして飽きてまた魔法書を読みふける日々が続いた。
そんなある日、魔法書に分身の術みたいな魔法を見つけ、それを試してみたらまさに大当たりだった。
当初はセンサーみたいなものが、通路にあるのかと思っていたけれど、そうじゃなくて、ラムネの瓶がこの図書館だとして、その中に入っているソーダ―水がこの魔法学校の中の空間とする。
そのソーダ―水の中から、ビー玉がなくなれば結界が作動する。ビー玉が中にあれば結界は作動しない。とまあ、こんな感じである。
ビー玉が一時2つになるが、それは異常とはとられないらしい。
なぜなら、「魔法の使えない」ヤツは分身の術なんて使えないのだから。
個体が2つに増えると作動するなんて、そんな余計なオプションはつけないのも当然だ。
だから、魔法が使えないはずなのに、「魔法が使える私」にはなんの意味も持たない結界である。
「フィーア」
最近覚えた短い呪文を唱える。本当はもっと長いのだけど、面倒くさいので省略している。
少し前の女子高生が「チョーベリーバット」を「チョベリバー」と言うような感じだ。
魔法の動力である魔素に伝われば何でもいいらしい。もし、魔素に人間みたいに物が言うことができれば、きっと「省略すなっ! 分かりづらいだろうがっ!」ってたぶん怒られていると思う。
ちなみに、フィーアというのは変身魔法である。
さすがに5歳児の体で外に出るのは怪しいので、15歳くらいの少年の姿に変身する。
女の子でもいいんだけど、やっぱり世の中物騒だし、男の子のほうがきっと安全だよなあ。安直すぎるだろうか?
しかし少年姿にワンピースっていうのもシュールなので、洋服もなんとか生成しなければならない。
魔法を帯びたものは砂になってしまうので、初めはワンピースを別の服にしたら砂と化してしまうのではないかと思ったが、ギリセーフらしい。
何が基準か試してみたいけど、宝石なんて大層なものをそう易々を貴婦人も落としていってはくれない。
「やっぱり、あの恰好が一番かな。前もあの恰好だったし……」
図書館にきていた人々を見ていたので、この世界の人がどんな服装なのかはだいたい知っていた。
中世のヨーロッパのような装いが標準的で、スーツ姿にネクタイというサラリーマン風は皆無である。
そりゃそうだよね。ファンタジーの世界にスーツ姿のサラリーマンなんて出したら、世界観台無しだ。
たまーに、全身鎧で武装した人なんかも来る。仕事の合間に図書館で生き抜きでもしてるのだろうか。
脱げばいいのに、その鎧、っていつも思う。
あと、ごく稀にだけど、異国の民もここへ来て、妙な衣装でこの図書館内を闊歩していた。
ちなみに私が一番好きな衣装はアラビアン風である。
オプスキュリテ王国という闇の王国というのがこの世界の極東にあるのだが、そこの民はアラビアンな服装をしている。
頭にターバンを巻いて、上半身は体にぴったりとした肌に密着した服なのに、下はゆったりとしたズボン。
靴はつま先が少しクルンと内側に巻いている。転生前、日本という国で育った私にはもうコスプレにしか見えなかった。
それに少年の姿に変化した私がアラビアンな服を着ると様になるんだよね。
少し肌を褐色にして、額になんか赤いルビーっぽい宝石をつければ、魅惑のアラビアン美少年である。
黒のぴっちりしたシャツに、ぽわんとした白いズボン。金色の縁取りがしゃれおつな黒の靴。
とてもエキゾチックで見ている私もほれぼれするんだけど、この黒髪で外は歩けない。100%の確立で呪われてる者ってばれる。
髪の色だけは魔法で変えられないらしかった。
どの文献にも髪の色は変えることができないと載っていて、変えられなければかぶればいいと思い、今鋭意「ヅラ」を制作中である。
姿かたちは変えられるのにおかしな話だ。
仕方ないので外に出るときは麻で出来た白いターバンを巻いている。通気性も抜群で、なかなか着心地がいい。
今日で3回目となる城下町への外出。図書館から少し歩くのだけれど、その道のりもずっと図書館の中にいた私にとってはどれも新鮮だ。
緑色の木々たちや草や花を見ながら歩くのがこんなにすがすがしいなんて、前世では思いもしなかった。
自由ってなんてすばらしいんだろう!
