第五話
【十七日目・昼】
革紐を編んでいた手が止まった。
冬真の目の前には、革でできたスリング、いわゆる投石器が出来上がっている。横には、広げた革の上に、いくつもの塩漬け肉が干されている。
何度も死んでレベル1になり、何度も獰猛ウサギを狩りなおして、肉と皮を集めた。もう解体も慣れたものだ。
肉は食べずに全て干し肉にしようと思っていたが――無理をするのはやめた。ここまで頑張っている自分へのご褒美だと思って、何回かに一回は食べることにしている。
たとえ、そのすぐあとに死んで、食べたことに意味がないとしても。ほんの少しの充実感、人間味のある生活をしなければ、自分が何のために生きているのか分からなくなってしまう気がしたからだ。
それにしても、この世界の皮が、ゲーム通りのシステムでできていて助かった。現実では確か、剥いだ皮を革として使えるようにするためにはかなり重労働がいるとかなんとかいう蘊蓄を見たことがあるが、ゲームらしく、剥いだ皮は数日置いておくだけで乾燥して使える状態になってくれた。
革を前にして石包丁を手に革紐を作りたい、と思えば、筋力と器用さえ足りていれば、あとは勝手に手が動いて作業してくれる。スリングづくりには、器用3では足りなくて、材料は余分にかかるし時間も食うが、数を打てば完成はする。
冬真は、立ち上がって伸びをする。やっと。やっと、この地獄から抜け出すための最低限の準備が整った。
――じゃあ、まずは、死のう。
* * * *
冬真を殺してくれた穴の中の獰猛ウサギを突き殺して、振りなおしたステータスは、腕力+2、敏捷+2である。穴の中のウサギは、引き上げて横に置いておく。
今度は、拾ってきておいた細くて長い枝を落とし穴の上に二本ほど等間隔で渡して、その上に斜めに細い枝を何本か載せた。最後に上から葉っぱを散らして、落とし穴だと分からないようにカモフラージュしていく。
全て、冬真の腕が、勝手にしてくれることだ。
冬真は完成した罠を眺めて、笑った。尖った棒は、すぐに拾えるように、穴の横に置いておく。
さあ、いよいよだ。冬真は、スリングといくつかの石を手に、落とし穴を避けて前に出た。ターゲットは、遠くに見える獰猛ウサギだ。
スリングの射程範囲はどれほどだっただろうか?当たる必要はない。注意を引き付けることができれば十分だ。確か腕力3なら、落とし穴の前からめいいっぱい投げれば注意は引けたはず。
石をポーチ部分にセットして、構えて、獰猛ウサギをめがけて大きく振る。石が、ウサギよりも大分離れたところに着弾する。
ぐりん、と獰猛ウサギの顔が動いて、冬真の姿を視認する。
冬真はスリングと石を投げ捨てて、急いで方向転換した。罠を回り込むようにして逃げる。
あっという間に破壊的な足音が背後から迫ってくる。なんとか罠の後ろに来れた、というところで、バキン、という音が響いた。
振り向くと、落とし穴のカモフラージュ用の枝が一部折れていて、その下にある禍々しい血の色の瞳と視線が合う。
冬真はすかさず尖った棒を拾い上げて、夢中で突きだした。何度か鈍い手ごたえを感じたあとは、何の手ごたえも感じなくなる。
のぞき込むと、獰猛ウサギは穴の中で死んでいた。
冬真は深く息を吐いて、天を仰ぐ。レベル2に上がってから、初めて、死ぬことなく敵を殺すことができた。疲労はしているが、無傷だ。
これで、冬真は、レベルを3以上に上げることができる。自分のレベルが敵の2倍になると、経験値は入らなくなるから、獰猛ウサギで上げられるレベルは6までだ。それでも、体力と敏捷を上げることができるから、初めての街には十分たどり着くことができる。
――もう、死ななくて、いい。
* * * *
【二十日目・夜】
目の前で、明るい色の炎が爆ぜていた。冬真は、黙って枝を突き刺した肉を炙る。
安定して獰猛ウサギを狩れるようになって、今日でレベルは4に上がった。
ステータスは、筋力3、体力5、敏捷5、器用3、魔力1。ぎりぎりだった獰猛ウサギの罠への誘導も、危なげなく行えるようになった。移動の速度は上がったし、作業の合間の休憩を減らせるようになったので、全体の効率もかなり上がった。
一方で、何度も解体をしているのに、肉の歩留まりは一向に改善しない。敏捷が上がったタイミングで、腕を動かす速度は気持ち早くなったような気はする。作業を繰り返すことによる習熟度の上昇は、残念ながらないようだ。
ゲームでも、スキルを入手するにはクエストやNPCから買わなければならず、入手するまでは完全にステータス依存で、スキルへの習熟度も入らないシステムだった。
冬真は、こんがりといい色に焼けた肉にかぶりつく。塩気と肉汁が、口のなかに溢れて、顔が自然にほころんだ。
