第2話 君との旅の始まり
港を捨て、海へと逃れたふたり。
初めての船旅の中で明かされていくのは、
少年が背負う「皇族の訓練」と、少女が知る「信頼の輪郭」。
波に揺られながら、彼らは静かに、確かに進んでいく。
それが、たとえ嵐の前の静けさだとしても――
みんなが逃げ込んだ船は、古びた帆船だったが、良く整備されており、驚くほどしっかりと浮かんでいた。
夜の海は静かで、炎の明かりもすぐに遠ざかっていく。風が吹くたび、水面がきらめき、空には星々が淡く瞬いていた。
ユウトは帆を調整しながら空を見上げている。
ユウトの船の知識は卓越しており、魔物が押し寄せる港から速やかに出港できたのは、ユウトの指揮と判断が優れていたからだ。
「……こうして海を渡るのは、久しぶりだな」
その表情には、港が魔物に襲われた挙句、何もできずに逃げてきた悔しさが見てとれたが、少し楽しげでもあり、私は思わず聞いた。
「なんでそんなに詳しいの? 星とか風とか……」
「僕の国は、海洋国家だからね。皇族の男は、若いうちは必ず海軍に入るんだよ」
ユウトは少し照れたように肩をすくめた。
「海軍での生活は、本当に厳しかった。星の読み方、風の扱い、帆の張り方やたたみ方、そして命を預け合う仲間たちと夜を越える術──そういうのを叩き込まれた」
どこか懐かしそうなその声に、私は黙って耳を傾けていた。
「でもそのぶん、固い絆で結ばれた仲間ができた。……忘れられないよ。見張り交代の合間に、星空を見上げて、あれがどの方角だ、どの島に通じるんだって、笑いながら語り合ったんだ。
僕の護衛にもそんな仲間たちが志願してくれたんだ。」
そう言ってユウトは夜空を指差した。
「見て。あの四つの星を結ぶと、きれいな正方形になるだろ? その中心に、赤く光る星がある。僕らはそれを“天王星”と呼んでる。星々はあれを中心に巡っているって教えられたんだ」
「この星を右手に見ながら三日進めば、皇都に近い港に着く。まずはそこを目指そう」
私は静かにうなずいた。誰かと一緒に星を見上げたのは、いつぶりだったろうか。
だが、その静寂は長くは続かなかった。
風が荒れ、雲が低く垂れ込め、空が鉛色に変わった。波が高くなり、船体が軋む。
私の胃はひっくり返りそうになり、唇を噛みしめながら船べりにしがみつく。
「風が変わってきたな……」
ユウトは帆を素早くたたみ、残った小さな帆を調整しながら、落ち着いた声で言った。
「こういう時は、小さめの帆で風圧を抑えるんだ。船の頭を風に立てて、波に逆らわず、うねりを斜めに受けるようにする」
「波の周期を見て、進路を微調整する。強引に進もうとすれば、転覆するだけさ」
その手際の確かさに、私は思わず見入ってしまった。
海と話しているような、その動き。
このまま、彼の隣にいられたら──
そう思った瞬間、心の奥底で、父の冷たい声が呼び戻された。
星の光が、まだどこかで燃えている町の炎と重なって見えた気がした。
ーーーーー
風は、何事もなかったかのように吹き続けていたが、ユウトの技術によって小舟はかろうじて波を受け流しながら進んだ。星が見える夜になれば、航路を確認できるだろう。
私はその事実が不思議と心を落ち着かせた。ユウトの存在と、彼の技術に。
夜が明ける頃、灰色の空が少しずつ薄まり、水平線の向こうに、かすかな朝焼けが滲みはじめていた。
次の港まで――まだ三日ある。けれど、私たちは確かに進んでいる。青く揺れる海のうえを。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
このお話では、港を後にしたふたりが、
初めて「ただの少年と少女」として過ごす時間を描きました。
ユウトの船乗りとしての過去、
サクラの胸に芽生える静かな信頼。
海の上では、誰もが“自分”としてしか生きられません。
次回、そんな彼らの前に何が現れるのか──
どうか、見届けていただけたら嬉しいです。