表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
今日どうだった、と聞いてくれる人  作者: ジェミラン
第一章「辞令は突然に」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/9

前半

 月曜日の朝、坂口誠は寝癖を直すことを諦めた。


 洗面台の鏡で自分の頭を見て、三秒で結論が出た。


 どうせ昼には崩れる。二十年間、毎朝同じことをやって、毎昼同じ結果になってきた。髪に使うエネルギーがあるなら、スーツのシワを伸ばす方がまだマシだ。


 朝七時四十分。最寄り駅から会社まで徒歩八分。この八分が、一日の中でいちばん頭の回る時間だった。


 今日の午前は新規クライアントが二件、午後は求人企業との打ち合わせが一件。どれも、気が重い。


 一件目は三十代の営業職の男性で、事前アンケートに「とにかく今の会社を辞めたい」とだけ書いてあった。理由はなし。こういうタイプは、本音が出るまでに時間がかかる。


 二件目は二十代の女性で「やりたいことが分からない」という相談だ。これも長くなる気しかしない。


 坂口は小さく溜息をついてから、ビルの入口に手をかけた。


 引いた。


 扉が、重かった。


 いつもは軽く開く自動ドアが、なぜか手動になっている。力を込めて引くと、ぎぎ、と古びた音がした。


 ……なんか変だな、と思いながら中に入った。


---


 まず、匂いが違った。


 コーヒーメーカーとプリンターのトナーが混じったいつもの匂いじゃない。湿った土と、どこか甘い煙のような、妙な匂いがする。


 次に、音が違った。


 キーボードの音も、電話の音も、同僚たちのざわめきも、何もない。静かだった。ただ、完全に無音でもなくて、どこか遠くから低い唸りのような音がかすかに聞こえてくる。


 坂口はゆっくり顔を上げた。


 受付カウンターはあった。形は、いつも通り。


 ただ、カウンターの向こうに座っている人間が、違った。


 黒髪ボブカットの、落ち着いた雰囲気の女性だ。見た目は三十代くらい。スーツを着て、タブレット端末を持ちながら坂口を見ている。


 額に、小さな角が二本生えていた。


 坂口は三秒ほど、その角を眺めた。


 コスプレかな、と思った。


 でもどう見ても作り物じゃなかった。肌と完全に一体化していて、根元に血管みたいなものまで走っている。


「お待ちしておりました、坂口誠様」


 女性が言った。声は事務的で、無駄がない。


「……どちら様でしょうか」


「ミラ・カルディナと申します。この紹介所の管理担当です」


「紹介所」


「はい」


「ここ、キャリアブリッジですよね」


「以前はそうだったようですね」


 少し間があった。


「現在は、異世界人材紹介所です」


 坂口はもう一度、オフィスを見回した。


 デスクの配置は同じ。自分のデスクも同じ場所にある。パソコンも、コーヒーメーカーも、ホワイトボードも、全部いつも通りの場所にある。


 でも壁の色が、なんか違う気がする。窓の外の景色が、妙に霞んでいる。天井が、昨日より高くなってる気がする。


「あの」


「はい」


「俺、頭おかしくなりましたか」


「いいえ」


 ミラの右の口角が、一ミリだけ上がった。


「ご正常です」


---


 五分後、坂口は自分のデスクでミラの説明を聞いていた。


 異世界では、職業が「生まれつき決まっている」らしい。勇者は勇者として、魔王は魔王として生まれてくる。その職業に就くのが当然、という制度が何千年も続いてきた。


 ところが近年、それが限界に来ているという。


 生まれついた職業と本人の適性が、どんどん噛み合わなくなってきているらしい。その結果として、勇者が魔王を倒せない、魔王が世界征服をやる気になれない、精霊が願いを叶えることを拒否するという、前代未聞の事態があちこちで起きているとのことだった。


「……つまり、異世界人の転職を手伝えと」


「転職だけではありません。キャリア相談、適性診断、自己理解のサポートも含みます」


「なんで俺なんですか」


「あなたが、最もよく聞ける人間だったからです」


「聞ける」


「異世界人は感情が強い分、自分の本音を言語化することがとても苦手です」


 ミラは続けた。


「聞いてもらえた経験が、ほとんどない者ばかりです。だからこそ、あなたが必要でした」


 坂口は少し考えた。


「断ったらどうなりますか」


「もとの会社に戻れます」


「それは助かる」


「ただし、戻った三日後にリストラが実施される予定です」


 坂口は黙った。


「……それは知ってました」


「でしょうね」


 ミラはタブレットを操作して、一枚の羊皮紙をデスクの上に置いた。


 今日の予約票だった。達筆な文字でこう書いてある。


*相談内容:勇者、続けるべきか否か、至急*

*氏名:レオン・アルヴァレス*

*時刻:午前十時*


「あと二十分です」


 立ち上がりながら、ミラが言った。


「面談室のご準備を」


「待ってください、俺まだ承諾してないですよ」


「それは坂口さんが決めることです」


 それだけ言って、ミラは受付カウンターに戻っていった。


 坂口はしばらく羊皮紙を眺めてから、引き出しを開けた。


 赤いボールペンが入っていた。いつも使っている、安物のやつだ。


 異世界に来ても、引き出しの中身は変わっていなかった。なぜかそれだけで、少し落ち着いた。


 坂口はボールペンを手に取り、棚から白紙の面談シートを一枚抜いた。


 名前の欄に、レオン・アルヴァレスと書いた。


「……まあ、話だけ聞いてみるか」


 誰にともなく呟いて、面談室のドアを開けた。


---


 午前十時ちょうどに、ドアがノックもなしに開いた。


 入ってきた青年を見て、坂口は思った。


 ああ、確かに勇者って感じだな、と。


 身長は高くて均整が取れている。金色の髪を無造作に束ねて、青い目が澄んでいる。腰に剣を差した鎧姿で、見た目だけなら絵本から抜け出してきたみたいだ。


 でも表情が、違った。


 眉が下がっている。口元が不安そうに結ばれている。目の下がうっすら赤い。泣いてたか、眠れてなかったか、たぶんどっちかだ。


 鎧の胸あたりに、緑色のシミがついていた。野草か何かだろう。


 青年は室内をざっと確認してから、坂口を見た。


「あの、こちらが……転職エージェント、さんですか」


「はい。坂口といいます。どうぞ、座ってください」


 青年は少し迷ってから、椅子に座った。背筋は伸びているけど、それが緊張のせいだというのは一目で分かった。


「レオン・アルヴァレスさんですね」


「はい。急に来てしまってすみません。予約は、したんですけど」


「大丈夫ですよ。今日はどんなご相談ですか」


 レオンは少し間を置いた。


 坂口は待った。


 最初の沈黙を埋めようとしちゃいけない。この間に、相手は言葉を探している。急かしたら、本音じゃない言葉が出てくる。それが二十年間で覚えた、一番大事なことだった。


「僕、勇者に向いていないと思うんです」


 レオンはそう言ってから、すぐに付け加えた。


「……でも、間違ってるかもしれないんですけど」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