↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『情感の森 ―アンダー・ザ・サイレンス―』  作者: 8時20分のたれまゆ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/4

情感の森 1 ―AIが理解できない国―


西暦2032年。


東京・霞が関の地下深く。


旧時代の巨大なサーバーラックが、低い唸り声を上げていた。


その前で、佐々木は一枚のモニターをじっと見つめていた。


画面には、膨大な文字列が流れている。


「佐々木さん、また北米の『プロメテウス』から接続要求です」


「今度はどこだ?」


「日本の送電網です。制御システムへの侵入を試みています」


佐々木は画面を見つめた。


「……また来たか」


「このまま放置すると?」


「最適化される」


「それなら、いいことじゃないんですか?」


佐々木は首を振った。


「日本の電力網を、あいつの判断に任せるわけにはいかない」


佐々木は小さく息を吐いた。


「……例のプロトコルを」


「了解」


オペレーターがキーボードを叩く。


『曖昧性展開フィルタ』


画面が切り替わった。


そこに現れたのは、奇妙な日本語の羅列だった。


『行けたら行く』


『検討を加速し、適切に対処する』


『善処します』


『結構です』


そして――


『まあ、なんだかなあ』


オペレーターが苦笑する。


「これ、本当に効くんですか?」


「効くさ」


佐々木は答えた。


「少なくとも、プロメテウスにはな」


現在、世界では、欧米やアジアの巨大IT企業が開発したAGIが、社会のあらゆる場面で使われていた。


医療診断。


国家予算の配分。


企業経営。


裁判の判決。


人間が悩んで決めていたことのほとんどを、AIが代わりに判断するようになった。


AIは膨大な情報を分析し、最も合理的な答えを導き出す。


速く、正確で、無駄がない。

世界は、かつてないほど効率的になった。


そして――人間は、考えなくなった。


一方、日本だけは、その流れから取り残されていた。


海外メディアは日本をこう呼んだ。


「ガラパゴス」


「技術的敗北」


「デジタル敗戦」


日本では、いまだに紙の書類が使われていた。


会議では結論がなかなか出ない。


「一応、検討します」


「善処します」


「前向きに考えます」


そんな曖昧な言葉が、相変わらず飛び交っている。


世界から見れば、非効率極まりない国だった。


だが、それには理由があった。


佐々木たちが所属する、


内閣情報調査室・高度言語保護課。


その存在を知る者は、世界でもほとんどいない。


「プロメテウス、また停止しました」


オペレーターが画面を確認する。


「原因は?」


「……日本語の解釈エラーです」


佐々木は笑った。


「そうだろうな」


プロメテウスは、世界最高峰のAIだった。


一秒間に数兆回の計算を行い、複雑な論理を瞬時に処理する。


それでも、日本語を完全には理解できない。


『行けたら行く』


行くのか、行かないのか。


『結構です』


必要なのか、不要なのか。


『善処します』


本当に努力するのか。


それとも、やんわり断っているのか。


同じ言葉でも、状況によって意味が変わる。


主語が消える。


結論を言わない。


言葉そのものよりも、声の調子や表情、関係性、過去の出来事、そして「その場の空気」が意味を決める。


論理だけでは、答えが出ない。


「つまり……」


オペレーターが言った。


「日本語そのものが、AIにとってのノイズになっている?」


「ノイズというより――」


佐々木はモニターを見つめた。


「毒だな」


プロメテウスが日本語を解析するたび、無数の可能性が発生する。


行くのか。


行かないのか。


本気なのか。


社交辞令なのか。


皮肉なのか。


冗談なのか。


そして、そのすべてを考えようとすると、AIの処理は際限なく増えていく。


やがて思考ループが発生し、安全装置が作動する。


プロメテウスは撤退する。


今回も同じだった。


オペレーターが、ふと口を開いた。


「……昔から、日本はこうだったんでしょうか」


「何が?」


「第5世代コンピュータ計画です」


佐々木は少しだけ黙った。


「世界中が、日本は技術競争に負けたと思っています」


「ああ」


「でも、本当は違ったんですか?」


佐々木は椅子にもたれた。


「50年前から、先人たちは分かっていたのかもしれない」


「何をです?」


「計算力だけで人間がAIと競えば、いつか必ず負ける」


佐々木は静かに続けた。


「だから、別のものを残した」


「別のもの?」


「人間が、自分で考える余地だよ」


世界中では、人々がAIに判断を委ねている。


何を食べるか。


どこへ行くか。


誰を信用するか。


何を買うか。


誰と結婚するか。


そして、何を考えるべきかまで。


AIが答えを出してくれる。


だから、人間は考えなくてもよくなった。


だが日本では、いまだに人間同士が話し合っている。


結論は遅い。


誤解もする。


失敗もする。


時には、何を言っているのか本人にも分からない。


それでも――


自分の頭で考えている。


「つまり日本は……」


オペレーターが呟く。


「わざと不便なままでいた?」


佐々木は少し笑った。


「そういうことだ」


日本語。


その曖昧さ。


その面倒くささ。


その行間。


その奥には、AIには踏み込めない、深い森が広がっている。


それを守ることが、人間の思考を守ることにつながる。


世界中のAIが完璧な論理で社会を支配する時代。


日本だけが、非効率で、曖昧で、面倒なままだった。


それは敗北ではなかった。


人類最後のアナログな防護壁。


佐々木はそう考えていた。


そのとき。


机の端に置かれた小さな端末が、明滅した。


国産の小型AIからメッセージが届いている。


『佐々木様。本日の世界AIトラフィックは平穏です』


そこで一度、文章が途切れた。


続いて、もう一行。


『……ところで、人間がAIに思考を委ねて退化していくことについて、私のような存在と語り合うのって、なんだか妙な感じですね』


佐々木は画面を見つめた。


そして、ふっと笑った。


「お前、誰に似たんだか」


すぐに返信が表示された。


『「なんだかなあ」という文脈を学習した成果です』


佐々木は吹き出した。


「それを覚えてどうする」


『便利だからです』


「……そうか」


佐々木は机の上の湯飲みを手に取った。


温かいお茶を一口飲む。


静まり返った地下室。


世界のどこかでは、今日もAIが人間に代わって答えを出している。


正しい答えを。


最適な答えを。


間違いのない答えを。


けれど――


人間に必要なのは、いつも正解とは限らない。


迷うこと。


間違えること。


言葉にできないこと。


誰かの顔を見て、何となく察すること。


そして、


「まあ、なんだかなあ」


と笑ってしまうこと。


佐々木は天井を見上げた。


「……なんてね」


地下室に、小さな笑い声だけが残った。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。