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魔王の娘ですが皇子に惚れたので世界と戦います  作者: ヒカリ
第2章  君と出会い、私は魔王の娘をやめた
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第13話  勇者の覚醒

――もし、大切な人が“自分”を忘れてしまったら?


このお話では、「覚醒」と「喪失」をテーマとして、言葉を紡ぎました。


どれほど強くなっても、どれほど輝いて見えても、

それが“君”じゃなくなってしまうのなら――私は、それを望まない。


触れたいのに、触れられない。

呼びたいのに、届かない。


そんな想いを、サクラの視点で描いてます。


読んでいただければ幸いです。

「殿下!」


 扉が音を立てて開かれた。空気が乱れ、重苦しい静寂の中に、ひと筋の風が吹き込んでくる。


 入ってきたのは、アレン卿だった。異常を聞いて駆けつけたのだろう。夜着のまま、肩で息をしていた。

 その手には、銀の装飾が施された美しい水差しが握られている。


「これは……我がアレン家が、皇帝陛下よりルシエラの統治を仰せつかって以来、代々受け継いできた聖水でございます。かつて歴代の勇者たちが……心を蝕まれぬよう、自らを保つために口にしたと、記録にございます」


 その声は震えていた。

 彼は、ユウトを助けたいと心から願っていたのだろう。

 けれどその願いが、果たして“ユウト”を救うものになるのか――私には、もうわからなかった。


 床では、ユウトが苦しげにうめいていた。額を押さえ、髪を掻きむしり、身体を折り曲げるようにして。


 「……やめろ……やめてくれ………!」


 その声が、あまりに悲痛で、聞いていられなかった。

 それでも私は、一歩も動けなかった。



 この忌々しい赤い魔力を帯びたままで、彼にこれ以上近づけば、私の知っているユウトが、もう二度と戻ってこない気がしたから。


 触れたいのに、触れられない。


 それが、こんなにも怖いことだとは思わなかった。


 アレン卿が、そっと水差しを差し出した。祈るように、すがるように。


「殿下、どうか……これを……」


 ユウトが、ゆっくりと顔を上げた。


 私は息を呑む。


 その瞳に映るものが、私ではないとすぐにわかった。


 焦点のない目。自分を見ているようで、自分を見ていない目。

 何か別の意志に乗っ取られてしまったような、恐ろしい虚無。


 それでも彼は、手を伸ばした。


「……ありがとう、アレン」


 かすかに呟いて、聖水を手に取る。


 銀の縁が、青く淡く光る。

 彼の唇がそれを受け入れた瞬間、空気が――壊れた。


 風が、吹き抜けた。


 いや、風ではない。

 それは、“何か”がこの空間を貫いて通り過ぎたような感覚だった。


 部屋の空気が裂ける音がした。重力が、音もなく崩れ落ちるような感覚。

 私は、一瞬、足が床から浮いたような錯覚にとらわれた。


 ユウトから放たれていた青白い光が、一気に爆発的に強くなる。


 冷たい。けれど、神々しいほどに美しい光だった。

 床に、古の剣の紋様が走り、壁が震え、天井の装飾が砕けて落ちた。


 「ーーユウト!!」


 私は叫んだ。でも、声は届かなかった。


 蒼い光が、彼の全身から脈打つようにあふれ続ける。


 しばらくして、彼が目を開けた。


 ……その瞳に、私はいなかった。


 優しさも、痛みも、迷いも、何一つなかった。

 ただ、使命と戦いと運命だけが、そこに宿っていた。


「街が……危ない」


 低く呟き、彼は静かに立ち上がる。


 その動作には、もはや人間らしさがなかった。

 思考も、感情も、まるで削ぎ落とされたような動き。

 ただ“使命”に従って動く、“器”のように見えた。


 私は――何もできなかった。


ーーーーー


 鐘の音が、街に響いていた。


 魔都の軍勢が、ついに皇国最大の港町、ここルシエラに襲来したのだ。


 屋敷の外は、混乱していた。

 火の手があがり、人々の悲鳴がこだまする。


 けれど、ユウトが一歩踏み出した瞬間、すべての音が、静寂に呑みこまれた。


 剣が振るわれる。


 光が閃く。


 ――敵が、消える。


 焼け焦げることもなく、吹き飛ばされることもなく、ただ、存在が“なかったこと”になる。


 黒い霧のように、塵のように。


 命を奪ったという感覚すら残さず、ただ“削除”される。


 私は、屋敷の高台からその光景を見ていた。


 そして確信していた。


 あの背中は――私の知っているユウトでは、もうなかった。


ーーーーー


 魔王軍を“殲滅”……いや、“消滅”させた後、

 彼はなおも“任務の継続”があるかのように踵を返し、静かに歩いて戻ってくる。


 焼け野原となった街を背に、ひとり、アレン卿の屋敷へと歩み、

 私の目の前で、ぴたりと立ち止まった。


 無表情。血も埃もついていない服。

 まるで神話の書に描かれた、完璧な“勇者”の帰還。


 けれど私は、その姿に震えていた。


「ユウト……?」


 口をついて出たその名に、彼は応じた。


 けれど、それは、私の知っている彼ではなかった。


「……魔王を滅ぼせ…」


 その声に、ぬくもりはなかった。

 怒りも、憎しみも、悲しみもなかった。

 ただ台本を読むように、冷たく事実だけを告げるような声音だった。


 ユウトの冷たく響く声が、私の胸を、深く貫いた。



 “サクラ”と呼ばれなかったことが、こんなにも冷たく、苦しいだなんて。

 私はまだ、彼の声にすがろうとしていたのだ。

――「覚醒」とは、果たして祝福なのか、それとも呪いなのか。


今回の章は、物語全体のなかでも特に重く、切ない場面となりました。

サクラにとって、ユウトは“ただの勇者”ではなく、“唯一の大事な存在”です。


彼が“使命の器”になっていく姿を前にした彼女の心情は、私自身も書いていて胸が苦しくなりました。


「魔王を滅ぼせ」――その言葉の裏にある、“ユウトという人格、人間そのもの”の叫びが、きっとどこかに残っていると信じています。


この先、彼女がどう動くのか、

そして、ユウトが“自分”を取り戻せるのか。

続きも、ぜひ見届けていただけたら嬉しいです。


もし物語を気に入っていただけたら、

フォローや評価で応援してもらえると励みになります!


次のお話では、さらに心を揺さぶる展開でお届けします。

どうか、お楽しみに。

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