In the coach
さくさく話が進んでいきます。
「いいわね、ネイン。ゼファ様の言う事をしっかり守ること。あの方ならきっと、あんたを悪い様にはしないと思うから」
「分かったわ」
一人暮らし用に借りた住まいは何時の間にか引き払われ、運んでおいた荷物は既にクロシュの家に送られたらしい。あまりの手際の良さに、エルネインは素直に称賛していたが、レアーナは舌を巻く思いだった。
エルネインはまだ幼かったから憶えていないだろうが、レアーナはクロシュの事を憶えていた。当時から大人びた思考を持っていたレアーナは、立派な青年がまだほんの子供であるエルネインを本気で口説いていたのを知っている。その後、どういう訳かぱったりと姿を見せなくなったので安心していたのだが、クロシュの執念深さはレアーナの予想を越えていたらしい。エルネインには可哀相だが、クロシュの手から逃げ出すのは最早不可能。レアーナに出来るのは、エルネインの幸せを祈ることくらいだ。
最後まで細々とした注意をすると、諦め混じりに馬車を見送った。
クロシュの住まいは王都の背後に聳える巨大山脈の中腹にあるらしい。
「とても静かな所なので、滅多に来客がやって来ることもない。エルが嫌なら、王都の方にするけどどちらがいい?」
「クロシュ様のお好きな方で構いませんよ。ですが、療養するには穏やかな住まいの方が良いのではないでしょうか?」
「貴方はそんなにも私と二人きりになりたかったのだね!ああ、早く私達だけの愛の巣へ帰ろう!」
「てめぇだけで帰れ!このボケが」
口付けようとするクロシュの身体をゼファが動いている馬車から蹴落とす。この遣り取りも既に何十と繰り返されていたので、エルネインは眉をハの字に曲げただけだ。
「王都の方が良かったでしょうか?」
「ん?いや、俺も山の方に賛成だな。王都だと厄介な連中に見世物にされそうだしな」
「見世物?ああ、確かにクロシュ様は綺麗ですから」
「どっちかっつーと、あいつよりエルの方なんだが……まあいいか」
「ゼファ様?」
「こっちの話だ。気にすんな」
「はい」
大きな掌が頭を撫でる。ゼファの息子辺りは子供扱いするなとあからさまに嫌がられたが、エルネインは嬉しそうに受け入れるものだからつい撫でてしまう。
「いつまで私のエルに触っているんだ、お前は!」
「エルはあんたのじゃねぇだろ」
復活したらしいクロシュが、エルネインに乗せられていた手をはたき落とす。赤くなった箇所を摩りながら、ゼファは言い返した。
「私のだ。全く、エルも嫌なら拒否しないと」
「嫌じゃないです。何だか”おじさん”みたいで嬉しかったですよ」
「おじさん……」
外見だけならエルネインと数年しか違わないように見える筈なのに、おじさん扱いされて何となくショックなゼファ。クロシュもまた、途端に不機嫌になる。
「あんな男のことなんて忘れてしまいなさい。貴方は私だけ見ていればいい」
「……何でそんな事を言うんですか。”おじさん”を悪く言うクロシュ様は嫌いです」
険悪な空気は波紋を呼び、拗ねたエルネインはクロシュを見もしない。
「エルが……エルが私の事をキライ……嫌い……」
これに慌てたのはゼファだ。
「エル!頼むから今すぐ撤回するんだ」
「嫌です」
「ああもう。おい、クロシュ!このまま暴れると余計に嫌われるぞ」
「……っ!それは嫌だ。断固拒否する!だからっ……私を嫌わないでください」
恥も捨てて少女に追いすがる姿はとても情けない。普段とのギャップに、ゼファは大笑いするのを我慢しなければならなかった。
「クロシュもこう言ってる事だし、許してやってくれ。こいつも悪気があったわけじゃなくて、拗ねてただけなんだ」
「拗ねて?」
「自分がエルの一番じゃなきゃ嫌だ~ってさ」
子供のような言い分に、エルネインは大人気ない自分を反省した。
『男はいつだって子供なのよ』
八百屋の女将さんがそう言っていたのを思い出す。
「ごめんなさい、クロシュ様。私も大人気なかったです」
「あ、ああ。私こそ取り乱して悪かった」
「はい。じゃあこれでおあいこです。仲直りしましょう」
一転して笑顔で差し出された手に、クロシュは珍しく困惑した。仲直りの握手というものを知らなかったクロシュはどうすれば良いのか分からなかったのだ。ゼファに助けを求めても首を横に振るばかりで、答えを得られない。
「やっぱり許して貰えませんか?私のこと、嫌な子だって嫌いになりました?」
「そんなことはないっ!私がエルを嫌うなど、ガジェインの山が噴火してもあり得ない!」
「じゃあ、握手しましょう」
「あくしゅ?」
「はい。こうやって」
クロシュの右手を持ったエルネインは自分の右手と合わせて軽く握る。
「成る程。これが握手か」
握った手をそのままに、クロシュは自分の方へと引き寄せる。胸の中に収まったエルネインへと蠱惑的な微笑みを向け、長い指が色付いた唇をなぞる。
「だけどね、エル。仲直りにはこれだけでは不十分なんだ」
「え?そうなんですか?」
「ああ。本当の仲直りはこうやって」
「おっと手が滑ったー(棒読み)」
首を折らんばかりの衝撃が横から襲う。今度こそ間一髪で避けたクロシュだが、ゼファの思惑通りにエルネインとの距離が遠ざかってしまったことに小さく舌打ちするのを忘れない。
「いい加減席に座れ。邪魔だ」
「へーへー。言われなくても野郎に抱きつく趣味はねぇよ。……おい、道が反対だぞ」
クロシュの住居があるのは、王城の東にある筈だが、進路は西に向いている。
「問題ない。というか、いつまでお前はついて来るつもりだ?」
「落ち着くまでは当分居るつもりだけど?」
「帰れ。今すぐ帰れ」
「酷いぜ、クロシュ。こんな森の中に置いてきぼりなんて……エルからも言ってやってくれ」
「ゼファ様が可哀相ですよ、クロシュ様。せめて乗合馬車の通っている所までは送って差し上げないと」
「その通りだ。エルは優しい子だね」
「え?いや、流れ的にそこは引き止めるところだろ?」
「エルは私と二人きりが良いそうだ。理解したら早く帰れ」
「それはあんたの妄想だ。……なあ、エル。俺がいたら邪魔か?」
「いいえ。嬉しいです」
「エルっ!?」
「だよな~。じゃあ決まり。俺も一緒に住むよ」
「そ、そんな。エルは私だけでは不満なのか?」
「姉さんが、結婚もしていない男女が一つ屋根の下で住むのはいけないことだと」
先手を打ってレアーナがエルネインに吹き込んだらしい。この分だと他にも色々とクロシュにとっては有難くない事を吹き込まれているのだろう。最後の別れの時間を作ってやったのが間違いだった。
「残念だったな。……と、着いたようだな」
「あ、おい待て!」
クロシュの制止を無視して馬車から身軽に降りたゼファは、驚きのあまりに絶句した。
サブタイトルの英語が合っているのか、かなり不安…。
著者は英語駄目人間です。
間違っていたら指摘してやってください。




