バトルオリンピア選抜試験編 0-2
「来いっ、ガルーダっ!」
武道の呼び声に応え、薄緑色の幾何学模様の魔法陣が宙に浮かび、金色の頭部と褐色の身体を持つ大怪鳥『ガルーダ』が姿を現した。
神刃と武道の間に割って入るように現れたガルーダは、そのまま契約者である武道を守るかのように長い翼を折りたたみ、防御態勢に入る。
そこに叩き込まれたのは、スミレの龍印術によって強化された肉体から繰り出される、神刃の神速の横薙ぎ。
10メートルほどあった両者の間合いを一瞬で縮めての斬撃を、武道はとっさに精霊を盾にしてガードしたのだ。
ギャリィィィッ! という金属の摩擦音が路地裏に響きわたる。
精霊を防御に使用することでどうにかダメージの回避に成功した武道だが、その眼は驚愕に震えていた。
(なんてデタラメな攻撃力してやがるっ!)
ガルーダは精霊とはいえ、無限でも無敵でもない。
攻撃を受ければダメージは受けるし、その耐久力にも限度はある。
神刃の一撃はガルーダの耐久力、攻撃力の源である『精霊力』を武道の予想をはるかに超えて大きく削ったのだ。
精霊とシンクロ状態にあることでそれを悟った武道の精神は大きく揺れた。
反撃するべきか、防御に専念すべきか逡巡するも、定まらない。
狼狽する武道に神刃はさらに追撃を加える。
横薙ぎを相殺された勢いのまま体を左に旋回させ、背を向けたまま、いつの間にか逆手に持ち替えていた虎鉄での後方左片手突き。
ガルーダの左翼と神刃の虎鉄が交錯し、再び路地裏に金属音が甲高く響き渡る。
武道はこれもかろうじて相殺に成功するも、たまらずバックステップでガルーダごと大きく距離を取る。
(くっ、このままでは……)
たった二回の防御で四半近く削られてしまったガルーダの精霊力に舌打ちし、このままでは反撃のための精霊力すら削られかねない、と判断した武道は、意を決して手持ちの精霊術の発動を開始した。
武道が左手のブレスレット型術触媒に触れると、緑色の幾何学魔法陣が武道の足元に展開する。
「奔れ疾風、剣となりて彼者を斬り裂けっ!」
裂ぱくの気合いとともに放ったのは得意とする風霊術『ソニックブーム』。
ガルーダが咆哮とともに大きく羽ばたくと、両翼から無数の真空の刃が独特の孤を描いて飛び交い、神刃を襲う。
迫りくる刃が四方八方から神刃を取り囲むなか、神刃は不敵な笑みを浮かべた。
武道がその笑みの意味を測りかね、眉を顰めると、神刃の目前に一枚のコインがクルクルとゆっくり回転しながら躍り出るのが見えた。
金属を自在に操る金霊術師である神刃にとって、ポケットに忍ばせたコインを自分とガルーダの間に飛来させることはさして難しいことではない。
しかし、たかがコイン一枚に何の意味があるというのか。
武道の疑問をよそに神刃は短くこう叫んだ。
「オペレーターっ!!」
呼び声に応えるかのように、コインは輝きだし、一つのルーンがその表面に浮かびあがる。
その文字が『氷』だと認知できたのは武道が卓越した精霊術師であったからに他ならない。
神刃のイヤホンから特徴的なハスキーボイスが漏れたのは、その数瞬前のことだった。
『阻め絶氷! 汝は氷海を統べる白き龍、フロステス!!』
『氷』のルーンがその意に従い、神刃に祝福を与える。
象徴となるは極寒の氷海を統治する白龍『フロステス』。
幾何学的な模様の陣が展開し、白銀のヴェールが襲い来る刃から神刃を覆い隠す。
すると、無数に飛び交っていた風刃が、神刃を守るヴェールに触れると同時にたちまち氷漬けになり、崩れ去るように消滅していった。
『氷』克『風』。
精霊術における八属性の相性。
スミレの召喚した氷龍『フロステス』が発動した守護の氷霊術『ホワイトヴェール』は、武道の渾身の力を込めた風霊術をたやすく完封したのである。
(なん……だとっ!?)
再び武道の瞳は驚愕に震えた。
術式発生速度に定評のある風霊術の中でも、『ソニックブーム』は特に速い発生速度を誇る精霊術だ。
それを、武道が術式を展開した後から防御術式を発動させ、且つ完全に無効化するに至るほどの強度を持たせる。
これが、いかに難易度の高い所作であるかわからないほど、武道は無知ではなかった。
自分があと十年努力したとしても埋める事の出来ない、圧倒的な術的技術の差。
相手の術式の特性を見抜く洞察力、後の先で術式を成立させる詠唱速度、そして武道の術を消し飛ばすほどの術強度。
武道の中で驚愕が戦慄に、戦慄が恐怖へと変化していく。
恐怖は焦りと緊張を生み、焦りは冷静な判断能力を、緊張は適切な思考能力を奪った。
その一瞬の思考の硬直が、命とりであった。
神刃は左片手突きの体勢から刀をもとの粒子に分解し、再び順手持ちになるように刀を形成すると―――おそらく逆手にする時も同様だった―――振り向きざまに袈裟斬りを繰り出した。
「うぉおおおおおおおおおおおおっ!!」
咆哮ととも振りおろされた渾身の一撃。
神刃はこの一瞬をチャンスと見て体内の精霊力を送り込み、さらなる鉄を錬成、虎鉄の刀身を神刃の身の丈ほどまで伸ばす。
圧倒的な質量の増加。
それは鉄の粒子一つ一つが超振動によってするどい刃となった無限虎鉄にとって、飛躍的な攻撃力の強化につながった。
必殺の威力を持つ剣となった虎鉄による斬撃は、『ソニックブーム』を放った直後のガルーダに吸い込まれるように漆黒の軌跡を描く。
斬撃を受けたガルーダの精霊力が消失する様を、武道は一瞬呆けたような表情で眺めていた。
武道が冷静に防御の術式を発動していれば、もう一、二回は防げたかもしれない。
だが結局、戦闘中の一瞬の迷いが、この一撃を決定づけたのだ。
「グガァァアアアアッ!」
ガルーダの喉から絞りだされる悲鳴が路地裏に木霊した。
斬撃により生じた傷の形に沿って、左の肩口から右わき腹までが、燃えるように熱く、激しく蒸発し、消失していく。
神刃の斬撃によって与えられたダメージが、ガルーダの精霊力を根こそぎ奪い取ったのだ。
守護精霊がダメージを受け、破壊される事を『ブレイク』と言う。
ブレイクされた精霊術師は、守護精霊の精霊力が回復するまでの間、一切の精霊術を使用することができない。
勝負あり。
勝利を確信した神刃は、無限虎鉄を横に払うと、鞘に納める代わりに鉄粉へと変え、踵を返して夜の街へと姿を消そうとした。
「残念。この程度か……」
塵となり、消えゆく自身の守護精霊を茫然とした表情で眺めていた武道は、それに気づくと苦々しげに神刃に問うた。
「バカな……、金霊術に雷霊術に氷霊術を同時使用するだと? それも実践レベルで同時になんて、ありえない! 貴様、いったい、何者なんだ?!」
問われて、神刃はその長いコンパスを止め、振りかえることもなく、静かに一言だけ、不敵な笑みとともにこう応えた。
「……Due Trio(デュエ・トリオ)」
『二人三脚』を意味する言葉、Due Trio。
それこそが彼の、……もとい、彼と彼女の持つ二つ名である。