町は高さ10メートルぐらいの石の壁でぐるりと囲まれている。町に入るにはところどころ壁が途切れている「天井のない門」をくぐるしかない。
門には扉がついていないので、誰でも入れそうだけど、実を言うとこの門には特殊な結界が張られている。
盗賊や山賊、指名手配犯などは入ってこれない。それと一定の基準以上の魔力を保有する武器や装飾具もはじかれる対象となる。
何も知らずに通った私は……通れたわけで、後でその事を知ったときぞっとしたのは言うまでもない。
門をくぐるとすぐに食べ物屋や武器屋が軒を連ねる大通りに出る。
通商「リュミエール街道」と呼ばれるここはこのリュミエール王国にあるどの大通りよりも活気に溢れている通りだ。
ここでそろわないものがあるとしたら、どこにいったって手に入らないとも言われている。
「よう、エル! 今日はどこへ行くんだあ?」
食べ物屋から放たれる甘酸っぱい果実のにおいや肉の香ばしい香りに誘われ無意識に体がそちらへ引き寄せられそうになったとき声をかけられた。
転生後、生まれて初めてまともに会話をした相手。この町で一番はじめにできた知り合い。武器屋のハビエルだ。
体はとてつもなく大きく、筋肉馬鹿、脳筋、プロテインしか飲んでないんでしょ? といっても褒め言葉にしかならないであろう筋骨隆々とした体躯。
日に焼け黒光りした二の腕を惜しげもなく袖から出している。
黄色みがかった白髪だけれども年老いているというわけではない。生まれたときからこの色らしい。
顔は20代前後といったところか、シワもなく若々しく、堀の深い精悍な顔つきをしている。
「おいっ! なんで逃げるんだよ!」
「なんで、追いかけてくるんだよ!」
ブンブンと手を振りながらかけてくる姿は雄牛にしか見えない。さながら私は赤い布を持った闘牛士だ。
バビエルは無害なヤツだということは知っているけれど、逃走本能がそれを許してくれない。
「逃げるなって! 今日もオレっちの店手伝ってくれよ。 お前がいると売上げがいつもの3倍になるんだよ!」
「えっ! っとっととっ! うぉっ!!」
その言葉に私は足を止めた。急に止まったせいで、前のめりになった直後、盛大に転ぶ。
あたりに砂埃が立ちこめ、服が砂だらけになってしまった。
「おい、大丈夫か?」
「うぅ……」
駆け寄ってきたハビエルがすかさず私を抱き起こし、汚れてしまった洋服を魔法で綺麗にしてくれる。
「ありがとう」
「そんなに逃げることないだろう。とって食いやしねえよ」
「だって、追いかけてくる時のお前、めっちゃ怖いんだぞ」
「すまんなあ。だって、お前すぐどっかにいっちゃうだろ? こっちも必死でさあ」
ひざ小僧から血が出ているけど、ハビエルは治癒魔法は使えないらしく、ペッと指につばをつけ膝に触れようとしてきたので、あわてて逃げる。
「自分で治すから大丈夫!」
「まーた、お前は逃げてばっかで。魔力は有限なんだぞ? 大事に使え大事に!」
私の服をきれいにした魔法を、今さっき使ったばっかりのやつがそれを言うか? と抗議する間もなく、腕をつかまれ、べっとりと膝に粘液をつけられる。
き、汚い……っ!
うなだれてしまった私を見て、ガハハハハと腰に手を当て盛大に笑うハビエル。
太陽のように輝かんばかりのまぶしい笑顔は、さすが光の国に住んでいる民だなあと思う。
「じゃあ、ちょっくら飯でも食って、店に行くか」
「まだ、朝だよ。朝ごはん食べたんじゃないの? アーシアに怒られるよ」
「だから、わかってるだろ?」
「内緒? 夫婦間の隠し事は後々大きな火種になるんだぞ」
「おーおー、ちびっ子が何ご大層なことを言ってんだか。怖いねえ、今の子どもは」
「子どもじゃ……っ!」
子どもじゃないと喉の奥まででかかったが、なんとかこらえる。
こんな適当な人だけど、私にとってハビエルは恩人といっても過言ではないのだ。
「最初ここに来た時は、借りてきた猫状態だったのによお」
ポンポンと優しくあたまをたたかれ、私はふと数日前の事を思い出した。
5年間、誰とも話すことのできない生活を虐げられてきた私は、他人との接し方をすっかり忘れてしまっていた。
ここへ初めてきた時、すれ違うお店の人たちに声をかけられても、「あ、う……その……」としか返事をすることができずにいて、オロオロしていた私。
そこへハビエルが豪快な笑い声でバシっと背中をたたいてくれたのだ。
やっぱり自分はゲームのシナリオどおり、あの図書館の中で時が来るのを待つしかできないんだ。
ユーリに出会い、好きになって、妹のハンナをいじめて、それからどこかわからない場所につれていかれて、この命が尽きるのを待つことしかできないんだ。
そんな言葉が頭の中をぐるぐる駆け巡って、周りの声がいつしか聞こえなくなって、目の前が真っ暗で。
