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魔王の娘ですが皇子に惚れたので世界と戦います  作者: ヒカリ
第4章  君に惚れたので、世界と戦います
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第22話  引き裂いてしまった怪物のつがい

 怒りだけではない。

 その咆哮には、喪失と、悲しみが滲んでいた。


 バレーナの“つがい”との邂逅。

 それは、かつて命を奪った者と、奪われた者の再会だった。


 力を失ったサクラと、力を手にしたユウト。

 ふたりの立場が逆転する中で、それでも変わらぬ“想い”があった。

 ──海が、ざわめいている。


 水平線の向こう。まだ朝焼けの残る空の下、波がひときわ高くうねっていた。潮の流れが逆巻き、帆が不穏に軋む。


 海を割り、飛沫を上げながら、巨大な黒い塊が跳ね上がる。


 ユウトが険しい顔をした。


 「……来るぞ」


 低く落とされたその声だけで、私は息を詰めた。


 


 水面に広がる飛沫の向こう。その輪郭が、ゆっくりと──けれど確かに姿を現していく。


 鱗に覆われた巨大な背中。海そのもののような漆黒の肌。


 ……それは、バレーナによく似ていた。


 


 バレーナ。


 ──あれを殺したのは、私。


 だからこそ、わかる。


 これは、バレーナの“つがい”。


 


 その目が、船を、私たちを、まっすぐに見据えていた。


 鋭く、深く、沈んだ怒りを湛えている。


 けれどそれだけじゃない。悲しみのような、欠けたものを埋めようとするような気配が、静かに滲んでいた。


 


 私は、動けなかった。


 この身体に、もう魔力はほとんど残っていない。


 ペンダントの三日月も、その役目を終えたかのように、何の反応も示さない。


 


 ……だから、何もできない。


 ただ、立ち尽くすしかなかった。


 


 「下がってて」


 ユウトの声が、すぐそばから聞こえた。


 気づけば彼が、私を庇うように前へ出て、船の穂先で剣を構えていた。


 


 「……危ないわ」


 思わず声が漏れた。でも彼は、振り返らなかった。


 背中越しに、言葉だけが届く。


 「大丈夫。僕がやる。君は……無理をするな」


 


 その言葉が、苦しかった。


 悔しさじゃない。情けなさでもない。


 ただ、彼が傷つくのが怖かった。


 


 怪物が吠えた。


 海が震えるほどの咆哮。波が高く跳ね、船体が軋む。


 その咆哮は、まるで言葉のように響いてきた。


 

 「なぜ殺した。なぜ、奪った。わたしの半身を……」


 咆哮は、怒りだけじゃない。

 あれも、きっと“奪われた”まま、ただ嘆いていたのだ。


 黒い塊は、船底を何度も往復し、攻撃の機会をうかがっている。


 私は、帆の柱にしがみつくようにして立ち尽くしていた。


 ユウトが剣を構え直す。


 


 その姿は、かつての彼とはまるで違って見えた。


 迷いがない。震えも、躊躇いもなかった。


 ただひたすらに、誰かを守るための剣。


 


 何かが、胸の奥で軋んだ。


 ざらついた感覚。息が詰まる。


 ユウトのために何もできないことが、こんなにも苦しいなんて。


 


 怪物が跳ね上がる。


 黒い背中が空を裂き、そのまま船をめがけて突進してくる。


 


 ユウトが叫んだ。


 「伏せろ、サクラ!!」


 


 その声に、私は体を低くした。


 風が裂ける。


 光が走る。


 


 黒い塊と、青白い光が交錯する。


 彼の剣が、怪物の頭部を貫いたのが見えた。


 


 黒い塊は、おびただしいほどの黒い血を海面に漂わせながら、船底へと潜る。


 


 ……まだ、諦めていない。


 どれだけ傷ついても、必ず復讐する。


 そう言っているようだった。


 


 もう一度、海が割れる。


 空気を揺るがし、雲を突き破るほどの咆哮。


 


 「つがいを、バレーナを返せ」


 


 そう聞こえた気がした。


 


 そのあとの光景は、焼きついて離れなかった。


 ユウトが甲板を蹴り、黒い塊と交錯する。


 


 咆哮が途切れ、波が沈黙し、黒い影が静かに、海の底へと沈んでいった。


 海面には、おびただしいほどの黒い血が残された。


 


 ……音が、消えた。


 


 あんなに騒がしかった世界が、嘘みたいに静かだった。


 波の音も、風の音も、遠くへ行ってしまったように思えた。


 


 ユウトは、剣を持ったまま、ゆっくりと膝をついた。


 私は、駆け寄ることもできず、その場に立ち尽くしていた。


 


 彼は、何も言わなかった。


 ただ静かに、海を見ていた。


 どこか、とても遠くを見ているような瞳だった。


 


 私は、そっと彼の隣にしゃがみ込む。


 そして、黙ってその手を取った。


 


 冷たくて、少しだけ震えていた。

 それでも私は、何も言わなかった。

 言葉にしたら、壊れてしまいそうな気がした。



 ただ、その手を握る。

 それは、私に残された唯一の“祈り”だった。

 でも、きっとそれだけは、届くと信じた。

 


 波が、戻ってくる音がした。


 雲の向こうに、太陽が姿を見せようとしていた。


 その光はまだ見えないけれど、それでも、確かにそこにある。


 


 ふと、ユウトがこちらを見た。


 私の指を、少しだけ強く握り返してくれる。


 


 私は目を細め、そっと空を見上げた。


 


 まだ少しだけ、夜の名残が残っている。


 その薄い雲の向こうに、光が差し始めていた。


 


 そして私は、ほんのわずかに、笑った。


 彼に気づかれないように、小さく、静かに。


 


 痛みとやさしさは、たしかにここにあった。


 何も語らずに、それでも届くものが、たしかにあった。


 ……そう思えたことが、嬉しかった。



──その直後だった。


 船底が、かすかに揺れた。

 まるで、遠く深い場所から、何かがこちらを“見ている”ような感覚。


 ユウトも私も、息を呑んで海を見つめる。


 静かな水平線の向こう。

 何かがこちらをうかがっていた。


 それは、かつて深海で出会った“聖なる眼差し”によく似ていた。


「風が変わった──」

 ユウトが呟く。


 そう、確かに思った。

 これは、過去でも、怒りでもない。


 もっと遠くて、深くて……

 

 “私たちの旅”を見ているような、そんな眼差し。


 

 喪失は、時に人を怪物に変えてしまう。

 でも、その奥底には、必ず“悲しみ”という静かな感情があるのだと思います。


 今回は、ユウトがサクラを守る番。

 力の対称が変わっても、彼らの“想い”は変わらずそこにありました。


 そして物語は、次なる“深海の記憶”へ。

 見つめ返すような聖なる眼差しが、ふたりの旅の行方を問おうとしています。


 次回、第23話──再びあの「海竜」が現れます。

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