第二十六話
夜の城壁の上に煌々と松明が灯っている。
昼と同じように、魔獣の咆哮が全方向から上がっている。月明かりの下、蠢く影が地上を覆っていた。
「貴公がトーマか。話は聞いている。第一部隊総隊長のルーデンだ。魔法第一部隊の隊長も兼ねている」
冬真は、砦の城壁最上階で、新しい上官と対面していた。
時刻は、18時を過ぎたところだ。支度を済ませて交代のために部屋を出ようとしたところで、伝令に新しい部隊への転属を伝えられた。
ルーデンは、ちらりと冬真の背後に視線をやった。
「そちらが護衛のプレッタか」
冬真は頷く。冬真だけではなく、プレッタも冬真の護衛として一緒に異動になった。合流してきたプレッタは苦笑していたものだ。
「よほど君を怒らせたくないらしい」
冬真は肩を竦めた。プレッタの異動も、実のところそれほど意外ではなかった。
第一弓兵隊の隊長は、戦場に出てきたプレッタを見てさぞや仰天したことだろう。彼は冬真がプレッタを特別扱いしたことを知っている。冬真が別部隊にいる間にプレッタに何かがあれば、冬真という、突出した能力を持った魔法士の個人的不興を買いかねない。見えている地雷そのものだ。自分から遠いところに追い払いたいに決まっている。
ちなみに、魔法兵であれば、それも貴族であれば自前の護衛兵を連れているのは当然のことだそうだ。一般的に近接や回避が弱い魔法兵が不意打ちでやられないための対策だろう。
「貴公の能力に期待している。特に夜間は、弓の命中が著しく低下する。魔法兵の援護が最も重要だ」
「号令に従ってファイアーボールを撃てばいいのかな?」
ルーデンの眉がぴくりと動いた。敬語を使わない冬真の態度が気に入らなかったのかもしれない。一瞬、冷淡な光がその瞳の中によぎった。
「いいや。フレアウォールの使い手と聞いている。それで、各壁面の負荷を軽減してほしい」
「自由裁量で?」
「基本的には。指示を出した場合にはそれに従ってもらう。マナは常にハイヒール三回分を保つように注意せよ」
冬真は頷いた。もちろん、言われなくてもそうするつもりだ。対応力を上げるためか、魔法兵は弓兵とは違って露天だ。一段低いところに大量の近接兵がいるとは言え、危険度は高い。
「俺の持ち場は?」
ルーデンの左右に一定間隔に並んだ魔法士たちの後ろには、交代する人員が既に立っている。一見して、空きはなさそうだ。
「私の横だ」
ルーデンが皮肉に笑って付け足した。
「最も安全だ」
「お気遣い感謝する」
ふん、とルーデンが鼻を鳴らした。
「貴公にはいざというときにハイヒールで治療に回ってもらう必要がある。……第一魔法部隊第二隊、ファイアーボール三連! のち、速やかに第一隊に交代!」
魔法士たちが一斉に魔法を唱える。暗闇の中で、眩い火の玉が弧を描いて、次々と大地に落ちていく。地上に咲いた華を目掛けて、足元の矢間からも一斉に矢が飛んだ。弓部隊も交代だ。
ファイアーボールで空いた隙間を、瞬く間に黒いものが埋めていく。
「フレアウォール」
冬真が唱えると、たちまち城壁の少し先に炎の壁が立ち上がった。前列の近接兵からどよめきが上がった。交代して去ろうとしていた第二隊の魔法士たちが、ぎょっとしたように動きを止めて地上に視線をやる。第一隊の魔法士たちも、唇を引き結んで炎の壁に見入っている。
「……やはり、凄まじいな」
ルーデンが思わずと言ったように呟く。炎の壁には、次から次へと魔物が飛び込んで、燃え尽きていく。炎の壁が消えたあとも、魔法士たちはそこに立ち尽くしている。
冬真は眉を寄せた。
「ルーデン指揮官。彼らが止まっている」
はっとしたように、指揮官が動き出す。
「第一魔法部隊! ファイアーボール三連!」
魔法士たちがそれでやっと再起動してファイアーボールを撃ち始める。第二隊の魔法士たちは、ちらちらと冬真に視線を寄越しながら去っていった。
そこからは、フレアウォールを定期的に、敵の密集地点に撃っていくだけの簡単な任務だ。それ以外の魔法は使わない。自分の手を全て衆目に晒す必要はない。王国が味方であるとは限らないのだから。
高レベル個体が混じっている時には、頻度高くフレアウォールを撃って経験値を稼ぐ。近接兵の位置まで登ってこられる個体はほとんどなかった。
三時間ほど戦ったところで、冬真は指揮官の命令で休憩を取ることになった。第二隊のシフト後半で出撃するためだ。冬真の出撃時間をずらすことで、火力の恩恵をそれぞれのシフトで共有したいということらしい。
「君は私の予想を超える奴だな」
プレッタがそう言ったのは、あてがわれた部屋に戻る道すがらだった。
「プレッタが認めさせろって言ったんだよ」
「確かに言ったが。さすがに、ここまでとは想像していなかった」
プレッタは若干呆れ顔である。ちなみに、プレッタの部屋も冬真の部屋の横に用意してくれたそうだ。素晴らしい厚遇振りだ。いや、地雷をまとめているだけか?
