第十二話
風が、冬真の登った高木の葉を揺らし、爽やかな音を立てる。
冬真は、大きく息を吸って、吐く。それから、木弓を引き絞る。
狙いは、木立の向こう。岩場に佇む、巨大な山羊、マウンテン・ゴートだ。Lv9の魔物である。
マウンテン・ゴートは、木に登る能力を持たない。万が一矢が外れたとしても、矢が尽きる前に射殺せば何の危険もなく狩ることができる相手だ。
狙いは頭。うまく命中すれば一撃となる。現在の冬真の器用は、18。プレッタの指導によって獲得した弓術もあるから、決して無理な話ではない。
隣の木にはプレッタが登り、冬真の様子を見守ってくれている。
もう一度息を吸う。プレッタによれば、射る瞬間に息を止めると、力むからダメなのだそうだ。むしろ意識して息を吐かなくてはならないのだという。
息を吐く。同時に、右手が矢を放す。矢は眼下の岩場に向かって、一直線に飛んで行く。そのとき、風がびゅうと音を立てて吹いた。逸れた。
山羊の甲高いいななきが響き渡る。首に矢が突き立っている。
――山羊は角が邪魔だから、初撃以外は胴を狙う。冬真は口の中でプレッタの教えを復唱した。
すでにつがえていた矢を放つ。敵の進路を予測して放った矢は、吸い込まれるように胴体に刺さった。今度のいななきは、怒りではなく悲鳴だった。
さらに矢を撃つ。三本を撃って、二本が外れた。しかし三本目で、ようやく山羊は動きを止める。
冬真は、弓を下ろした。口が自然に緩む。胸に去来するのは達成感だった。
プレッタから教わった、登攀と、弓術。そして昨日レベル14に上がった恩恵で、冬真は罠に頼らず、ソロでも敵を狩れるようになったのである。自分よりレベルが5も低い敵だから、効率がいいとは言えないが、木を使って高所から狩りができるのは非常に大きい。
* * * *
焚き火の爆ぜる音が辺りに響いている。炎が風に揺らめいて、地面に長く伸びた二つの影を揺らす。肉の焼ける香ばしい匂いが、鼻をくすぐった。
女傭兵が、焚き火の横に挿した肉串の焼け具合を確認して、手早くひっくり返していく。
「君の成長の仕方は実におもしろい」
プレッタがしみじみと言う。
冬真も反対側から、肉串を返していく。
プレッタと共に行動するようになって、一カ月。二人はいまだキャルカルの町の近郊に留まっている。冬真の今の実力では、次の街であるアールバルへの移動は厳しいというのがプレッタの見立てだ。
女傭兵がこの一カ月で冬真に教えてくれたのは、剣術、短剣術、弓術、盾術、野営術、登攀術、そして隠密術。基礎スキルのほとんどを教えてくれた。
「努力の割にまったく強くならないから才能がないのかと思えば、突然強くなる」
冬真は肩を竦めた。
「成長なんてそんなものでは」
「限度というものがあるだろう」
プレッタは呆れ顔だ。
「技量はともかく……、筋力は一瞬で上がったりはしないんだぞ」
現在の冬真のステータスは、レベル14、筋力12、体力14、敏捷12、器用18、魔力1だ。いっぱしの近接兵ビルドである。
訓練についていくのと狩りの回転率を上げるために、レベルが12になったときに、体力に4振って12に上げた。突然持久力が上がった冬真に、プレッタは目を丸くしていた。女傭兵がいると敵の殲滅速度が速いので、連戦のボトルネックが冬真の体力になっていたのだ。
とろいと言われていたので、敏捷にも振って、そこから先は器用である。遠距離攻撃の精度に直接影響するからだ。しかし、どこまでプレッタを当てにしていいのかが、判断がつかずにいる。
スヴァイクは離脱すると見せかけて、最後まで同行してくれるキャラだったが――プレッタがその枠なのかが、分からない。――プレッタのステータス画面は、表示されない。つまり、プレッタは、ゲームシステム上の仲間ではない。
ゲームであれば、仲間になったキャラはステータス画面が見ることができる。レベルアップのステータスを自由に割り振ることはできなかったが、ステータス自体は見ることができたし、装備も変えられたのに。
そして、経験値も減っていない。パーティーの人数が増えると、経験値が配分されて減ってしまうのだ。しかし、レベルアップの速度は減速どころか、プレッタの協力のおかげで加速している。
「まあ、女神様のご加護があるのでしょう」
レベルが13になったあとに、弓も自作した。戦士よりも職人の方が向いているのではないか、というのがプレッタの評だ。それだけで元の世界に戻れるのならば、冬真だって喜んでそうするつもりだ。
「なるほど、選ばれただけのことはあるということか」
適当な冬真の言葉に、プレッタは納得したように頷いている。
「確かに、この調子で強くなれるのなら、私より強くなる日もいずれ来るだろう。……まだまだ先は長そうだが」
「いずれ越えますよ」
「頼もしい限りだ」
