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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

愛を求めました。過去のことです

作者: 新井福

 春の風が吹き付け、廊下の窓がかたかた揺れている。

 それに気を取られていた金髪の少女は、女生徒を連れだった目的の男子生徒を見つけると意識を戻した。


「ヨシュア様」


 泣き虫であった少女の、いつもよりずっと平坦な彼女の声掛けに、されど気づかず男子生徒は煩わしげに少女に目を遣った。


「なんだ。リリシアとの時間は邪魔するなと言っているだろう!」


 声を張り上げる。こうすれば少女は怯むことを知っているからだ。


 ――けれど、今日の彼女は違った。


 つい、と男子生徒の目を見上げる。

 滑らかに口を開いた。


「私と、婚約解消してください」


◇◇◇


 隣国との戦争が起こった。

 国境にそびえ立つ山。この国のモノだったのだが金が採れるようになった途端、隣国がその山を欲した。

 話は拗れに拗れ、遂に隣国が戦争を仕掛けてきた。


 戦争の被害者は沢山いる。

 中でも一際目を引く少女がいた。

 稀有なる治癒の力を持つ、俗に言う『聖女』。それがソランジュ・ラグアント子爵令嬢であった。

 彼女は齢十五歳にして、戦争へと駆り出された。


 ソランジュは昼夜問わず走り回る。

 もう慣れてしまった血の匂いを切り裂くように走り、一人でも多く助けたくて尽力した。


 ――けれど、助けられない人も沢山いた。


「大丈夫、大丈夫です……!」


 矢で胸を射抜かれた青年に必死に呼びかけながら、ソランジュは力を注ぎ込む。 

 矢で射られた胸から流れる血は止まったが、それまでであった。流れた血が多すぎた。


 いつも焼けた肌で笑っていた青年。結婚を約束した女性の下へ必ず帰ると、よく言っていた。


 今は真っ青な顔をした彼に、必死に力を注ぎ続ける。

 けど、腕を掴まれた。青年は、虚ろな目でソランジュの腕を掴み、緩やかに首を横に振った。


「もう……助かり、ません……他の者へ……」

「嫌です! 皆助けるんです!」


 もう一人だって、こんな寂しい所に置いて行きたくはなかった。


 駄々っ子みたいに声を荒げる彼女に、青年は笑う。


「あぁ……字が汚いなんて意地張らないで、手紙、書けば良かったなぁ……」

「あ、あ……」


 こんなことは珍しくなかった。

 だから今日も、ソランジュは力の限り治療を続ける。


 


 戦争は長引き、既に半年が経とうとしていた。

 その日、二人の怪我人が連れてこられた。


 一人は腕が片方失くなった青年で――もう一人は腕を矢が擦った元婚約者だった。

 ソランジュを詰まらない女と罵り、他の女にうつつを抜かした男だった。


 真っ先に腕がなくなった青年の治療を始めたソランジュに、婚約者であった男――ヨシュア――は突っかかる。


「おい! そんな平民の治療じゃなくて俺を優先しろ!」


 黙々と手を動かすソランジュの背にヨシュアは吠える。


「おい聞いてんのかよ!?」


 他の騎士が体を押さえるが、それでも止まらない。


「もしかして俺に復讐か!? リリシアに嫉妬してたもんなぁ!」

「――黙りなさい! ここは命を救う場です!!」


 鋭い音が響く。

 日焼けし幾重もの潰れ硬くなった豆の手でソランジュはヨシュアの頬を打った。


 水を打ったように静かになるヨシュアにもう背を向け、治療を再開しながらソランジュは言う。


「より危険度が高い命に先に手を尽くす。ただそれだけです。命に順位などありません。ですが死に糾われる順位は存在します」


 沢山の人を見てきた。看取ってきた。

 皆誇り高い人たちだった。

 誰一人として、死んで欲しい人はいなかった。


「この人は出血が少ない。まだ助かります……! すぐに連れてきてくださったのですね。ありがとう」


 腕を失った青年の隣に立つ青年が、そこで目に涙を溜めた。

 