「フレアウォールを使える貴族はかなり少ないみたいだね」
「そのようだな」
どれほどの珍しさなのかは、プレッタにも分からないようだ。平民であれば、貴族の一般的な実力がどれほどかなんて、知る必要も機会もないのだろう。
* * * *
異変は、次の交代時、壁上への階段を上っているときに訪れた。
閉め切られた重い扉の向こうから、いくつもの絶叫が降ってくる。
冬真とプレッタは視線を交わした。階段を駆け上がり、のぞき窓から様子を窺う。
「なんだあれは……」
プレッタのうめき声が横から聞こえた。
壁上では、一体の魔物が暴威を振るっている。熊の魔物だ。――ただし、血のように赤い毛皮を纏った、巨大な熊だ。
「ブラッドベアだ」
「知っているのか?」
冬真は頷く。このエリアでも最上級に強い魔物だ。魔法が使えない代わりに、突出した体力と筋力を誇り、敏捷と魔力耐性も高い。レベルは45。今までに見た標準的な人間のレベルでは対応不可能だ。少なくとも、敵が自由に動き回れるフィールドでは勝ち目がない。
近接兵に突進しては、紙かなにかのように人体を引きちぎっている。見ている間も火弾がいくつも命中するが、動きは一瞬止まるかどうかといったところだ。
「これは……全滅するのではないか?」
視界の端、ブラッドベアの死角で、近接兵が弩弓を構える。矢が放たれるのと、ブラッドベアが振り返るのは同時だった。恐ろしい反射速度で横に避けて、跳躍する。
プレッタが息をのむ音がした。冬真はそっと目を逸らす。
よくよく見れば、暴れているのはブラッドベアだけではない。ところどころで、ジャイアントベアも暴れている。近接兵が全滅するのは時間の問題だ。近接兵が全滅すれば、次は魔法兵がやられる。
迷っている暇はない。冬真は剣を抜いた。
「5からカウントして。0で扉を開けて。俺が出たらすぐに閉めて後退するんだ」
「トーマ?」
プレッタが息を呑んで冬真を見つめる。
倒せるかは分からない。だけど、倒す。
いずれ、魔王とはソロで戦わなければならない。その練習だと思えばいい。
覚悟を決めた顔で、プレッタが扉に手をかけた。
「5」
「メガパワー、メガヘイスト、メガデクスタリティ」
冬真は矢継ぎ早に、身体強化魔法を唱えた。これで筋力、器用、敏捷は二倍だ。筋力38、体力30、器用62、敏捷80、魔力120。敏捷には十分な余裕がある。最も不安があるのはスタミナだ。長期戦はできない。
「0!」
プレッタが叫んで扉を開ける。
冬真は一直線に飛びだした。アールバルにいたころとは、身体が比べ物にならないくらいに軽い。
「ショックバレット」
まずは衝撃弾。火力は低いが、行動を瞬間的にディレイさせることができる。
「ファイアバレット」
火弾がブラッドベアに命中する。気休め程度だが、注意を少しでも引くためだ。
「死にたくなければ下がってろ! こいつは俺が相手をする!」
冬真は吠えた。決死の表情でブラッドベアに切りかかろうとしていた近接兵たちが動きを止める。
「トーマ殿!? ばかな! 自殺行為だ! やめろ!」
背中のルーデンの声を、冬真は無視した。ブラッドベアの元へと走り込む。そのまま剣を振った。ブラッドベアも応戦して爪を振るう。十分に動きが見える。冬真は笑った。
