第23話 君と運命、そして試練
過去は消せない。
けれど、それでも――私は、生きて贖いたい。
たとえ、この命を世界が赦さなくても。
──光が、海底から滲むように現れた。
波は穏やかなままだというのに、空気が凍りつくような冷たさを帯びていく。
それは、かつて感じたあの気配だった。
けれど、今は……怒りと絶望が、濃く、重く、そこにあった。
「……来たわね」
思わず呟いた私の声が、かすかに震えていた。
ユウトが私を見つめる。その目には、問いでも驚きでもなく、ただ――覚悟が宿っていた。
「海が……震えてる」
ユウトの言葉に、私は頷く。
そして、その瞬間だった。
海面が、不自然なまでの静けさをもって割れた。
空を裂くような光が水中から立ち上り、巨大な影が、静かに姿を現した。
――海竜。
あの日、私の生き様を見守ると言ってくれた、海の守護者。
だが今、その瞳は、私に向けられる裁きの色を宿していた。
「……久しいな、“サクラ”」
その声音はかすかに震えていた。
怒りとも、悲しみともつかぬ色が、重く響く。
「見届けたぞ。貴様が、いかにして“世界を壊したか”を」
私は言葉を失い、ただ彼の視線を受け止めていた。
ユウトが一歩、私の前に出た。
「待ってくれ。彼女は――!」
「黙れ、勇者よ」
海竜の声が、低く、鋭く切り裂いた。
「我が問いかけに答えるのは、“贖罪”を背負うその者のみ。
汝は、ただ見届けるがよい」
私は、ユウトの背中をそっと押しのけた。
その瞳には迷いはなかった。
「……ええ、私は世界を壊した。多くを失わせ、多くを奪った。
それが“私の罪”。だから、赦されようとは思っていないわ」
私は静かに目を閉じ、胸に手を当てる。
「でも……生きて贖いたい。
母が、希望を与えたように。
私も、誰かの“光”でありたいと願った」
海竜の目が細められる。
「その願いが、世界を呑み込んだのだ」
「……分かってる」
私は首を振る。
「でも、私はそれでも、名を捨てたくない。
“サクラ”として、もう一度、歩き直したいの」
沈黙が落ちる。
海竜の巨大な尾が、ゆっくりと波を打った。
「……世界を滅ぼしても、なお何も学ばぬのか。魔王の血を引く者よ」
「私は、アネモネの娘でもある。
力と慈愛――その両方を、抱いて生きていく」
そのときだった。
ユウトが前へ出た。
「彼女は、世界を壊した。でも、今……生きようとしてる」
その声は、決して怒りではなかった。
静かで、まっすぐで、強かった。
「彼女だけの力じゃ、運命は覆せないかもしれない。
でも……勇者と魔王が手を取り合えば、きっと――輪廻を変えられる!」
海竜の瞳が、はっきりと揺れた。
その一言が、海を震わせる。
次の瞬間、咆哮が天を裂いた。
「愚か者がァァァァァァッ!!」
海が沸騰したように爆ぜる。
潮が逆巻き、風が暴れ、空が暗転していく。
「まだ言うか! その理想は、かつてアドラメレクも口にした!」
「……!」
「だが奴は、裏切った。人に、世界に、そして“希望”に!」
海竜の眼光が鋭くなり、雷のような声が響き渡る。
「もはや、貴様らにこの世界は任せられぬ。
勇者よ、我が手で“輪廻”に戻してやろう」
そしてサクラへ。
「魔王よ、その血が犯した罪を償え。我が食ろうて、その任を変わってやろうぞ」
彼の巨体がうねり、海を裂いて迫ってくる。
私はその場に立ち尽くしていた。
罰を受けることが、当然のように思えた。
でも――
「待て!!!」
ユウトの叫びが、嵐を裂いた。
「彼女は、今を生きている! 奪ったものがあるからこそ、返すために歩こうとしてるんだ!」
ユウトは剣を抜く。
「どうか……その道を、奪わないでくれ!」
一瞬だけ、海竜の動きが止まった。
その隙に、私は一歩、海の前へと出る。
「私は、あなたを裏切った。でも、私は……変わりたい。
信じることを、もう一度信じたい」
風が、吹いた。
ユウトと、私の想いが交差する。
「ならば――見せてみよ、その“決意”を」
海竜が吠える。
その巨躯が、空を覆い、海が咆哮を返す。
「生き様で、証明せよ!
この命を賭して、お前たちの“希望”を試してやろう!」
私は頷いた。
それが、私の罪に対する答えであり、
“サクラ”という名に向き合う、ただひとつの道だった。
――その刹那、海が裂けた。
深き怒りが、ふたりに牙をむいた。
サクラの罪。
ユウトの叫び。
海竜の裁き。
ふたりの想いは、果たして“赦し”に届くのか。
運命に抗う者たちの戦いが、いま、始まる。
次回――「私は、君を選ぶ」
読んで頂ければ幸いです。