Welcome to our house
これまでの住処と同じようにそこそこの大きさの住宅を想像していたのだが、予想に反して随分とこじんまりした質素な小屋が一つだけぽつんと建てられている。
「これが家?小屋の間違いじゃあ、「まあ!なんて素敵なお家でしょう」……無いのか」
エルネインの喜びようを見れば一目瞭然だ。間違いなくこの小屋もといお家はエルネインの為に建てられたのだろう。
「気に入ったかな?」
「ええ、勿論!中に入っても良いですか」
「自由に見ると良い。荷物も部屋に運んであるから」
「はいっ」
たたたっと駆けていくエルネインを目で追いかけながら、クロシュは幸せの絶頂にあった。自らがエルネインの為に設計し、家具の一つ一つも全て自分で選んで決めた。それをエルネインが喜んでくれるのだから、こんな幸せな事はない。
「道理であんたが緑の国まで足を運ぶ訳だよ。あれ全部、アーレスの木だろう?」
緑の国の中心に位置し、豊かな土壌を育むアーレスの森。そこで伐採される本数は国の規定で定められており、滅多なことでは市場に出回らない事で有名だ。出回ってもほんの一部でさえ法外な値段で取引されている。ゼファが一目で見抜いたのは、どんなに加工されても仄かな燐光を放つという特性を持っているからだ。加えて火や水にも強く、軽い衝撃ではびくともしない。獣除けにも最適で、これならばクロシュがいない間もエルネインは安全だろう。
「確保するのは苦労したけれど、その甲斐はあったよ」
「だろうな」
クロシュのエルネインを見つめる眼差しは何処までも優しい。クロシュのこんな顔を見られただけでも来て良かったと少しだけ思ったゼファだった。それは直ぐさま撤回することになるのだが。
エルネインの朝は早い。外がまだ白い霧で覆われている時分から起き出し、すぐ目の前に広がる小さな湖から朝に必要なだけの水を汲む。竃に棲んでいる火蜥蜴に火おこしを頼み、届けられた新鮮な野菜や肉を刻んでいく。配達人を見た時は驚いたが、(なんと、エルネインが働いていた治療院に毎日やって来ていた警邏兵のギルシュだった!)今では食材を届けられる事にも慣れた。鍋にスープを作り、ローストした肉を皿に切り落とし、昨日作ったパンの中にハムや野菜を挟んでいく。家の主と客人は一体細い体の
何処に入るのか疑問なほどよく食べるので、食事の用意をするだけでも一苦労なのだ。だがそこは、大勢の子供達と暮らしていたエルネインにとっては造作もないこと。火加減を火蜥蜴に任せ、主を起こしに行く。クロシュは部屋の大半を占める巨大なベッドで眠っている。普段は一つに纏められた長い黒髪が枕の上で扇状に広がって、顔の半分を隠している。けれどもその程度ではクロシュの美しさを損なうことはない。寧ろ、カーテンから零れる朝日と相待って、美しさの他に神秘をも窺わせる光景だった。
「クロシュ様。朝ですよ、起きてください」
「……」
決して寝起きが悪いわけではないのだが。今度は少しだけ呼ぶ声を大きくして、軽く身体を揺する。
「朝ですよ。起きてください!」
重たい瞼が少しだけ開き、エルネインの姿を認めると、再び閉じてしまう。伸びてきた両手がベッドに腰掛けていたエルネインを浚い、腕の中に閉じ込めてしまう。
「……もう少しだけ、このままで」
すり、と頭に頬を寄せ、背中に流されたエルネインの髪を手の中で弄ぶ。
「駄目ですよ。今日はお出掛けになるのでしょう?」
数日に一度、クロシュはゼファと何処かに出掛けていく。しかし、半日もしない内に帰って来て、後はいつものように本を読んでいるか、エルネインに付いて手伝ってくれる。クロシュに出会ってから今まで、彼が仕事をしているのを見たことがない。それでいて衣食住には全く困らず、着る服も頻繁に新調することから、恐らくクロシュはかなり身分が高いのだろう。現在は療養中だが、遠くない将来には元の生活に戻るはずだ。そうなれば、エルネインは御役目御免となり、一人で生きていかなければならない。
(寂しい、な)
これまでは大勢の兄妹に囲まれて、今はクロシュとゼファが居てくれるけれど、この先は一人なのだ。そう考えると何だか寂しくて、もう少しだけこのまま過ごしていたいと思う。
「止めました。そんな顔をした貴方を置いていけるわけがない」
背に回された腕に力が篭る。
「……大丈夫ですから行ってください」
「嫌だ。これは私の我侭です。今日は貴方の傍に、いえ、貴方が私の傍にいてください。良いでしょ、エル?」
「仕方ないですね。今日だけですよ」
「ありがとう、エル」
触れるだけのキスが頬に落とされる。
礼を言うのはこちらの方だ。それでも言葉にするのは何だか恥ずかしくて、代わりにクロシュがしてくれたように触れるだけのキスを贈る。
「ご飯、出来てますから仕度が終わったら来てください!」
クロシュの真っ直ぐな視線から逃れる為に、口早に用件を告げて扉を閉める。顔が火照っているのはきっとクロシュから与えられた熱のせいだと言い訳しながら、エルネインは次なる扉を叩いた。
エルネインの作った料理を存分に味わった後で、クロシュが口火を切った。
「というわけだ。今日はお前一人で行ってこい」
「はあ?意味わかんねぇ。つか、あんたがいなけりゃ俺一人で行ったところでだな、」
「伝書鳥くらいには役に立つだろう」
「……いいのか?」
「ああ。今はエルの方がずっと大事だ」
何か感じるところでもあったのか、それ以上ゼファが引き下がることはなかった。結局、追い出されるようにして出掛けたゼファだが、彼は自力ではここまで辿り着けないのを失念していた。