第六話
冬真は、強い視線に肩を揺らした。街――それは村と言ったほうが正確な規模だ――の小道に足を踏み入れた瞬間だった。通りを歩いたり、働いていた人々が、冬真の方を見やり、あからさまに不快そうな顔になる。
――何だ。何かしただろうか。改めて自分の恰好を確かめて、冬真は首を捻る。
最後に死んでから、十日以上風呂に入っていないわけだが、不思議と汚れや痒みなどは感じない。現実だったら間違いなく、頭は痒いし、全身べとべとで、風呂!風呂はどこだ!と叫びたくなっていただろう。服だって、モンスターの返り血で汚れて、異臭を放っているはずだ。
もっとも、冬真の鼻が麻痺しているだけで、今も異臭を放っているのかもしれない。十メートルほど離れた若い女性の視線など、汚物を見る目そのものだ。率直に言って傷つく。
村の中を、少しだけ歩いてみて、冬真は目的地に自力でたどり着くことを諦めた。いくつもの建物が雑然と並んでいて、見覚えのない建物も多い。ゲームはずいぶん簡略化された状態だったようだ。
道を尋ねようと周囲を見回す。冬真と目が合った年配の女性が、慌てた顔で建物の中に入っていった。小屋の裏手、薪を割る手を止めて冬真を見ていた初老の男の表情が、一際険しくなる。
ただ見回しただけなのに、まるで犯罪者に対する反応だ。村にたどり着いたときには浮き立っていた気持ちは、あっという間にしぼんでいった。
迷った末に、冬真は自分をじっと睨み続けている初老の男に向かって歩き出した。できれば話しかけやすい女性や子供を選びたい気持ちはあったが、一層の誤解を受ける気がしたのだ。
「あの」
頭の上から足のつま先までを移動する、威圧的な眼差し。冬真はのけぞりたいのを堪える。
「見ない顔だな。どっから来た?」
つっけんどんな声だった。しかし、冬真はそっと身体の力を抜いた。――よかった。ちゃんと言葉が通じる。
実は冬真が最も危惧していたのがそこだった。絶望するように設計されているなどと嘯く世界だ。ここで言葉が通じなかったら、詰みもいいところだ。
「東京からです」
男が眉をひそめる。
「トーキョ? どこだ、それは」
「さあ」
むしろ冬真が知りたい。そんな正直な答えだったのだが、男の表情がさらに険しくなった。
「誤魔化してるのか?」
視界の端で、斧を握る手に力が入ったのが見えた。
「い、いやいや!分からないだけです!本当に」
慌てて両手を顔の前で振る。薪割りの斧だろうが、今の冬真なんて一撃で死ぬ。またレベル1からなんて冗談じゃない。
「分からないだと?」
「気が付いたらここにいたんです。本当です!」
冬真は必死で訴えた。男が僅かに表情を変える。
「……ルキア様の思し召しか。そりゃ災難なこった。しかし、そんなひょろい身体で、役に立つのか?」
ルキア様の思し召し。人が突然、全く違う場所に転移してしまうという現象を、ゲーム内ではそう呼んでいた。ゲームの主人公も、いわゆるその転移現象でやってきた人物として行動していくのである。
転移するのは、女神ルキアによって、何らかの使命を期待されている人間だそうだ。いわゆる主人公設定のお約束と言うやつである。
男のその疑問は尤もなので、冬真にも異論はない。むしろ、役に立たないから帰りたい気持ちでいっぱいだ。
男が鼻を鳴らした。
「まあ、いい。それで?何の用だ」
「雑貨屋はどこでしょう」
「……あっちだ」
男が不愛想に道の先を指し示す。
「それと」
「まだあるのか」
冬真が追加で切り出すと、男が不快そうに眼を細めた。
「ここはどこでしょう」
男が眉を寄せる。眉間には深い皺が寄っている。先ほどから続く反応は、とても機械的なものには見えない。
「……ここはアヴダール村だ」
これも予想通りの答えだ。同じ場所に見せかけた違う場所、などというトラップはなかったようだ。冬真は軽く頭を下げる。
「ありがとうございます」
「おかしな真似はするんじゃないぞ」
吐き捨てるように警告して、男が薪割りを再開する。
ふと、疑問が頭をもたげた。もう一度同じ質問をしたらどうなるだろうか。ゲームのように同じセリフを繰り返すのか?
少しだけ迷ったあと、冬真は大人しく、教えられた道の先に向かった。試すなら、もう少し友好的な、できれば老婆相手にするべきだ。少なくとも、斧を持っている相手にするようなことではない。
ゲームは、ルドバル王国北の山奥、アヴダール村近郊の草原から開始する。村の住人たちは、迷い込んできた主人公に対して警戒を見せつつも、お使いクエストをこなすうちに信頼してくれるようになる。
その窓口となるのは、村に一件だけある雑貨屋だ。いつも暇そうにしている赤ら顔の爺さんが、クエストの報酬に、シャベルや村に滞在する間のベッドなど、さまざまな世話をしてくれる。そのはずだった。
だから冬真は、ゲームで見慣れた雑貨屋の建物が見つかったときには、思わず笑顔になってしまった。駆け足でドアを開けて。冬真は戸惑いと共に立ち尽くした。
カウンターの向こうに立って、不審そうな眼差しを向けてくるのは、どう見てもお婆さんだ。
「何だい、そんなとこに突っ立って」
じろじろと、不躾に冬真の全身を検分してから、老婆は怪訝そうに言った。
「さっさと入んな」
冬真は、気を取り直して、建物の中に入った。古びたログハウスの中は、半分以上は生活空間になっている。
「見ない顔だね」
先ほどの男と同様のコメントだ。そこから似たようなやり取りをした後で、老婆が肩を竦めた。
「そりゃ気の毒だったね」
「疑わないんですか?」
あっさりと信じるのが、ゲーム時代から不思議だったのだ。さきほどの男だってそうだ。ルキア様の思し召しとやらは、そんなに頻発するものなのか?
老婆が眉を上げる。
「疑ってほしいのかい?」
「いいえ!」
思わず否定の声に力が入る。老婆が朗らかな笑い声をあげた。
「悪だくみしてる奴なら、もっとそれらしく、哀れを誘うように話すもんさ」
「なるほど?」
つまり冬真は、自分の無表情に感謝すればいいらしい。母親にもよく不満をこぼされた特技が、こんなところで役に立つとは。
「それで、ルキア様の思し召しでここに来たってことは、あんた、結構困ってるんじゃないかい?」
「そうですね、かなり」
「ルキア様の信徒の一人としてあんたを手助けしてやりたいのはやまやまだけど、ウチもそんなに余裕はなくてね。いくつか手伝いをしてくれたら、助けてやってもいい」
老婆の申し出に、冬真はどっと肩の荷が下りるのを感じた。赤ら顔のお爺さんがお婆さんになってはいるものの、この流れは同じだ。
「助かります!」
しかし、次に、老婆が放ったのは、ゲームにはなかったセリフである。
「そうさね。とりあえず、水浴びでもしたらどうだい?」
冬真は首を竦めた。
「……そんなに匂いますか?」
「それなりにね」
老婆の目は笑っていない。すみません、と冬真はぺこぺこ米つきバッタのように頭を下げた。




