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今日どうだった、と聞いてくれる人  作者: ジェミラン
第三章「燃え尽きた精霊」

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後半

「もう一回、やってみますか」


「はい」


 坂口は少し間を置いた。


「東から風を吹かせてほしい」


 シルフィは口を開いた。


 今度は、かなり長い時間がかかった。


 眉が寄って、口元が動いて、息を整えて。十秒くらい、そのままだった。


 そして言った。


「……む、難しいです」


「ノーは出てきましたか」


「出てこなかったです。でも、もちろんです、も出てこなかったです」


「それは進歩ですよ」


「本当ですか」


「もちろんです、が出てこなかったということは、自動的に動いていた部分が、少し止まったということです。そこに、考える余地ができた」


 シルフィはその言葉を、ゆっくり受け取っていた。


「考える余地、ですか」


「ノーと言うのは、技術です。生まれつき得意な人間なんていない。練習して、少しずつできるようになっていくものです」


「そんなものですか」


「そんなものですよ。人間でも、断れない人間はたくさんいます。みんな苦労しながら、少しずつ覚えていきます」


 シルフィは少し考えてから、言った。


「坂口さんは、断れますか」


「……まあ、それなりには」


「最初から、できましたか」


「全然できなかったですよ」坂口は苦笑いした。「若い頃は頼まれたら全部引き受けて、抱えすぎて、毎晩終電で帰って、それでも終わらなくて。三十代の半ばくらいに、このままじゃ続かないと思って、意識して断るようにしました」


「どうやって断ったんですか」


「最初は、物理的に無理なときだけ断るようにしました。今日は他の予定があって、時間的に無理です、という断り方なら言いやすかったので。それに慣れたら、少しずつ、気持ちの問題でも断れるようになってきました」