一瞬で身体を止めて、フェイントを入れるようにしてブラッドベアの左に入る。返す剣で、腕の腱を狙う。気を抜いたら剣を取り落としてしまいそうなほど、硬い手応え。
ブラッドベアが怒りの咆哮を上げた。浅いが、傷をつけることはできた。
「あんまり毛皮に傷をつけたくないんだけど」
ブラッドベアの毛皮は、魔法耐性を上げることができる、貴重な防具用の素材だ。せっかくこんなところに出てきてくれたのだから、是非とも確保したい。
ブラッドベアが、再び前脚を振るう。右前脚。左前脚。噛みつき。その全てを避けて、もう一度。同じ場所を斬り付ける。先ほどと同じような手応え。
「範囲魔法が使えないだろ! 退け!」
冬真の一喝に、援護すべきか迷っていた近衛兵たちが、慌てた様子で後退していく。
三度、ブラッドベアが動き出す。
「ショックバレット」
至近距離の衝撃弾に、ブラッドベアが僅かに動きを鈍らせる。刹那に腕に返る、確かな手応え。ブラッドベアが悲鳴を上げる。
「うそだろ……」
誰かの呟きを耳が拾う。
ブラッドベアの左腕は、力を失ってぶらぶらと揺れている。ブラッドベアの目が、赤く輝いた。天にも届かんばかりの咆哮を上げる。
視界の端で、城壁上の他のジャイアントベアが、冬真に向きを変えるのが見えた。熊系魔物は基本は単独行動だが、ブラッドベアは例外だ。一定量のダメージを受けると、その付近にいるジャイアントベアを呼び寄せる。
「いかん、ジャイアントベアを止めろ!」
凄まじい振動を響かせながら、三匹ものジャイアントベアが、冬真に殺到する。ジャイアントベアと冬真の間に障害物となりうる近接兵はもはやいない。冬真は横目でそれを確認して、薄く笑った。
ブラッドベアが右腕を振り上げる。
「ショックウェーブ」
範囲効果の衝撃魔法を放った上で、冬真は後ろに跳躍した。
「フレアネット」
炎の網が、四匹の魔物を捕まえて包みこむ。ジャイアントベアの悲鳴が響き渡った。近接兵との戦闘で多少なりともダメージを受けていた三匹には、十分な致命傷だったようだ。
ブラッドベアだけが炎の網を突き破って現れる。素晴らしい魔法耐性だ。
右腕を避ける。冬真をかみ砕かんと、牙が迫る。冬真はタイミングを合わせて前に出た。誰かの悲鳴が聞こえる。
「そのモーションは、もう三回目だからなぁ!」
ぎりぎりで身体を返して、牙を避けて。冬真は、ブラッドベアの左目から脳天にかけて、横から剣を突き立てた。
悲鳴すらなかった。ただ、ブラッドベアは僅かに身体を震わせて、どうと倒れた。
冬真はすぐさま剣を引き抜いて、周囲を見渡す。他の敵はいない。冬真は眉を寄せた。その場の誰もが倒れたブラッドベアに――冬真に見入っている。魔物の群れの迎撃に備えなくていいのか?しかし、いつの間にか、周囲を埋め尽くしていた魔獣の咆哮も聞こえなくなっている。
「……う、うおおおおぉぉぉぉ!」
やがて、近接兵の一人が、冬真を見つめて雄たけびを上げた。それは、一人、また一人と、伝染していく。慟哭するもの、生き延びた喜びを露わにする者。
――そこには、確かな「生」があった。少なくとも、冬真が人生の中で出会った、どんな瞬間よりも。
そして、戦闘終了を告げる鐘が鳴った。
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