第七話
冬真がドサリとカウンターに置いた荷物――革でくるんだものに、老婆が眉をひそめた。
「これは何だい?」
「肉です」
「肉?」
きらりと、ベルラの眼が光った。
「狩ってきたので、お裾分けに」
「ほう。……ほうほうほう」
老婆は、さっそく革紐をほどいて中を検分して、満足そうな声を上げた。塩漬けや焼き物にもしていない、今日獲れたばかりの生肉だ。
重い身体を叱咤して戻った草原に、落とし穴はきちんと消えずに残っていた。それだけで沈み切った心が、ほんの少しだけ軽くなる。一日めいっぱい狩りと解体を繰り返して、雑貨屋に戻ってきたところだ。
「獰猛ウサギの肉か!気が利くじゃないかい。助かるよ。狩人の爺さんももう歳だし、なかなかこっちまで回ってこないからねぇ」
そう言って老婆は、軽い足取りで、外に出て行った。戻ってきた時には、大きな葉っぱを数枚手にしている。
「それは?」
「うん?これも知らないのかい。ルトガの葉っぱさ。肉を包むと傷むのが遅くなるんだよ。これで熟成させたほうがうまくなる」
「へぇ」
老婆が見せてくれたそれを、冬真はしげしげと観察した。森の外周でも見たことがある。ベルラが苦笑した。
「よっぽど遠くから来たんだねえ。ここらじゃ珍しくもない木さ」
「そうみたいです。……ベルラさんは、地球の出身ではないんですか?」
冬真は、少しだけ緊張して話を切り出した。
「うん?チキュー?どこだい、それは。あたしはキャルカルの出身だよ」
すっかり機嫌の良くなったベルラは、軽い調子で答えてくれる。
キャルカル。この村から南下して、山のふもとにある小さな町の名前だ。アヴダールの次に訪れることになる場所である。
「アメリカ、イギリス、中国、日本、インド……これらの国の名前に聞き覚えは?」
老婆が日本以外の出身であるとするなら、日本語の国名には反応できない可能性もあるが、一応の確認だ。
「国?国ってなんだい?ここはアヴダール村さ。あんたの言う名前は、聞いたこともないよ」
老婆が不思議そうに首を傾げている。
「そうですか……。俺のいた場所では、有名な名前なんです」
「へええ。女神様の思し召しって、どんなもんなんだい?いきなり別の場所に連れてかれるって話だけど、本当なのかい?」
老婆の眼には好奇心が浮かんでいる。
「俺は、部屋にいたんですけど、気が付いたら草原に寝転んでました」
「そりゃびっくりしただろう?」
「それはもう」
ベルラが頷く。
「災難だったねえ。ま、でも、神父様によりゃ、女神様のご期待に応えれば帰ることができるらしいから、がんばんな」
「神父さん」
「ああ、ウチの村唯一の教会さ。昨日会ったからルキア様の思し召しについて聞いてみたのさ」
「……俺も、話を聞いてみたいんですが」
ベルラが頷いて、方向を指し示す。
「教会は、あっちの通りを行った先だよ。ただ、朝しかいないよ。そこから日暮れまでは畑仕事だ」
どうやら、田舎の神父は兼業農家らしい。
冬真は、そっと拳を握りしめた。
「ところで、俺みたいな奴って、よく来るんですか?」
「あんたみたいなって、ルキア様の思し召しで、ってことかい?まさか。そんなホイホイ起きてたら大変じゃないか。あたしが会ったのはあんたが初めてだよ」
「そうですか……ベルラさんは、キャルカル出身なんでしたっけ。ここへはいつから?」
「二十歳で嫁いで、かれこれ三十年くらいになるかねぇ」
計算すると、ベルラは五十歳くらいのはずだが、すでに肉体が衰えているように見える。この世界では、老化が早いのかもしれない。
――そして、三十年。もしかしたら、和樹はここに、来ていない。もしくは、自分の身上を明かさなかった。そんなことが、あるだろうか?
* * * *
翌日、夜明けとともに、冬真は教会に向かった。
ゲームでは、教会は雑貨屋の隣に建っていたが、ここではいくつかの民家と、畑を挟んでいるので少し歩く必要がある。建物の外観はゲームとほとんど同じだ。ルキア教の紋章が刻まれたドアが、すでに開かれていた。
中では、女神ルキアの神像の前に、ローブ姿の初老の男がひざまずいて祈りを捧げている。冬真が歩み寄ると、静かに立ち上がって振り返る。
「ようこそ。ベルラさんから聞いていますよ。ルキア様の思し召しでこの地を訪れたと言う方でしょう」
穏やかな話しぶりは、いかにも聖職者だった。それはゲームの印象通りだ。しかし、冬真の脳内ではひどい違和感を訴えかけてくる。ゲームでは、神父は、もっと年配の老人だった。しかし、現実に目の前に立っている男は、イメージよりもずっと若い。
「どうしました?」
反応できないでいると、男が眉をひそめる。
「あ、ああ……いや。何でもありません。そうだ、これを」
冬真が気を取り直して、土産の肉を渡そうとするのを、男はやんわり押しとどめた。
「ルキア様の忠実な信徒である私が、特別な使命を負われた方から何かをいただくなどできませんよ」
「そうですか……。あの、特別な使命というのは?」
冬真が尋ねると、初老の男の表情に困惑がにじんだ。
「女神様の思し召しでこの地にいらしたのでしょう?」
「どうやらそのようですね」
神父の表情が緩んだ。
「ならば、女神様より啓示を受けておられるはず」
冬真はむっと唇を引き結んだ。そんなものを受けた覚えはない。神父が微笑んで首を振る。
「神の啓示というものは、分かりやすいものとは限りませんから。ですが、あなたは受けておられるはずですよ」
どうとでも取れそうな曖昧な言い方が、いかにも胡散臭い宗教の匂いがする。しかし、村の権力者の一人であろう神父に噛み付いたところで、事態が好転しないことは火を見るよりも明らかだ。
「……使命を果たしたら、帰ることができると聞きましたが」
「はい、教義ではそのように伝えられております」
神父は淡々と答える。――あまり、有用な情報は得られなさそうだ。冬真は失望を押し隠して、頭を下げた。
「しばらく、この村で世話になるので、よろしくお願いします」
「ルキア様のご加護がありますように」
神父の声を背中に受けながら、冬真は教会を後にした。――いよいよ、オオカミ狩りだ。限界までレベルを上げて、そして次の町へと旅立たなければならない。