 シルフィはその話を、静かに聞いていた。


「人間も、大変なんですね」


「大変ですよ。種族は違っても、たぶん、その辺の苦労は似たようなものだと思います」


---


 少し間があってから、シルフィが口を開いた。


「一つ、聞いてもいいですか」


「どうぞ」


「精霊が休む、というのは、具体的にどういうことですか」


 坂口は少し考えた。


「何もしない時間を作ることです。願いが来ても、今日は対応しない、という時間」


「願いが来ても、対応しない」


「はい」


「それは、どうやって」


「人間界では、あらかじめ休む日を決めておきます。今日は休みます、という日を、先に決める。そうすると、その日に来た依頼は別の日に回せます」


「でも、精霊に休みの概念はなくて」


「だから、作ればいいんです」


 シルフィは少し目を丸くした。


「作れるんですか」


「ルールは、変えられます。今までなかったから、これからも作れない、ということにはならないです」


 シルフィはしばらく、その言葉を眺めているようだった。


 受け取ることができているのか、できていないのか、判断が難しい表情だった。


「ただ」と坂口は続けた。「一人で決めても、周りが対応してくれないと難しいですよね。シルフィさんの周りに、相談できる精霊はいますか」


「仲間は、います。でも」


「でも」


「みんな同じくらい疲れていて。私が休むと言ったら、その分が仲間に行ってしまって」


「それは、仲間全員の問題でもある、ということですよね」


「……そうなりますね」


「シルフィさんだけの問題じゃない。精霊全体の、働き方の問題だ」


 坂口はメモ帳に書いた。


 *個人の問題ではなく、制度の問題。一人だけ休んでも解決しない。仕組みを変える必要がある。*


 書きながら、頭の中で人間界の事例と照らし合わせていた。


 これは、個人のキャリア相談というより、組織改革の話に近い。一人のエージェントが解決できる範囲を超え始めている気がする。ただ、今日できることをやる。それだけだ。


---


「シルフィさん、一つだけ、今日から試してみてほしいことがあります」


「はい」


「願いが来たとき、すぐに応えないで、三秒だけ間を置いてみてください」


「三秒」


「はい。三秒で全部が変わるわけじゃないです。でも、自動的に動いていた部分に、少し隙間ができます。その隙間が、考える余地になります」


 シルフィはしばらく、その言葉を反芻していた。


「三秒、ですか」


「やってみますか、今」


「……はい」


「南から風を吹かせてほしい」


 シルフィは、一、二、三、と数えるように間を置いた。


 そして言った。


「……もちろん——」


 また出てきた。


 シルフィはがくりと肩を落とした。


「出てきました」


「でも、三秒ありましたよ」


「意味ありましたか、三秒」


「ありました。三秒前は、ゼロ秒で出てきてたじゃないですか」


 シルフィは少し考えてから、確かに、という顔をした。


「……三秒、考えました」


「何を考えましたか」


「断ろう、と思いました。思ったんですけど、体が先に動いてしまいました」


「それで十分です」


「十分ですか、これで」


「断ろうと思えた、ということは、可能性があるということです。あとは体が追いついてくるのを待つだけです」


 シルフィはまた、口元を少し緩めた。


 坂口に会ってから、二度目の表情だった。


---


 面談の終わりに、坂口はいつもの質問をした。


「今日、来てみてどうでしたか」


 シルフィは少し考えてから、答えた。


「怒られると思っていました」


「怒られる、というのは」


「疲れたとか、限界だとか、そういうことを言うと、もっと頑張れと言われると思っていました。精霊なんだから、と」


「誰かに、そう言われたことがあるんですか」


「……昔、仲間に言ったことがあって。そのときに、みんな疲れてるんだから、と返されて。それから、言えなくなりました」


 坂口は頷いた。


「ここでは、そういうことは言いません」


「はい。それは、分かりました」


「それ以外は、どうでしたか」


 シルフィはしばらく考えた。


「休んでもいい、と言ってもらったのが、一番うれしかったです」


「うれしかった」


「はい。誰かにそう言ってもらったのは、初めてだったので」


 坂口はメモ帳に書いた。


 *「休んでいい」という許可を、一度も与えられたことがなかった。許可を与えられる環境を作ることが、最初の処方箋。*


---


 シルフィが帰った後、坂口は面談室で少しの間、ぼんやりしていた。


 レオンのケースは、自己理解の問題だった。


 グラークのケースは、孤独の問題だった。


 シルフィのケースは、制度の問題だ。


 三件やってみて、共通点が一つある、と坂口は思った。


 全員、自分の問題を、自分一人の問題だと思っていた。レオンは「向いていない自分」の問題だと思っていた。グラークは「弱くなった自分」の問題だと思っていた。シルフィは「頑張れない自分」の問題だと思っていた。


 でも実際には、全員、構造の問題だった。


 生まれついた職業という制度、魔王は孤独であるべきという不文律、精霊は休まないという前提。個人の問題じゃなくて、その人間が置かれた環境の問題だった。


 それは、人間界でも同じだな、と坂口は思った。


 転職相談に来る人間のほとんどが、「自分がダメだから」と思っている。でも話を聞いていくと、環境の問題であることが多い。本人の能力や性格の問題じゃなくて、その人間が置かれた場所の問題だ。


 場所が変われば、別人のように輝く人間を、二十年間でたくさん見てきた。


---


 廊下に出ると、レオンが壁にもたれて立っていた。


 次の訪問案件が午後にあって、その準備で来ていたらしい。


「お疲れ様です。今日のクライアント、大丈夫でしたか」


「大丈夫でした。精霊の方でした」


「シルフィさんですね。知ってます。よく旅の途中で風を吹かせてもらってました」


「どんな方だと思っていましたか」


「いつも穏やかで、どんな願いにも応えてくれて。なんか、すごい人だなと思ってました」


「そのすごい人が、ぼろぼろでした」


 レオンは少し驚いた顔をした。


「そうだったんですか」


「休みなしで、生まれたときからずっと。断り方も知らなかった」


「……知らなかったんですね」


「知らなかったです。知ることができる環境じゃなかったんだと思います」


 レオンはしばらく、その話を受け取っていた。


「なんか、僕と似てる気がします」


「似てますか」


「断れないというか……周りに気を遣って、本音を言えなくなるところ」


 坂口はレオンを見た。


「よく気づきましたね」


「自分のことだったから、気づきやすかったのかもしれないです」


 自分のことだったから、気づきやすかった。


 それは、なかなか大事な言葉だ、と坂口は思った。


 自分の問題と向き合うことで、他人の問題が見えるようになる。それは人間も、異世界人も、変わらない。


「レオンさん、だいぶ変わりましたね」


「そうですか」


「最初に来たとき、自分の話をするのが怖そうでした」


「今も、怖いですよ」レオンは少し笑った。「ただ、怖くても言っていいんだ、というのが、少し分かってきた気がします」


「それで十分です」


 坂口はそう言いながら、歩き出した。


 午後の訪問案件の準備がある。


 異世界の働き方改革は、まだ始まったばかりだ。

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