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今日どうだった、と聞いてくれる人  作者: ジェミラン
第一章「辞令は突然に」

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後半

「向いていない、というのは、具体的にどんな場面でそう感じますか」


 坂口はボールペンを持ちながら、レオンを見た。


 メモを取る構えはしていない。まず話を聞く。それが最初にやることだ。


「戦いが、苦手で」


「苦手というのは、弱いということですか」


「あ、いえ、強さは……たぶん、平均以上はあると思うんですけど」


 レオンは少し考えてから、続けた。


「戦うこと自体が、あまり好きじゃないというか。やらなきゃいけないのは分かってるんです。魔王を倒すのが勇者の仕事だって、ずっと言われてきたし、僕もそう思ってた。でも、旅を続けていくうちに……なんか、違う気がしてきて」


「違う、というのは」


「なんか……楽しくないんです」


 レオンは言ってから、少し後悔したように口元を固くした。


「……楽しくないって言うと、おかしいですよね。勇者なんだから、楽しくなくてもやるべきことがあるって分かってるんですけど」


「おかしくないですよ」


 坂口は静かに言った。


「楽しくないと感じることは、おかしくない。二十年間、転職相談を受けてきましたけど、それを言いに来る人間がいちばん正直です」


 レオンはしばらく坂口の顔を見た。


 信じていいのか確認しているような目だった。


「パーティーのみんなには、言えなくて」


「どんなメンバーがいるんですか」


「魔法使いと、僧侶と、剣士と。三人とも、すごく真剣なんです。毎日訓練して、魔王を倒すために生きてる、みたいな。だから僕が、楽しくないなんて言ったら……」


「言ったら」


「がっかりさせると思って」


 坂口はメモ帳に一行書いた。


 *本音を言えない理由=周囲への罪悪感。自分の問題ではなく、関係性の問題かもしれない。*


「レオンさん、少し別の話を聞いてもいいですか」


「はい」


「旅の中で、楽しいと思った瞬間はありますか」


 レオンは少し黙った。


 今度の沈黙は、さっきと質が違った。困っているんじゃなくて、思い出しているときの沈黙だ。


「……料理をするときは、楽しいです」


 声のトーンが、変わった。


 さっきまでの、おずおずとした話し方じゃない。少しだけ、前に出てきた感じがした。


「料理、ですか」


「旅をしていると、野宿することが多くて。最初は適当に食べてたんですけど、途中から自分で作るようになって。道端の野草とか、狩った獣の肉とか、川で釣った魚とか。材料があれば、何でも作れるようになってきて」


「パーティーのみんなにも作るんですか」


「はい。みんな、喜んでくれて」


 レオンの目が、さっきより明らかに輝いていた。早口になっている。


「先週は山のきのこが大量に採れたんです。それでリゾットみたいなのを作ったら、剣士のガルドさんが三杯おかわりして。普段あんまり喋らない人なんですけど、そのときだけ『うまい』って言ってくれて。なんか、すごく嬉しくて」


「その話をするとき、顔が変わりますね」


「え」


「さっきより、表情が全然違います」


 レオンは自分の頬を触った。気づいていなかったらしい。


「……そう、ですか」


「料理を始めたのは、いつ頃ですか」


「旅に出て、三ヶ月くらいしてから。最初は食べ物を粗末にしたくなくて、自分で作り始めたんですけど。気づいたら、毎日それが一番楽しみになってて」


「勇者の修行より、料理の時間の方が好きだった」


「……はい」


 レオンは少し俯いてから、また顔を上げた。


「でも、それって逃げですよね。勇者なのに、料理が楽しいなんて」


 坂口はボールペンをテーブルに置いた。


 メモを取るのをやめた。


「逃げかどうかは、俺には分からないですよ」


「え」


「でも一つだけ確認させてください。レオンさん、勇者の仕事が嫌いですか」


 レオンはすぐに答えなかった。


 今度は長い沈黙だった。三十秒くらいあったと思う。坂口は急かさなかった。


「……嫌いじゃない、と思います」


「どういう意味ですか」


「人を助けることは、好きなんです。旅の途中で村が魔物に襲われてたら、助けたいと思う。戦うこと自体は得意じゃないけど、助けた後に村の人が喜んでくれると、やってよかったって思う」


