What is marriage?
夏休み最後の二週間で仕上げた突発。
ゲロ甘が書きたかったんです。
お菓子を持ってよくやって来るお兄ちゃんは優しくてみんなの人気者。でも、エルネインだけは違った。だって既にエルネインの王子様は他に居たのだ。
「愛してるよ、私のエル。どうか私と結婚してほしい」
そう言われる度にエルネインはごめんなさい、と首を横に振った。
「エルの王子様はおじちゃんなの」
エルネインの王子様は、過去に助けてくれた猟師だった。毛むくじゃらの太い腕で抱っこされるのは大好きだったし、殆どが髭に覆われてちょこんと覗く目がエルネインを見ると微かに緩むのが可愛い。
院長先生がする寝物語に憧れていた当時のエルネインにとっては、お姫様である自分を助けてくれた王子様こそ猟師のおじちゃんなのだった。
それでも、お兄ちゃんは諦めなかった。けれども、エルネインが首を縦に振ることはなかった。何十度目かの平行線を辿り、滔々エルネインが折れた。
「いいわ。じゃあもしお兄ちゃんが国一番の剣士になれたら結婚してあげる」
それは寝物語の一つに擬えた言葉だった。身分の差を理由に断るお姫様に騎士が言う、『もしも姫のお父上に認められる国一番の剣士になれた暁には私と結婚してください』と。
守れる筈のない結婚の約束をして後。二度とお兄ちゃんがやってくることは無かった。
黒の竜が治めるライカン王国の北、隣国との国境線を果たす広大な森の近くに栄える小さな街の神殿でエルネインは暮らしている。それも今日、成人になる15歳までで、明日からは一人生活が待っていた。
「朝から済まないね、ネイン君。ここはもういいから着替えておいで」
「え、でも」
「包帯を変えるくらい私でも出来るさ。今日は大事な日なんだから遅れたらいけないよ」
そう言われたら大人しく従うしかない。成人の儀は同じ敷地内で行われるが、その前に孤児院のみんなが作ってくれた晴着に着替える必要がある。二年前にエルネインと同じように孤児院を出たレアーナが特別な化粧を施す為にわざわざ朝から出向いてくれているのだ、みんなの好意を無碍には出来ない。治療院を出ると、エルネインは小走りで裏庭に回った。
白い生地に白糸で細やかな刺繍を施された衣装はエルネインの銀の髪に良く映えた。普通なら濃い色を載せる化粧もあえて薄くすることでエルネインの透き通るような美しさを上手く引き立てている。レアーナは満足のいく仕上がりにやたらとエルネインを褒めちぎる。
「とっても綺麗よ、エルネイン。私が男だったら迷わず襲うわね」
「よしてよ、姉さん。姉さんの腕が良いからそう見えるだけ」
「あ~ら、だったら鏡をご覧なさい。ほら」
勧められるまま、エルネインは全身が映るほど大きな鏡の前に立ち、はっと息を呑む。
「……これが私?」
「んふふっ。そうよ。さあ胸を張りなさい、ネイン。貴方も今日から立派なロスェーナの子よ」
家族ネームのない孤児院の子供達は、成人を機に国で最初に孤児院を創ったという黒の王妃の名を借りてロスェーナの名を与えられる。その名は彼等の誇りであり、決して卑下するものではない。
この日の為に用意してくれたレアーナやみんなに感謝しながら、エルネインは儀式に臨んだ。
儀式を見守るのは孤児院の幼い弟妹達とこれまで育ててくれた神官、それにレアーナだけの質素なものだ。普通は近所や一族総出で祝われるので、規模から考えればとても小さい。けれども、エルネインにとってはそれだけで十分だったし、何より儀式の後で報告に向かった治療院の患者達から祝いの言葉を貰ったことが嬉しかった。
「あんなにちいこかった嬢ちゃんが大きくなって」
「うちの孫なんかどうだい?ちょっと無愛想だけど、良い子なんだよ」
「婆さんとこの孫は、向かいの花屋んとこの娘に惚れてるって話じゃねぇか。そんな奴んとこより俺のところに来いよ」
「お前の薄給じゃ、養うだけで精一杯さね」
周りを囲んでいた老人達にげらげらと笑われ、若い兵士はすごすごと引き下がっていく。
「あら、私も働くからお金が無くても大丈夫よ?」
「男は養う甲斐性あって一人前なのさ。憶えておおき。結婚は愛だけじゃ出来ん」
「分かったわ。ちゃんと資産を大事にしなきゃ駄目なのね」
「何吹き込んでるんだよ婆さん。愛の障害の前にはそんなもんいらねぇよ」
「いいや、お金だね。駆け落ちなんぞしたって二人して途方に暮れるのがオチさ」
「愛だ!」
「お金さね!」
「顔も大事だろう」
「なら器量も重要だな」
「あら、やっぱり身長よ」
やんややんやと周囲も騒ぎ、次第に収集が付かなくなる。挙句に身内の結婚の愚痴にまで至り、エルネインは両手を叩いて注意を惹く。
「皆さん、落ち着いてください。つまり、結婚には愛とお金、賢くて容姿端麗で器量と身長と甲斐性と身体の相性があれば良いのでしょう?」
「……ううむ。そんな男がおるかの?」
「無理でしょう」
「「先生?!」」
「鐘六つはとっくに過ぎてますよ。お昼からは回診の時間ですから、治療が終わった人は帰ってください」
もうこんな時間かとそれぞれの家路についていく。
「お邪魔してすみません、カイド先生」
「晴着姿をみたいと言ったのは私ですから、気にしないでください。……それにしても、綺麗ですよ。私があと数十年若ければ、真っ先に求婚したんですが」
「有り難いですが、ごめんなさい。先生は身長が足りないので無理です」
「君は……」
全く何処まで素直なのだろう。先程の条件を聞いていたカイドは、余計なことをと軽く舌打ちする。
「良いですか、ネイン君。結婚とは心で決めるものなんです。確かに容姿や身長といった外見も大事ですが、ネイン君が好ましいと思う心が一番大切なんですよ」
「……難しいです」
「そうですね。結婚を決める前にまずは相手を良く知る事です。長く付き合っていく内にその人の外見を好ましいと思うこともあるでしょう」
「分かりました!先生」
本当に理解したのかとカイドは一抹の不安を憶える。エルネインは素直な子なのだが、素直も過ぎれば騙されやすいに置き換わる。相手の言葉を全く疑わずに真に受けてしまうものだから、これまで人買いに攫われた事も幾知れず、騙された事など数え切れないだろう。治療院に働きに来た当初も必要以上に痛いと騒ぐ患者に対して、大量の痛み止めをあげてよく怒られていた。最近では、怪我の程度で分量が分かるようになったので、不必要に薬をばら撒く事は無くなったが。
本人は気付いていないが、エルネインに想いを寄せる男は少なくない。まして、成人を過ぎてしまえば、本人の意思一つで結婚をするのも思いのまま。だからエルネインを孫や娘のように思っている患者達の、碌でもない男に捕まりやしないかと心配する気持ちも分かるのだ。最終的な婚姻の承認は神官が行うので、そこは救いなのだが。
ところが、数刻後には最後の救いなどこれっぽっちも無かった事を知る。