嬉しいのは、毎日、十分な量の食事ができることだ。死んだらまたレベル1からになってしまうから、三食きちんと食べることにしている。
塩を振った焼肉だけだが、贅沢は言ってられない。栄養面が少しだけ心配だが、ゲームには栄養素なんてものは登場しなかったから、きっと大丈夫だと信じるしかない。
肉が十分にあるときは、解体もせずに死骸は森に捨てに行く。塩漬け肉も、全く傷まないわけではないからだ。なんでもかんでも解体するよりは、数をこなしてさっさとレベルを上げた方が効率的だ。
地球のゲームでは、十日も放置するとアイテムは消えてなくなっていた。この世界でもできればそうなってほしいと思っているが、どうなるかは分からない。
もちろん夜もしっかり眠っている。剥いだ皮を地面に敷き詰めて、身体の上にも何枚かかけて眠る。獣臭いのさえ我慢すれば、ずいぶん快適になったと思う。
――こんなレベルで快適になったと思えることに、呆れてしまう。それでも、自分で獲得したものが、誇らしくもあった。
レベル4でも、経路上の獰猛ウサギを慎重に罠に誘導すれば、街にたどり着くことは可能だと思う。しかし、冬真は、獰猛ウサギで上げられるレベルの上限である6まで上げてから移動するつもりだった。
理由は単純だ。敏捷と体力が十分でなければ、街に行っても、街から戻ってくるときに死んでしまう可能性が高い。そうなったら、またレベル1からのやり直しである。それだけは絶対に避けたい。
どのみち、次の敵である森のオオカミは、まだまだ倒せる敵ではない。焦っても、仕方ないのだ。もどかしくても、地道に慎重に、一歩ずつ。そうしないと全部無駄になるということを、ゲームをクリアした冬真は知っている。
* * * *
【三十日目・昼】
始まりの街へ向かう時が来た。
冬真は初期リスポーン地点の横、長らく生活場所にしていた場所から立ち上がった。午前中にせっせと作っていた荷物を肩から提げる。乾燥させた数枚のウサギ革で、塩漬け肉を包んで革紐で束ねたものだ。
冬真の足元には、乾燥済みの革が山のように積まれているが、現在の筋力ではわずかな量しか運べない。
落とし穴やフィールドのアイテムは、フィールドを離れても三日程度は初期化されないはずだ。獰猛ウサギの死体が腐って消えるまでの時間を測ったら、ゲームの仕様と同じ十日間だった。
しかし、絶望遊戯だなどと銘打っている世界だから、もしかしたら、街へ行って戻ってきたら、落とし穴もこの積み上げた革も、すべてがなくなっている可能性も捨てきれない。
それでも、冬真は街へ向かう。独りの作業にはいい加減うんざり――いや、そんな言葉では生ぬるい。
獰猛ウサギではもうレベルも上がらないし、次なる罠の設置に向けて、道具を調達しなければならない。確か、街でシャベルが入手できるはずなのだ。素手で落とし穴を掘るのは、もうたくさんだ。
遠くの草原をぴょこぴょこ動く影を眺めて、冬真は目を細めた。さて、無事にたどり着けるだろうか?
午前中の狩りでレベルが上がって6になり、ステータスは筋力3、体力8、敏捷10、器用3、魔力1になった。
獰猛ウサギをかわして街と往復することを考えて、ステータスポイントは、最大限、敏捷と体力に振っている。敏捷が成人男性並みとなったから、万が一獰猛ウサギに気づかれても、瞬間的に振り切れるはずだ。
死ぬたびに柔らかさが戻っていた足の裏の皮膚は、十日以上を生き延びるうちに随分固くなった。自然治癒ならもう少し時間がかかるような気もしたが、ここは排泄のない世界である。細かく考えるのはやめた。
獰猛ウサギのアグロ範囲を避けて、ゲームの記憶をたどって歩いていく。
――PC画面の中で飽きるほど何度も行き来した道だから、慎重に進めば大丈夫だ。ステータス配分も間違えていないはずだ。
うるさく音を立てる心臓に言い聞かせながら、冬真は足早に進んだ。革紐を握りしめた手のひらに、じっとり汗がにじむ。
やがて。永遠とも思えるような時間が過ぎて、草原を越えた向こうに、屋根が見える。――街だ。冬真は、跳ねるように駆け出した。
やりきった。この地獄のチュートリアルを、抜けた。ここからが、本当のゲームの開始である。
クソアビリティのせいで、地獄のような数十日だった。長すぎるほど長かった。
もしかしたら、街では機械のように味気ないNPCが待っているのかもしれないが――一応言葉を交わせるならそれで十分だ。とにもかくにも、前進しているという手ごたえがほしい。
この世界へ来てから、何度も自分に言い聞かせた言葉を、頭の中でもう一度、繰り返す。
――ここまで来れたんだ。絶対に地球へ帰る。帰れるはずだ。そして、和樹のやつを一発ぶん殴りたい。