「なるほど」


「ただ、なんていうか……勇者ってもっと、こう、颯爽としてなきゃいけない気がして。剣を振りかざして、どんな敵も恐れない、みたいな。僕、全然そんな感じじゃなくて。戦う前はいつも怖いし、戦った後は食欲がなくなるし」


「戦う前に怖いと思わない勇者がいたら、それはそれで問題がある気がしますけどね」


 レオンは少し目を丸くした。


「そう……なんですかね」


「少なくとも俺は、怖いと思わない人間より、怖いと思いながらやる人間の方が信頼できます。二十年間、いろんな人間と話してきた感覚ですけど」


 坂口はコーヒーを一口飲んだ。


 いつの間にか、デスクの上にコーヒーが置かれていた。ミラが入れてくれたらしい。気づかなかった。


「レオンさん、一つだけ聞かせてください。もし勇者という肩書きがなかったとしたら、あなたは何をしたいですか」


 レオンはすぐに答えた。


 今度は、沈黙がなかった。


「料理を、作りたいです。いろんな場所を旅しながら、その土地の食材で料理を作って、食べてもらいたい」


 言ってから、レオンはハッとした顔をした。


「……あ、すみません。急に」


「謝らなくていいですよ」


「でも、勇者がそんなこと言ったら」


「肩書きと本質は別物ですよ」


 坂口はそう言ってから、少し間を置いた。


「レオンさん、勇者を辞めたいんじゃないと思います」


「え」


「勇者として人を助けることは、好きだって言ってましたよね。怖くても、助けた後の顔が好きだって。それは本物だと思う」


「……はい」


「ただ、勇者という肩書きが要求してくる『像』に、自分を合わせようとしてきた。颯爽として、恐れを知らなくて、戦いだけに生きる、みたいな。その像と自分がズレてるから、向いてないと感じてた」


 レオンは黙って聞いていた。


「勇者が料理をしてはいけない、という決まりはありますか」


「……ないと思いますけど」


「なら、両方やればいいんじゃないですか」


 部屋に、静かな沈黙が落ちた。


 悪い沈黙じゃなかった。何かが着地したときの、静かさだった。


 レオンはしばらく、テーブルの一点を見ていた。


 それからゆっくり顔を上げて、坂口を見た。


「……両方、やっていいんですかね」


「俺に許可を求めなくていいですよ」


 坂口は少し笑った。


「自分で決めてください」


---


 面談が終わったのは、一時間後だった。


 レオンは帰り際、ドアのところで振り返った。


「あの、坂口さん」


「はい」


「次の訪問のとき、もし一緒に来ていいなら……お礼に、何か作ります」


 坂口は少し考えた。


「訪問?」


「ミラさんから聞きました。これから出張案件もあるって。僕、異世界の地理なら詳しいですし、馬やグリフィンの扱いも得意で。役に立てると思うんですけど」


 坂口は天井を見上げた。


 ミラめ、と思った。最初からそのつもりで話を通していたんだろう。


「……料理、何が得意ですか」


「なんでも作りますよ」レオンは、今日初めてまっすぐ笑った。「リクエストがあれば」


「じゃあ、次からよろしく」


 レオンはもう一度お辞儀をして、ドアを閉めた。


 坂口はしばらく、閉まったドアを見ていた。


 面談シートに、最後の一行を書き足した。


 *本人の思う「勇者像」と、本人の「本質」のズレを解消することが、今回の課題。転職ではなく、自己理解の支援。*


 ボールペンをテーブルに置いて、坂口は背もたれに体を預けた。


 窓の外の、霞んだ景色を見た。


 異世界だろうがなんだろうが、人間の悩みの構造は変わらない。肩書きと本音のズレ。周囲への罪悪感。自分を許可できないこと。


 二十年間、同じものを見てきた。


「……俺、これは得意かもしれないな」


 誰もいない面談室で、坂口は小さく呟いた。

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