まるで自分で自分の殻を作って、その中に入り込むように肩を落としていた。
そんな私に痛快な一発を浴びせたのだ、ハビエルは。
まるで励ますかのように。しっかりしろ! まだ始まったばかりじゃないか! って。
だけど、その励ましはたとえ少年の体に変身した私でも、度を越す強さだった。
だから、思わず、
『痛いじゃないかっ!』
と怒鳴ってしまった。
あたりがシーンと静まり、ハビエルもきょとんと眼を丸くして私を見ていた。
ハッと気づいたときには時すでに遅く、周囲の視線が自分に集まっていて、針のむしろ状態だった。
この国には年上を敬うのが絶対であり、子どもが大人に口答えするなんて言語道断。
本でこの国の歴史を読んで、ちゃんと頭に叩き込んでいたはずなのに、すっかり失念してしまっていた。
『あ、あの、ごめんな……さ』
『こーら、ハビエル。子どもいじめて喜ぶなんて、お前いくつだい?』
『るせー! ていうか……』
周囲がわっと笑い声に包まれていた。今度は反対に私がきょとんとする番だった。
ハビエルの横に来た恰幅のいい白いエプロンをつけたおばさんがハビエルの頭をバシバシとたたいている。
い、痛そう……。
ハビエルはたたかれた頭をさすりながら恨みがましそうな眼で、言葉を続けた。
『お前、しゃべれるじゃねーか。てっきりこっちの言葉しゃべれないやつかと思ってジェスチャーで話しかけたのによ』
叩くのがジェスチャーなのか、この国は……とぞっとした。
その後、ハビエルに連れられて、ハビエルのお店――武器屋に連れてこられたわけで。
とりあえず、さっき突然叩かれたとは言え、年上に対して無礼な言葉を放ったことをわびると、ハビエルは不思議そうな目で小首をかしげた。
『だって、この国は年上の人には絶対服従って、本に書いてありました』
『お前、いつの時代のこと言ってんだ? それは、前々国王時代の話だろ? 100年以上前だぜ? それ』
どうやら、私の知識は100年以上のものらしい。『近代リュミエール王国』という本にはそう書いてあったのだが……
近代といっても、当時にとっては近代でも、今となっちゃ古代ってことか? くそう。出版された年を確認するべきだった。
『ていうか、オレっちに敬語なんてやめてくれよ。近所のガキたちもオレっちにそんな口きくやついねえんだからよ』
『いや、でも……』
『敬語使ったら、鞭打ちの刑だ』
『はっ!?』
『イヤなんだよ。そういうの。壁があるって感じでさ。オレっちのわがままだと思って、な?』
『は、はあ。それなら』
そんなわけで、私はハビエルに敬語を使うのをやめた。
最初はなれなくて、たどたどしかったけど、今じゃもう年下を扱うかのごとく、タメ語で話している。
精神年齢上は絶対にハビエルより年上だから、これが普通といえば普通か。
「よし、じゃあ、食いに行くか!」
「……」
「おい、エル!」
「え? あぁ、何!?」
ハビエルの声で現実に引き戻された。あの時の記憶はまだ鮮明すぎて、何度でも思い出せる。
「何ボケーとしてんだ? そんなんじゃ荷車に轢かれるぞ? つーか、轢かす」
私を軽々と小脇に抱え、大通りに放り投げる素振りをする。正直怖い。浮遊魔法を使って空を飛べば轢かれることはないだろうけど、このスピード感のある上下左右に振られる感じ……。
遊園地によくあるアトラクションみたいで怖いし、朝食べたパンがリバースしそうで気持ち悪い。
「うわっ!や、やめてよ、荷車壊すよっ!」
そう私が叫ぶと、ハビエルはぴたりと動かす手を止めた。そして、ゆっくりとした所作で私を地面に降ろすと、ムスっとした表情でつぶやいた。
「……お前が言うと洒落になんねーよ」
ハビエルは私が相当魔術に長けていることが分かるらしい。
私は誰がどれくらいの魔力を保有しているか分からないんだけど、低い魔力保持者は高い魔力の保持者にあったとき、何かビビっと感じると言っていた。
じゃあ、私もいずれ自分より強いやつにあったら、ビビっとくるのだろうか。
できれば、この世界で一番強いの魔術師になりたいと思っているので、それがこないことを祈りたいんだけど。
「よし、ヌガーでも食うか」
「安いもんね」
「来年、子どもが生まれてくるからな。あまり贅沢はできねえんだよ」
ちなみに、ヌガーというのはお粥みたいな食べ物で、お米ではないらしいんだけど、なんか粒粒した歯ごたえのある豆が入っていて、全体的に茶色い。
噛むと甘みが出てきて結構おいしい。
この国の一般的な朝ごはんらしい。図書館で出てくる料理ってやっぱり、貴族が食べる料理なのだろうか。
ヌガーは一度も出たことがない。
そんなわけで、私とハビエルはヌガー屋へと行くことになった。