第10話 魔王が課す試練
――あなたは、自分の父を信じられますか?
誰かの娘であることに、意味はあるのか。
誰かの意志を継ぐことは、背負うことなのか。
サクラの前に、ついに「魔王」が姿を現します。
世界を滅ぼさんとする存在であり、同時に、彼女の“父”でもある男。
明かされる母の死の真相、ユウトの正体、そして――灼熱の継承。
「何者として生きるのか」
という問いに、サクラが見出した答えとは。
窓を揺らした風は、どこか熱を帯びていた。港の穏やかな光も、波音も、そのときの私は感じる余裕を失っていた。
背後に立つその男――私の父、魔王が、静かに口を開いた。
「ここまで、よくやった」
その声は、冷たさのなかに奇妙な慈愛を含んでいた。けれど、それが私に向けられたものだとは、どうしても思えなかった。
「……なにを、言ってるの?」
問い返す私を、魔王はまるで“役割”を演じる女優でも見るような目で見つめた。
「ユウトを惹きつけ、心を惑わせ、人間同士の戦いを演出する。それにより、世界の輪廻から引き離す……。お前は、我が手足として、それを完璧にこなした。見事だ、サクラ」
その言葉に、私の鼓動が一瞬止まりかけた。
「……私は……そんなことのために、ユウトと旅をしてきたんじゃない」
「この世界は、腐っている。正義と信仰、秩序と名誉――そのすべてが、裏切りと支配の仮面をかぶっている」
「……」
「勇者は、何度も生まれ変わり、魔王はその度に葬られ、世界は繰り返す。これは”世界の秩序”による茶番だ。我はそれを拒む。勇者と魔王の輪廻ではなく、人と人との争いを起点とした“新たな破壊”によって、すべてを壊す。そして、我が手で世界を再構築するのだ」
「そんなことをして……何になるの?
ーー人間と共存する道はないの?」
私は震える声で言った。
「何も残らぬ。人も、国も、希望も――すべてを無にし、もう一度最初からやり直す」
魔王は、わずかに目を伏せた。その瞳に宿る色は、過去の亡霊だった。
「お前の母も、かつてお前と同じことを言った」
「人間だったアネモネは、我に言った。“破壊ではなく、共に生きる道を探して”と。
…………我は信じた。人間と魔族が、共に生きられる未来を」
彼は、ふっと笑った。
「しかし――それは、幻想だった。お前の母は、信じた人間たちに毒を盛られて殺された。和平の使者として帝に会いに行ったその夜に、な」
思わず、私は口元を押さえた。胸の奥からこみ上げるなにかが、喉を締めつけた。
「……そんな……そんなこと……」
「我は、その瞬間に悟った。人と共に未来を築くなどという理想は、愚かでしかないと。ならば、破壊しかない。輪廻を断ち、人の欲望を起点に、あらゆる秩序を焼き尽くすしかないのだ」
「それでも……!」
私は、叫んでいた。
「それでも、私は……誰かを信じていたい。ユウトと過ごした日々は、嘘なんかじゃなかった……!」
魔王の目が、一瞬揺れた。
「……ならば、その“答え”を証明してみせろ」
低く響いたその声の直後、部屋の扉が乱暴に開かれた。
「サクラ!」
駆け込んできたのは、ユウトだった。
彼は剣を抜くこともなく、ただ真っ直ぐに私たちを見つめていた。額にうっすらと汗がにじみ、肩が小さく上下している。
魔王は、ふっと笑った。
「お前は、まだ何も知らぬのだな」
「……?」
「そこにいるその男――その男こそが、“勇者”なのだ」
その言葉に、私は息を呑んだ。
ユウトもまた、目を見開いたまま言葉を失っていた。
「だからこそ、我はお前に命じたのだーーサクラ。我が娘として、勇者を堕とし、輪廻を断ち切る鍵となる存在として」
「そんな、勝手な……!」
魔王は、ゆっくりと私に歩み寄った。
「嫌ならば、拒んでみるがいい。お前の意志で、我の道を否定してみせろ。だが、その選択には――代償が伴う」
父の手が、私の胸元に触れた瞬間、世界がぐらりと傾いた。
熱い。灼けるような熱が、体の奥から湧き上がる。
「……ああ……!」
視界が赤に染まる。皮膚の奥が焼かれるような感覚。けれど、それは痛みではなかった。
それは――力だった。
私の中に、魔王の魔力が流れ込んでくる。紫のそれとは違う、深紅の奔流。怒り、絶望、嘆き、そして破壊。母を失った魔王が抱えていた全ての負の感情が、私の中に注ぎ込まれてくる。
髪が、風もないのに逆巻く。窓のガラスが震え、部屋全体が軋みを上げる。
そのとき、ユウトが叫んだ。
「サクラ――!」
その声に、私はかすかに顔を上げた。
――違う。
こんな力に飲み込まれてはいけない。
私は、私だ。
赤い魔力の濁流に抗うように、私は自分の意志を探す。
必死に抗う私の姿を見て――魔王が微笑んだ。
「サクラーーお前はアネモネと同じ道を歩むか。それは、破滅の道だ。お前がそれを選択するなら、我とどちらが魔王に相応しいか、世界に選択させるしかない。」
その声を残し、魔王の姿は、部屋の影と一体化するように、音もなく消えた。
残されたのは、燃えるような赤の魔力を纏った私と、それを見つめるユウトの姿だけだった。
外では、鐘の音が鳴り響き始めていた。
それはまるで、世界が次の悲劇の幕を開けるかのような音だった。
――“魔都の軍勢”が、この街へ迫りつつある兆しだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、物語の核となる“魔王”との対面、そして“継承”の瞬間を描きました。
サクラはこれまで、自分の力を「忌むべきもの」として隠し続けてきました。
しかし、父との対峙を経て、それが“誰かのために選べるもの”へと変わりつつあります。
そして、ユウト。
静かにサクラのそばにいながらも、彼自身の運命――“勇者”としての宿命に巻き込まれていきます。
次章では、ついに街に魔都の軍勢が迫り、戦火が再び広がります。
サクラとユウトは、それぞれの選択と向き合うことになるでしょう。
今後とも話の続きを読んで頂ければ幸いです。