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「じょーず、じょーずー」


 移動が成功したルースに小さな拍手をくれるヴォルペ。


「褒められて嬉しいです!」

「うん、うん。いい笑顔だね。それじゃあパンテーラに教わったとおり、魔法の発動とその強弱の調整をしてみようか」

「わかりました!」


◇◆◇◆◇◆


「ん????」


 ルースは床に手と膝をついて、ぜーはーと肩で息をした。荒い音の呼吸のわりにまったく楽にならず、頭に疑問符が浮かんでしまう。


(あ、あれ? き、キツイぞ?)


 やはりともいうべきか、ヴォルペは笑顔でかなり手厳しい指導を繰り返した。もちろん指導の物言いはとても柔らかく、論理的で、きめ細やかなものでわかりやすいのだけれど挑戦と反復の数が桁違いに多い。

 失敗しちゃったね。こうするといいよ。ここがこうだから。──はい、もう一回。

 これを何度繰り返したことか。

 単に体力を削られる運動ならまだしも、魔法は体力のみならず気力だとか心意気をも吸われてしまう感覚で、心身共に疲労困憊だった。


 顔で判断してはいけない。スパルタである。身なりだけならパンテーラのほうが辛い訓練をしそうなものなのに。


 しかし、幸か不幸か、もうすっかり風、水、火、土、雷などの魔法の調整は憂いなくできるようになった。さすが指導のたまものである。


「まだいけそうだね。体に変なことが起き始めたら、すぐに教えてね」


 手を床につくルースの視線に合わせるために、長い膝を折り曲げたヴォルペは胸に差し込んでいたハンカチーフでルースの額の汗を拭ってくれた。肌に張り付く前髪を避けてやり、にっこり顔でルースの顔を覗き込んでくる。

 優しい、優しい仕草だった。

 触れたら崩れてしまう飴細工に触るみたいに、そっと、そっと。


「はい、休憩おしまい。すっごく大きい魔法と、すっごく小さい魔法をもう少し覚えておこうね。さ、立ってね」

「あ、あと1分……」

「これが最後にしてあげるからね。無事にやり終えたら、また僕のトレイにお肉乗せていいよ。デザートも」

「っしゃあ!!」


 しゃきーん!と立ち上がった。まだ息は荒いけども寝ることと食べることが何よりも快楽のルースにとって釣られずにはいられない餌だった。

 ぷ、と笑い声が聞こえたけれど、見ない、見ない。隠すということは、見られたくないということ。見ない、見ない。

 ぐるんぐるん腕を回して、回復を促す。


「よぉーし!」


◇◆◇◆◇◆


「ぶわぁぁあああ……」


 浴槽に浸かると、思わず腹から声が出てしまう。ざあっと音を立てながら溢れた湯が浴室内全体に湯気を広めて靄が掛かる。

 髪を洗ってすっきり。体も洗ってすっきり。


 ルースはこんなに香りのいい自分に出会えたのは初めてだった。爪に汚れも食い込んでいないし、肌に汚れもないし。

 しかも貸切。

 訓練を終えたあとでの入浴で、誰にも気を使わずに風呂に入れるというのは非常に気分がいい。しかも浴槽が広い。大きな円の浴槽はひとりが中央で大の字に浮かんでもまだ余裕がある広さだ。ハーブなのか湯そのものからいい香りがする。

 少し浸かりすぎたかと思えるくらいに堪能して出て、髪をざっくり洗い、パジャマを着て、胸の前で一拍手。ぱんっ。


 自室に戻ると、おやテーブルセットに誰かが座っている。その髪色だけでわかる。ヴォルペだ。

 ルースに背を向けるように座るヴォルペは、背凭れにだらりと体を預け、肘掛けに頬杖をつき、足を組んでいる。パンテーラみたいだ。

 らしくない体勢だなと思って前に回ると、瞼を閉じている。


 眠っている?

 しかし、気になるのはその顔や手の傷だ。頬を殴られたような、唇を切ってしまったような、誰かを殴ったような、そんな傷。

 テーブルの上には茶器が置かれている。ティーポットと、カップがふたつ。紅茶の香りがする。ティーポットの注ぎ口からわずかに湯気が立ち込めているのがわかった。


 声を掛けるべきか?