「お陰で、彼を救うことができる」


 繊細に、切れた血管を繋ぎ合わせる。肌を修復する。

 腕が失くなった体の皮膚が塞がれた。


 ソランジュは額に滲んだ汗を拭う。


「これでもう大丈夫な筈です。暫く休ませれば目を覚ますでしょう」

「ありがとうございます、聖女様……っ」


 一息ついたソランジュは、そのまま次はヨシュアに向き合った。


「では、治療します」


 矢が擦っただけの彼は、少し手当てすればもう大丈夫だろうと冷静に分析した。

 この程度の怪我で、ここまで運ばれてくる患者はいない。彼が権力を振りかざしたのだろう。


 さっきより大人しいヨシュアが、躊躇うように話しかけてくる。


「お前、随分生意気になったんだな……。昔は、ずっとおどおどしていたのに」


 七歳の時、二人は婚約を結んだ。

 ヨシュアはよくソランジュを泣かした。毛虫を彼女の頭に乗せたり、無理やり手を引っ張って転ばせたりと、彼女の兄に怒られてもヨシュアはそんなことを繰り返した。

 ソランジュは美しい少女だった。そんな彼女の目に入れるのなら、意識してもらえるなら、とヨシュアは一番の悪手を取ったのだ。


 そんな彼は学園でさらに調子づいた。

 女生徒といると、ソランジュが僅かに眉を顰めるのだ。それに気づいたヨシュアはリリシアという女生徒と共にいるようになり、ソランジュが嫉妬したような顔をすれば喜んだ。


 ――だが今のソランジュに、彼に対する恐怖も興味もなかった。

 ただ患者に対する真摯な目をしている。


「婚約解消だってそうだ。戦争に赴くからなどと理由を付けて、家同士の約束を反故にするなど……」


 もっともらしい理由を付けて、ヨシュアは子供のようにソランジュを責め続ける。

 結局彼は今も、ソランジュが好きなだけなのだ。


「――兄が、死にました」


 ようやくソランジュが零したのは、そんなことだった。


「私に、勇気が出なかったから。だから私は決めたのです――」


 そこで言葉を区切り、


「もう大丈夫ですよ」


 そう言った。


 ソランジュは新しい患者の下へ走っていく。


 ヨシュアは、もう戻らない愛しい人を、ぼんやりと見つめることしか出来なかった。





 その一ヶ月後に、こちら側の勝利で戦争が終わった。

 

 家族たちの下へ帰っていく患者の姿を見送って、共に患者を治療した彼らも帰す。

 

 一人になったテントで長い息を吐いた。白い息が辺りに漂う。

 冬が訪れようとしている。


 誰もいないテントを見渡して

 ――ソランジュは自分のこめかみに銃口を当てた。

 神殿に渡されていた、もしもの時自決する為の銃。ずっと胸に、隠し持っていた。


 走馬灯のように、様々な記憶が蘇る。


 兄はいつも豪快に笑う人で、ヨシュアを前にした時だけは僅かに眉根を寄せていた。

 ヨシュアに引っ付き虫とからかわれる位、ソランジュは兄が好きだった。

 そんな兄は誇り高い騎士で、召集に応じて赴いていった。

 引き留めるソランジュに困ったように笑い、帰って来るとだけ残して。


 遺体は来なかった。ただ死亡したとだけ伝えられた。


「本当に、男の人ってば手紙が嫌いなんだから……」


 ソランジュの母が、涙を流しながらそう言った。



 そして彼女は決意した。

 自分の命、全てを使って人々を助けようと。

 治癒の力は、使う度に自分の命を蝕む。最後には命を落とす。

 だからずっと臆病なソランジュには勇気が出なかった。


 だけど兄のような人を、一人でも減らせるのなら。

 こんなにも嬉しいことはない。


 戦場に『聖女』として立ったソランジュは、愛を求めず、ただ愛を与え続けた。

 


 ――そして今、銃で命を絶とうとしている。聖女が治癒の力でこの身を蝕み命を落としたなど、知られたくなかった。

 手紙は残した。婚約解消もした。ここで死んでも、特に問題は起こらないだろう。

 

 冷静に考えてからふと、治癒の力の代償を知っている母と父に、行かないでと泣きつかれたことを思い出した。


 柔らかい笑みが溢れた。


「……お父様、お母様。私ようやく人の役に立てたんだよ」


 ヨシュアに馬鹿にされメソメソ泣くだけだった彼女は、もう何処にもいない。


 ゆっくり引き金を引いた。


 その手が、止まった。


「何をしようとしているんですか……聖女様」


 テントに、見知らぬ青年が入ってきた。

 いや、見知らぬではなく彼はいつか治療を施した腕を失くした青年だった。


「何故……ここに」

「貴女に、お礼が言いたくて。聖女様のお陰で家族にまた会えます」

「それは良かったです」

「――だから貴女も、帰るべきです」


 ぐ、と言葉に詰まった。


 死ぬなではなく、帰るべきだと彼は言った。

 その言葉を振り払うのは難しく、ソランジュは閉口した。


「何故帰らないのですか」


 色々な場所がボロボロなのに、緑色の瞳だけは真っ直ぐにソランジュを射抜いている。


 気づけばポロリと言葉が落ちてしまった。


「……沢山の人を死なせてしまいました」


 ずっとずっと思い続けていた。もっと早く覚悟を決めれば、兄を助けられたのにと。

 聖女として治療する時も、いつも考えていた。もっと力があれば、助けられた人がいたのにと。

 

「彼らをここ(戦場)で死なせてしまったのなら、私もここで死んで償わなければなりません」


 帰りたかっただろう。苦しかっただろう。

 後悔だけが胸を占める。


 ソランジュの後悔を静かに受け止めてから、青年は口を開いた。

 

