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第20話  ようやく…会えたね

一度、世界を壊した少女がいた。

そして、運命に翻弄され、名前まで奪われた少年がいた。


少女はあきらめなかった。

彼を探し続け、何百年の夜を越えた。

たとえ世界に拒まれても、誰にも信じてもらえなくても——


その手を、もう一度、握りたかった。


今、ふたりは“塩のしおもん”へと辿り着く。

忘れ去られた海の前で、かつて交わした約束と、失われた記憶がふたたび重なるとき——


これは、“君を迎えに行く”お話

名を呼ぶことで始まり、涙とともに未来を選ぶ

夜の鐘が、まるで背中を押し戻すように鳴り響く。


ここはもう塩門——忘れ去られた海の前。

私は、かつての彼と同じ手を、確かに握っていた。


鉄と鞭と泥にまみれた牢獄の日々――それを断ち切るために、彼の手をしっかりと握り、先を急ぐ。


 


夜空には星ひとつない。

分厚い雲が覆い、冷たい風が砂を巻き上げている。


その中で、私の胸の中にある、ペンダントの三日月の彫刻が一際明るく輝いているように見える。

まるで、父と母が守ってくれているかのよう。




しばらく進むと、気づけば景色は白に染まっていた。



――これは潮結晶だ。我の復讐の残滓

ーーここで、アネモネは死んだ。


父の声が聞こえてくる。


父の声が胸の奥に響いた。足元に漂う紅の残滓は、魔王アドラメレクがかつてこの地に刻んだ灼熱の魔力――母を喪った怒りの名残だ。


ここが……母が逝った場所。人との共生を信じ、最後まで諦めなかった魔王妃アネモネが――人間の裏切りによって、父と私をこの世界に残した、あの場所。



「ここは……」

彼の声が震える。

私は答えず、ただ先へ歩く。


父の声が聞こえる。

ーーこの呪いは……我が血では解けぬ

ーー我を裏切った“人間”に、それを開く資格を託したのだ

……アネモネ、お前を愛したことは、過ちではない。人を憎んでもなお、我は信じていたかった


母が答える。

ーーサクラ、私は帝国の皇帝の血を継ぐ者。皇帝の血こそ、鍵なの



世界を滅ぼしてしまった私に、魔力は残っていない。

彼は力を貸してくれるだろうか。

 


やがて、沈黙を破るように、彼が口を開いた。


「お前、本当に何者なんだ。……俺に、何をさせたい」


私は振り返らず、言葉を選んで答えた。


「ユウト。あなたは、海の帝国の血を継ぐ最後の者。

 あなたの存在が、この世界の呪いを解く鍵なの」


そう。あなたは皇位を継ぐ存在だった。

海洋国家だった、あなたの国の都市ルシエラの潮の香り、一緒に旅をした港町ネレイアの人々の顔をふと思い出す。


「はっ……」

乾いた笑いが、風の中に消えていく。


「俺が? 海の帝国の血? 笑わせるなよ。

 俺は、ただの汚れた奴隷だ。海なんか見たこともない」


その言葉に、胸が痛んだ。

この世界が、彼をどれだけ傷つけてきたのかが分かる。


私は、立ち止まり、彼を見て言った。


「見たことがなくても、心の奥では覚えているはずよ。

 あなたの血が、海を呼ぶ」



その瞬間、彼の表情がわずかに揺れた。

でも、彼は首を振る。

信じれば裏切られる、そう思い込んでいる人の表情だった。


 

私がまた歩き出すと、足音を追うように彼がついてくる。

白い結晶が音を立て、私たちの進む道を照らしていた。


「この白いのは、塩じゃないのか」


「“潮結晶”よ。

 海が押し留められて長い間、結界の外側にだけ析出した、呪いの副産物……

 触れすぎないで。体温で融けると皮膚を焼くから」


結晶に触れると彼が変わってしまわないか、心配だった。

運命の力によって、勇者に覚醒してしまい、豹変してしまった姿を思い出す。


 

少し歩くと、船の残骸が見えてきた。

波に乗っていたであろう木造船が、今は骨のように結晶に埋もれている。

こんな船で彼と一緒に旅をした。



「なぁ……お前、どうしてこんな場所を知ってるんだ」


その問いに、私は微笑んで、彼の方を向いた。


ユウトとようやく再会できたのに、父と母の別れの話をしたくなかった。



「……そういえば、まだ名乗ってなかったわね」

思わず、そう言ってはぐらかす。


「名前?」


「サクラ。一面に咲き、そして散る、儚い花の名前」


「花の名前、か。……お前に、似合ってるよ」


その言葉が、胸の奥にやさしく届いた。

久しぶりに、誰かに“私”を認められた気がした。



私は振り返る。

視線の先には、黒い結界の壁がそびえていた。


それは、白銀に染まる潮結晶の海を抜けた先に口を開く、黒い“裂け目”ようだった。

光を食らい、音を拒み、夜そのものを飲み込むような闇ーー


まるで母をここで失った父の深い悲しみを表しているようだった。



――封海結界だ。呪いの核は、その先の潮門の神殿にある。


父の声がまた聞こえる。


「ここからよ。……“封海結界”の核――潮門の神殿がある」

ユウトに声をかけて先を進む。

 


「これが……」

ユウトの足が止まる。



ーー彼は、引き続き勇者の運命を背負っている。そして、帝国の血を継ぎし者


ーー開けてもらって

母が優しく語りかけてくる。



ペンダントを握りしめ、彼に向き直る。



「ユウト。あなたの血が、ここを開ける。

 本来、封じる役目も、開く役目も、あなたの一族の手の中にあったものだから」


 