 そうするべきだろう。そして、なぜか眠っている姿を見たと思われてはいけないような気がして、ルースはそろりそろりとヴォルペの背後に戻った。


 そしてわざとらしく──


「ふぅー! 気持ちよかった!」


 と、いま部屋に戻ってきたかのように装った。

 ぴくりとヴォルペの肩が揺れた。


「おかえり」


 ヴォルペは立って向き直り、出迎えてくれた。


「ただいま──って、どうしたんですか、その怪我!」


 我ながら名演技である。


「ちょっとパンテーラのお仕事の補助に行ってきた。今日はネーヴェがいないから怪我したんだよ。」

「ネーヴェさん? ネーヴェさんがいないと怪我しちゃうんですか?」


 肩を押されるようにして席に促され、座る。するとヴォルペは背後にまわって、風の魔法で温風を髪に当ててくれた。乾かしてくれているのだ。


「ネーヴェは回復担当だからね。攻撃魔法よりも回復技術がずば抜けているんだよ。僕は傷を塞ぐしかできないの。」

「塞げればいいのでは? 回復とは違うのです?」

「そうだね、少し違う。そうだなぁ。例えば僕のこの傷をただ塞いでしまうと、傷痕が残ってしまうんだよ。治してるわけではないからね。あとは、お腹を大きく傷付けてしまったとして、皮膚の傷口を塞ぐことはできても中身の機能が回復するわけではないから結局死んでしまうんだ。回復と、塞ぐことは違うんだよ。塞ぐことは、蓋をするだけだから。そして蓋された中身は、なかなか治してあげることが難しい」

「なるほどぉ」

「クローゼットを作っておいたよ。中に服や下着も用意しておいたからね」


 見ると、見覚えのないクローゼットを発見した。まったく気付かなかった。


「ありがとうございます!」


 ヴォルペが席に戻った。そうしてルースを見て、ふふ、と笑ってまたすぐ立ち上がる。

 どうやら乾かしたままの髪がぼさぼさで、ヴォルペにとって面白いルースになっていたみたいだった。また背後にまわって、指で綺麗に髪を整えてくれる。

 そのくらい自分でやると伝えても、ヴォルペはまたそっと髪に触れた。

 ようやく面白いルースから落ち着いたのか、改めてふたりはテーブルを挟んで向かい合った。

 ヴォルペが紅茶を注いでくれる。


「明日から任務についてもらうね」


 礼を告げて一口飲もうとしたときに、ヴォルペがそう言った。

 飲もうとする口をすぼめた状態で、思わずヴォルペを見上げてしまった。

 笑顔が柔らかくなった気がした。


「魔法の調整ができるなら、あとは実戦で経験を積まないとね」

「わかりました」


 はて。実戦とな。そういえば魔塔はなにをしてお金を稼いでいるのかしらと思いつつ、一口飲む。


「基本的に魔塔は4人一組(ひとくみ)の班で任務につくんだ。僕、ネーヴェ、パンテーラ、そしてルース。僕達が班だよ」

「パンテーラさんはまず今日単独で向かったのでは?」

「そう。よく覚えてるね。そういうことも……たまにある」


 なんだか歯切れが悪い。あまり深く突っ込まないほうがいいだろう。


「パンテーラが攻撃型の前衛、ネーヴェが回復型の後衛、僕が指揮を執る。」


(ふむふむ。納得のいく配陣。そうだろうなと、勝手に思い描いていた)



「ルースは最前衛」



 えっ。

 と、思わず言葉を失ってしまった。

 新人だし、不器用であるし、まずはくっついていくだけだと思っていた。見ているだけ、ちょっと雑用をするだけ。ほんの少しの練習のつもり。自分の考えが甘えだということを思い知らされる。

 ヴォルペは説明した。


「ルースは僕たちの誰よりも魔力量を保持してる。僕よりも、パンテーラよりも、ネーヴェよりも。だから、あらかじめいくつもトラップ魔法を仕掛けておいて敵が近付いてこないようにできるし、攻撃魔法を仕掛けられても、たくさん攻撃をやり返すことができる。魔法をたくさん発動させられるっていうのは、ものすごく強みなんだよ。パンテーラはルースを助ける役目をする」

「は、はい」


 そう言われても、なにをすればいいのか、なにをするのかもわからないのに、うまくできるだろうか。

(私が、班の最前線を担う?)

 班を危険に晒すのでは、足を引っ張るのでは──だめだめ、これはネガティブだ。こういう考え方をするから駄目なんだ。ポジティブに、ポジティブに。


 ポジティブに考えて行動するには、どうしたらいいだろう。

 ルースはカップを掌で包み込みながら考える。足を引っ張らないために、失敗しないために、プラスに考えて動く。


 そして問うた。



「私にどんな魔法を求めますか」



 ヴォルペが考える魔法を優先的に練習しておけば、指示を出されたときに混乱しなくて済む。

 ルースは自分が混乱しやすいタイプだと自覚があった。頭が真っ白になると、著しく動けなくなる。そして考え出すのにも時間が掛かる。そういうパニックは防げるなら防げたほうがいい。


 しかし、問うと、なぜだろう。

 ヴォルペの顔が一瞬、泣きそうに歪んだ気がした。

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