第26話 運命と戦う
この世界に“祈り”は届かないのかもしれない。
世界そのものが、運命としてユウトを飲み込もうとしている。
それでも、私は――あきらめたくなかった。
ユウトが、膝をついた。
幾重にも降り注いだ光の斬撃が、彼の身体を押し潰し、剣を鈍らせ、ついに地に伏せさせた。
それでも、彼は私の前に立ち続けてくれていた。
血を流しながらも、私を守ろうとしていた。
「……ユウト……っ!」
私は手を伸ばした。けれど届かない。
視界が揺れて、魔力は底をつき、足が動かない。
そのときだった。
天使たちが一斉に剣を引いた。
無音のまま、ユウトのまわりを円陣のように囲み、静かに頭を垂れる。
まるで――儀式の始まりを告げるように。
空気が凍った。
風も波も、呼吸すらも、世界から消えていく。
そして――
《⋄⟡≺ʃι≎∑λ≻⋄・≡∇ʘΣ⇋》
《⋄⟡≺ʃι≎∑λ≻⋄・≡∇ʘΣ⇋》
《⋄⟡≺ʃι≎∑λ≻⋄・≡∇ʘΣ⇋》
人の言葉ではなかった。
けれど、頭の中に直接、意味が響いてくる。
《運命に還れ》
それは、世界からの命令だった。
輪廻の外に踏み出したユウトを、元の“器”へ押し戻す――無慈悲な詠唱。
空が、裂けた。
眩い光の向こうから、六枚の翼を持つ天使が降りてきた。
銀の仮面に瞳はなく、足先すら地につけずに浮かぶその姿には、神聖でも邪悪でもない、ただ“絶対”という冷たさが宿っていた。
六翼の天使は、ゆっくりと両腕を上げる。
一方の指先を天へ、もう一方を――ユウトの額へ。
その指が、そっと触れた瞬間。
「っ……が……!」
ユウトの全身が、跳ねるように震えた。
額から放たれた光が、彼の記憶と意識を、深く、深くえぐり出していく。
痙攣する身体。
歯を食いしばり、それでも天を睨むように見上げている。
それは、祝福ではなかった。
命令だった。
強制だった。
世界が“勇者”を登録する、冷酷な儀式。
そして、ユウトの額に、光の紋章が浮かび上がった。
円環と十字が重なった、まるで識別印のような、運命の刻印。
「ユウト……っ!」
私は叫んだ。けれど、彼には届かなかった。
その目は、私を見ていない。
彼は――私の知らない何かを見ている。いや、“見せられている”。
「なぜ、抗う」
「世界を守るために、魔王を討て」
「それが、おまえの使命」
声が、光の中から重なり合って響く。
ひとつの声ではなかった。
歴代の勇者たちの意志が、幾重にも折り重なり、彼に囁きかけていた。
「やめて……連れて行かないで……ユウトを……!」
私は、魔力の残りかすをかき集めて手を伸ばす。
けれど、ユウトから発せられた光がそれを拒絶する。
まるで、私はこの儀式に“関わる資格がない”とでも言うかのように。
私は、崩れるように膝をついた。
何も、できない。
彼が、苦しんでいるのに……!!
「どうして……こんな……っ!」
「私はただ……ユウトと、皆で笑って……幸せな世界で生きたかっただけなのに……!!」
涙がこぼれた。
私は、ただ祈るしかなかった。懇願するしかなかった。
「お願い……ユウトを……彼だけは、どうか……!」
あのとき、名前を呼んでくれた人。
私に笑い方を教えてくれた人を、私は……もう、失いたくないの。
そのときだった。
胸元のペンダントが、熱を帯びた。
“カリ……ッ”という、微かな音。
三日月の彫刻に、細かなひびが入っていく。
そこから滲み出すように、光が溢れ始めた。
それは、ユウトから発せられているものとは、全く異なる光だった。
温かく、優しく、けれども揺るぎない、ひとつの“願い”のような光…
《……血を、呼び起こせ……》
外からではなく、私の内側から響いた声。
胸の奥に、そっと染み込んでくるような囁き。
その光のなかに、私はふたりの姿を見た。
父――アドラメレク。
母――アネモネ。
ふたりは何も言わず、ただ私を見ていた。
――見守っている。
そう、確かに感じた。
それだけじゃなかった。
光の奥には、もっと多くの影があった。
深紅の瞳。
漆黒の衣。
絶望のなかに、祈りを宿す者たち。
――これは……魔王の一族。
歴代の魔王たちが、私を囲むように立っていた。
彼らのその眼差しには、静かな決意が宿っていた。
力を託すこと。
破壊のためではなく、誰かを守るために。
私は、ようやく理解した。
なぜ、ユウトが“勇者”なのか。
なぜ、世界が“魔王”を滅ぼそうとするのか。
勇者は、神に選ばれる。
だからこそ、それは“運命”となる。
血筋も願いも関係なく――ただ、選ばれたという理由だけで、彼らは魔王を討つ使命を刻まれる。
一方で、魔王は……
初代が、血の盟約によって輪廻の外へと自らを追いやった存在。
“選ばれる”のではない。
“選ぶ”のだ。誰かを救うために、世界の理を覆す道を。
だから世界は、魔王を排除しようとする。
勇者を“秩序”として立ち上げ、抗う者を討たせる。
私の血が、今、それを思い出している。
すべては――ここに至るためだったのだ!
……私は、運命と戦う。
選ばれる者と、選ぶ者。
勇者とは神に選ばれた“運命”であり、
魔王とは血によって繋がれた“意志”の継承者。
その矛盾に気づいたサクラが、初めて“自らの存在理由”を受け入れ始めた章でした。
このお話では、作者として、「運命に従うこと」と「誰かを守ること」が
両立し得るのか――という問いについて、言葉を紡ぎました。
次回――
たとえ祈りが届かなくても、サクラは“叫ぶ”ことをやめません。
第32話「神への宣言」、どうか見届けてください。
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この物語は、初めて書いている長編小説です。
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