彼の目が揺れた。

でも、その手はしっかりと、鍵へと伸びていく。



「触ってみて。結界にじゃない。ここ――神殿への“鍵”に」




石造りのアーチ。

これは、門――この奥に海と世界を断絶するために築かれた、呪いの核を収めた封印神殿がある。


そこには波と月の紋章があった。

彼がそれに触れた瞬間――空気が変わった。


風。

波。

青。

白い甲板に立つ彼。

笑い声。


父の声が警告する。

ーーサクラ、間も無く試練が訪れる。我が人に裏切られ、この海を呪った塊を滅せねばならぬ。


ーー気をつけよ



「ユウト!」


私は叫んだ。


彼が指を離すと、青い光が紋章から滲み出した。

しかし同時に、黒い霧が噴き上がる。


「下がって!」


私は彼を引き寄せ、身を挺して守る。


霧はやがて輪郭を持ち、異形の生き物となった。


「魔王の“罠”……結界に触れた者を喰うよう、贄を待っていたのね」


父と同じ、赤く光る眼。

その眼は、父の強い怒りを宿しているようだった。


私達は、それを超えて先に行かなければならない。


「ユウト、下がって。私が――」


 


でもそのとき、彼が言った。


「なぁ……お前、何者なんだよ」


私が何者なのかーー自分でもまだ答えが見つからない。


「私は……あなたを守る者」


そう、答えてみる。

ずっとあなたと傍にいたいから。

 


気づくと、獣が実体化し、ゆっくりとこちらに近づいている。


私は、父と母の力を借りるため、ペンダントに触れる。


風が爆ぜる。

母の蒼と父の紅の光。

獣の影が後退する。


……でも、消えない。

結界がそれを支えている。



「……ぐ、っ……」


膝が揺れる。

ペンダントに残っている力が弱くなってきている。

これ以上は、出涸らしとなった私の身体にある、なけなしの魔力を使うしかない。


「ここまで力を使うと、代償があるの。分かってる……でも、今は――」


 


獣が跳んだ。



そのとき、ユウトが私の前に出た。


その背中は、昔と同じように勇敢だった。


 

「やめろォォッ!」


彼の叫びとともに、青い光が爆ぜた。

……勇者の光だ。


胸のペンダントが脈打つように輝き、勇者の青を抱きしめるように光を放つ。その光は、神殿全体を包み、夜を裂いた。



ーーサクラ。これが私達ができる最後の力

ーーサクラ。我らが成し遂げられなかった…幸福に溢れる世界を作れ


次第に視界が戻る中、父と母の声が聞こえた。

 


私は静かにペンダントに触れた。

けれど、そこに残された力は、もうほとんど感じられなかった。


ーー……あとは、お前の“未来”を、生きてくれ


ペンダントから光が消える。

でも、その温もりは、今もこの胸に宿っている。

父と母が残した光は、今、私自身の意思へと変わった。


 

静寂の中、私はしばらく立ち尽くした。

世界が息を潜めるように静まり返る中、そっと顔を上げると……彼が私を見ていた。


「……ユウト」


私は震える声で、彼の名を呼んだ。


恐れていた。名前を呼んでも、彼がもう“ユウト”ではなかったら。

それでも、呼ばずにはいられなかった。

何百年もこの名を胸の奥で叫び続けていたのだから——


しかし、その瞳には、どこか懐かしい“蒼い空”が映っていた。

記憶の海が、ゆっくりと彼の内側に満ちていく。


ーー僕の国は、海洋国家だからね。皇族の男は、若いうちは必ず海軍に入るんだよ。


ふと、彼の表情が緩んだ。

まるで、遠い旅から戻ってきたように。


「ああ……俺の名前はユウトだ。

 サクラ、俺は……お前と、海を旅していたんだな」



その瞬間、世界が涙に揺れた。

私の目から涙が零れ落ちる。けれど、言葉は出ない。

声にしようとした瞬間、喉が詰まって、ただ震えるだけだった。



「……ようやく、会えたね」


声にならない嗚咽が喉を塞ぎ、ただ涙が頬を伝う。


それでも――私は、言葉を紡いだ。


涙が潮結晶に落ちた瞬間、

青い波紋が静かに広がった。

まるで、ふたりの記憶を海へと溶かしていくように。



ーーもう一度、海へ。


この手で。

あなたとともに、滅びの先に“未来”を選ぶために。

「ようやく、会えたね」

この一言を、サクラは何度、心の中で繰り返してきたんでしょうね。


名前を呼ぶこと。

それはただの言葉じゃなくて、その人を“存在させる”という行為だと思っています。


だから彼女は、ずっと呼び続けていたんだと思います。

たとえ声が届かなくても、記憶が失われていても、

どこかで彼がまだ“ユウト”であってくれると信じて。


この25話は、再会の物語でありながら、

赦しと、再出発と、そして“未来”への扉でもあります。


ふたりで手を取り合い、ようやく過去と向き合い、

まだ見ぬ「海」と「世界」へと歩き出すその姿を、

一緒に見届けていただけたなら、とても嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
サクラの歯がゆい思いとか、複雑な心境とかが溶けだした涙だったんでしょうね。ようやくユウトに名前を呼んでもらえたサクラの気持ちはきっと推し量れないものだと思います……
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