「……僕は沢山の仲間を看取りました。だからこんな戦場で、穏やかな顔で逝けるとは思っていませんでした」


 彼が今はない腕を見つめる。


「ですが貴女に心を尽くして治療していただいた時、たとえここで死んでも救いは確かにあるのだと、とても安らかな気持ちになりました。他の者も、きっと同じです」


 引き金にかけていた指が、スルリと落ちた。肩を脱力させてソランジュは彼の言葉に耳を傾ける。


「聖女様に、皆が感謝しているんです。誰も恨んでいません」

「でも……」

「――貴女のお兄様には、騎士団で会ったことがあります」


 え、と意識せず言葉が漏れる。


「彼――セザール様はこう言っていました。『妹が暮らす美しい世界を守りたい』と」


 跪いて、青年がソランジュの手をそっと引いた。

 テントの隙間から見える藍色の空が目に映る。

 

 地平線に向かうに連れ淡い桃色に変わっている藍色の空は、銀色の星々がチカチカ光っている。


「この世界が、セザール様が守りたかった世界です。もうここで命を絶ってしまいたいと思う程に、この世界は汚いですか?」

「……ズルい聞き方ですね」


 ソランジュの青い瞳で、星のような煌めきが瞬く。


「お兄様が、そして皆様が守ってくださった世界は、とても美しいです」


 もう銃は握っていなかった。

 ソランジュは背伸びをして、澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込む。


「聖女様に言葉を尽くしたいと思っている者は数え切れない程にいますよ。僕がその一人だったように」

「本当ですか? それなら、残りの時間はそのように使うのも悪くないですね」


 銃声も、金属が打つかり合う音もしない。人々の押し殺した息遣いも、うめき声も聞こえない。


 とても静かな夜が訪れた。


◇◇◇


 家に帰ってきたソランジュを、父と母、そして使用人たちが泣いて喜び出迎えた。


 それから、ベッドに伏せるようになったソランジュの下に様々な人が訪れた。

 あの時治療してもらった者だと、義足で歩きながら快活に笑う人。

 奥さんに車椅子を押してもらいながら、ありがとうと泣く人。

 半年後に結婚する、貴女のお陰です、と可愛らしい女性を連れて幸せそうに笑う人。

 そして、主人を治療してくれてありがとう。戦場で寒い場所で誰にも気づかれず亡くなるのではなく、貴女に看取ってもらえて良かった。と目に涙を溜めながらそれでも微笑んだ人。


 ソランジュの下に訪れた人の名前などを記した手帳をそっと撫でる。


 愛を求めた。過去のことだ。

 自分は誰にも愛されていないと思っていたから。



 ――でも違った。


「ソランジュ、お疲れ様」

「ああ、お疲れ様ソランジュ。セザールによろしく言っておいてくれ」


 真夜中。眠るように命の灯火を小さくしていくソランジュの手を、父と母が握る。

 ソランジュはゆっくり頷いた。


「「愛してる。生まれてきてくれて、ありがとう」」


 二人の頬は涙で濡れていて、ソランジュに縋りつきたいのを堪えるように眉根を少しだけ寄せていた。


 彼女はゆっくり口角を上げた。泣かないで、そう言うようにベッドに腰掛けた母にすり、と頭を擦り付けて――


 そうして息を引き取った。



 嗚咽が部屋を満たす。

 扉の前に控えていた使用人たちは、もうそれだけで全てを察し、優しいお嬢様を想って涙を零した。


 涙は星々となって降り注いでいく。

 明日はきっと、もっと多くの星が降るのだろう。


◇◇◇


 体が何の不自由なく動くのは久しぶりだった。


 ソランジュは流れ星を追い歩く。

 どこに行こうか、と宛てもなく歩き続けていれば声をかけられた。


「久しぶりだね、ソランジュ」


 兄がいた。いつもみたいに優しい眼差しで彼女を包んでいた。


「お、兄様……」

「約束破って、ごめん」


 頭を下げる彼に、ソランジュは首を横に振った。


「お兄様、私、私――!」

「よく頑張ったんだね、偉いねソランジュ」


 抱き締められ、幼い頃されたようにくるくると回される。

 擽ったくてソランジュは笑ってから、不意に笑みを引っ込めた。



 ヨシュアに虐められた時、ソランジュはよく生垣に身を隠した。

 もし見つかったらまた酷い目に遭う、と息を潜め脂汗をじっとりとかき彼が帰るのを願っていた。涙を流す余裕もなかった。


 そんなソランジュを見つけてくれるのは、いつも兄だった。さすがのヨシュアも兄には強く出られないということもあってか、彼女にとっての安全地帯は兄だった。

 兄に見つけてもらって、抱き締められて、ようやくソランジュは泣くことができたのだ。


「ふ、ぅ……っ」


 青い瞳を涙でいっぱいにしたソランジュを、兄は眉を下げ見つめる。


「ソランジュは昔から頑張りやさんだ。あんなに泣き虫だったのに、一回も泣かずに皆の為に頑張っているのをずっと見ていたよ」


 その兄の言葉で、ソランジュは堰を切ったように泣き出す。


 ソランジュをおんぶし、兄は満点の星々で出来た道をゆっくりと歩き出す。

 満天の星々の道は水を張ったようで、歩く度に波紋が広がりどこまでも続いている。


 優しい明日がまた訪れるのだろう。

 何の根拠もなくそう思った。

 

ここまでお付き合いいただきありがとうございます

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