女傭兵が微笑んで、肉串の一つを手に取った。
「では、そろそろ、依頼を片付けようか」
「盗賊ですか?」
冬真は、自分も肉串を取ろうとしていた手を止めた。数日前に、町長からされた依頼。あれは、盗賊を見かけることがあったら、という程度の情報共有の依頼だったのではなかったか。
「ああ。アールバルにも移動する頃合いだ。先に通り道の掃除といこうじゃないか」
冬真は首を傾げる。
「偵察依頼ですよね?」
「そのまま討伐してもいいと言っていただろう」
「バカしか依頼を受けないと言っていませんでしたっけ?」
プレッタがうっすら笑う。
「君が魔王と戦うために前線に行くというのなら、敵を選べる状況ばかりではないぞ。敵の数が味方より多い状況の方が、圧倒的に多い。学ぶのにはうってつけじゃないか?」
「なるほど」
「ついては、聞きたいことがある」
焚き火の炎が揺らめく。女傭兵の横顔を照らし出す。琥珀の瞳が、炎を反射して、きらめいた。
「君は、人を殺したことがあるか?」
* * * *
うっすらした星明かりの下で、冬真は懸命に足を動かした。前を歩くプレッタの背中を追いかける。
「相手が獣ではなく人、それも複数であるなら、私たちが偵察に動くのは、昼ではなく夜だ」
「夜に動いたら、向こうから襲いかかってくるのでは?」
「もうすこし大きな街道ならそれもあるだろうが、このあたりでは、夜に街道を歩く人間は滅多にいないぞ。来るかもわからない獲物のために、夜の森で一晩中待機するのは現実的じゃない。今回の被害も、午前中だ。夜明けとともに出発した三人組が被害に遭った。それに、夜であれば飛び道具が使い物にならない。偵察のつもりが見つかっても逃げやすい」
冬真は考え込む。
「それなら、相手は明け方に街道を監視している?」
「そうだ。一人は町の出口を見張らせて、二人は街道の両脇で獲物を待つ。後続に人がいないようであれば、見張りが後からついていって、合図を出して襲いかかる。このあたりが定石だろうが、盗賊どもがそこまで考えているかは分からんな。実際、一人を取り逃したわけだし」
一人を取り逃した。その言葉が示す事実に、冬真の心は重くなる。つまり、三人のうち二人は、逃げられなかったということだ。
「君なら、この盗賊たちを討伐するために、どう動く?」
「俺なら……まずは見張りが離れた隙に二人を討伐します。それで、戻ってきた見張りを倒す」
「悪くない。だが、足りない。見張りを分ける作戦を取っているかもわからないわけだしな」
プレッタは滑るように動いていく。
「最も大事なのは、地形の把握だ。それも、向こうに私たちが調査していることを悟らせてはいけない。狩場を変えられる可能性がある。他の傭兵たちがどう動いているかはわからないがな」
狩場。人間が人間を狩るという、残酷な現実がある。冬真たちだって、盗賊を狩ろうとしている。単語のチョイスは合っているはずなのに、違和感がぬぐえないのは、冬真が現代日本の感覚を捨てきれていないせいだ。
「襲うのに適した地形を見極めて、そこで痕跡を探す。不自然に枝が折れている藪があるはずだ。逃げのびた町人が、相手が三人組だと特定できているということは、木に登っていたとは考えにくい」
「そのためのランプですか」
冬真は手に持ったランプに目をやる。革のカーテンを上から掛けて、光が最小限にしか漏れないようになっている。
「見つかるリスクはあるが、星明かりの下で痕跡を見つけるのは難しいからな」
「なるほど」
「最も安全度の高い策は、囮だ。明け方に町を出る、獲物となる人間をマークして追いかける。襲いかかっているところを横から始末するのが最も効率がいい。間違いもないしな」
冬真は顔を歪めた。それは冬真も考えた。……しかし、それをしてしまったら、何か大切なものを失ってしまう気がしたのだ。
冬真が、人間として守るべき何か。倫理と呼んでいいかもしれない。相手がゲームのNPCだとしても、どう見ても人間にしか見えない。見殺しにするのは抵抗がある。
「しかし、それでは君の偵察の練習にならないから、今回はしない」
今回は。いずれはする場面がくるかもしれないということだ。
「待ち伏せ箇所の特定が済んだら、十分な距離を取って監視するぞ。奴らの行動パターンを把握する。相手の人数が自分たちより多い間は、不用意に襲いかかってはならない。どう討伐するかは、行動パターンを見てから作戦を立てる」
そこでプレッタが、冬真を振り返って笑う。
「ただし今回は、三対二だからな。相手が獲物を見つけて襲いかかるようなら、その瞬間を狙って討伐する。弓で数を減らすぞ。胴体を狙え。戦闘能力を削げば十分だ」
背負った弓が、ずっしりと重くなった気がする。
それでも、冬真は頷いた。陰鬱な気持ちになったところで、現実は変わらない。冬真は地球に帰る。その目的のために、今は。




