最終話 愛と祈りの代償
命を懸けて、世界を選び直す。
それは“犠牲”ではない。
私たちは、愛の名のもとに――この未来を、勝ち取るのだから。
これは、理を超え、祈りで紡がれた物語の終焉。
そして、すべての始まりの一歩です。
金色の階を登るたび、足元から現実が遠のいていく。
下を見れば、雲海がゆっくり閉じ、私たちを現世から切り離す。
そこに、神はいた。
形はない。けれど確かにこちらを見ている。
永劫の時を湛えた目。その奥に、冷たさと微かな好奇心、そして長い長い旅路の末の疲れが潜んでいる。
「望みを言え――」
無機質な響きに、ほんのわずかな揺れが混じる。
永遠の中で初めて、人の声を“待っている”かのように。
ユウトの手を、強く握る。
「世界を……元通りにしてください」
沈黙。
神の意識が深く降りてくる。
「それは、おまえたちの存在と引き換えだ」
「世界の輪廻は元に戻さねばならぬ。勇者が魔王を止めなかったゆえに破壊された世界を戻すには、魔王と勇者の有する力を使うほかない」
「構わない」
ユウトの声は揺れない。
「僕は……いや、僕たちは、このためにここまで来た」
胸の奥に、紫と金の糸が結び目を作るような感覚が走る。
――港町ネレイアの潮風。あの時、少年が「ありがとう」と言ってくれた時、全てが報われた気がした。
――魔王軍の炎。熱が頬を焦がし、ユウトが消えてしまった時、何もかもに絶望した。
――海竜の蒼い光。水面に映る二人の影。その足元で、糸が揺れ、静かに結ばれていくのを感じた。
全部、このために。
この未来を選ぶために。
「あなたと出会って、私は初めて祈りを知った。
誰かのために生きたいと、心から思えた」
ユウトも微笑む。
「僕もだ。君がいたから……僕は勇者じゃなく、“僕”でいられた」
その言葉に――神の目が、ほんの一瞬だけ揺れた。
光が足元から立ち上がる。
世界が、新しい形に選び直されようとしている。
「サクラ……怖くない?」
「あなたと一緒なんだもの。怖くないわ」
光が強くなる。
手が透ける。
指先が空気に溶ける。
輪郭が崩れる。
心臓の鼓動が、耳の奥で高鳴る。
潮の匂いが、なぜか濃くなる。
ユウトの体温と匂いが、最後の現実として焼きつく。
呼吸の音が遠ざかる。
時間が、一拍ごとに薄れていく。
それでも――視線は離さなかった。
最後まで、祈りを途切れさせないために。
「運命と血に抗った私たちが、ここまで来た。
消えても、愛は残る。祈りは届く」
ユウトが頷く。
「じゃあ、行こう。二人で世界を変えよう」
私たちは同時に目を閉じた。
光が弾ける。
紫と金の糸がほどけ、幾千もの花弁のような閃光となり、世界中へ飛び散った。
⸻
空が晴れる。
雲が裂け、陽光が海を抱きしめる。
黒く干上がった大地から、草が芽吹く。
干潟の魚が波とともに海へ帰る。
ある村では、老婆が手を合わせ、頬を濡らす。
別の街では、恋人たちが互いの手を握り、空を見上げた。
そして――海辺の小さな港町で、一人の少年が風に顔を向けた。
潮の香りに混じって、誰かが名前を呼ぶような声がした。
彼は理由もわからぬまま、笑みをこぼした。
⸻
誰も知らない。
なぜ世界が救われたのか。
けれど、人々はなぜか――胸の奥が温かいと感じていた。
風が吹き抜ける。
それは山を越え、海を渡り、人々の頬を撫でる。
その中に、紫と金の糸が織り込まれた二つの声が混じっている。
名前を呼び合い、微笑むような響き。
こうして、私たちは消えた。
けれど、愛と祈りは――この風となり、生き続ける。
きっとまた誰かを動かし、誰かの未来を選び直させるために。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
ユウトとサクラが選んだ“世界の再生”という道は、決して悲劇ではありません。
彼らは奪われるのではなく、“自らの手で”世界を救い、愛を選び取ったのです。
その意志は、きっとこの世界のどこかに、優しい風のように残り続けるでしょう。
次回、エピローグでは――
消えたはずのふたりが、もう一度“名前を呼び合う”物語を描きます。
どうぞ、最後までお付き合いください。
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