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 ネーヴェが医者よろしくルースの体を診察したあとで、必要なものを調達するために部屋をあとにした。

 食事と水分と、なにやらを持ってくるらしい。


 ヴォルペとふたりにされたルースは、さほどの警戒心もなく窓の外を見た。

 なにも見えない窓。

 空も、風景も、なにも見えない灰色の世界。鉄格子に区切られた窓らしきもの。

 その視線に気付いたのか、ヴォルペが言った。


「ごめんね。半年間はこの部屋で暮らさなきゃいけないんだよ。試用期間みたいなものだから、我慢してね」

「全然気にならないです。雨もない、風もない、平和な部屋です。最高です」


 そうそう、最高。

 天候を気にしなくて済むし。

 (同時に晴れた空も見えなくなってしまったけど。爽やかな風も)


 誰かに襲われ、奪われる心配をしなくて済むし。

 (本当? どうしてそう思えるの?)


 体にゴキブリが這うのを感じて飛び起きなくていいし。

 (それはそう、多分)


 今日を生き抜けるか不安にならなくて済むし。

 (これからどういう生活になるか、わからないのに?)


 ルースは思考の奥にある疑念を押し潰して、ポジティブに考えた。そうしなければならなかった。


 ふとマットレスが沈み込む。

 ヴォルペがベッドの端に腰掛けたのだった。今、整えたばかりと言われても疑わないほどに乱れがないのに、ヴォルペは右耳に髪をかける仕草をした。

 繊細そうなネーヴェの指とは違い、大人の男性らしい手指だった。手の甲の筋がよく目立つ。

 よくよく見れば、彼の右耳はピアスの穴がたくさん開いている。なにもアクセサリーの類をつけてはいないが、長期間放置していても塞がらないほどにはピアスホールが安定している。

 袖口から手の甲に掛けて、ほんの少し刺青が見えたような気がしないでもない。


 あまり踏み入ってはいけないだろうと思って、聞くのはやめた。


「怖かった?」


 反動について言っているのだとわかった。否定する。


「なにもわかっていない状態だったので、大丈夫です」


 小さく顎を引いたのが見えた。

 しばらく黙って、ヴォルペが言った。


「じゃあ、もうわかっただろうから、怖いと思うようにしてね」

「わかりました」


 意外だった。

 慣れるんだよ、とか、珍しいことではない、とか、そんなふうに諭されるかと思っていた。


 ヴォルペが体を捻ってルースのほうへ向き直る。糸目の笑顔は変わらずに張り付いているのに、どこか空気が冷めた気がした。


「本当にわかってる?」


 言いながら、ヴォルペはおもむろに右手を伸ばしてきてルースの胸に掌を当てた。ちょうど胸の真ん中、谷間の部分。

 女性の体とわかる、特徴的なところ。

 驚いて手を見下ろすけれど、乳房を触ろうとはしなかった。


「心臓が止まりかけたんだよ」


 それからヴォルペは反動について説明した。魔法を使いすぎると魔力が枯渇して反動に耐えなければならなくなること。使いすぎる量は個人差があること。反動を抑える魔法は存在しないこと。耐えるしかないこと。反動は、ほぼ半分の確率で死んでしまうこと。あるいは、それ以上。


 死んだ人を生き返らせることは、どんなに優秀な魔法使いでも不可能であること。


 つまり、ルースは()()()()生きているに過ぎなかった。



「もう、使いすぎてはいけないよ。自分の量を知らないといけないね。教えてあげるから、ちゃんと覚えるんだよ。わかった?」


 胸が温かかった。

 掌の体温だけではなく、ヴォルペの温かい思いやりが伝わってくるようだった。


「わかりました」


 頷くと、ヴォルペも同様に頷き返してくれた。


「パンテーラを嫌わないであげてほしいんだ。あんな言い方をしているけど、多分、いや、かなり反省しているから」

「全然大丈夫です。まったく気にしてません」


 言うと、ヴォルペはまた小さく頷いた。冷めた空気とは違う、柔らかな表情に見えた。

 自分の髪をそうするように、ヴォルペの指が胸からルースの髪へとのぼって、優しく耳にかけてくれた。


「優しい子だね」

「寝たら忘れろと教わったもので」


 ふ、と笑ってくれたのは勘違いではないのだろう。

 髪を耳にかけてくれた指先でそのままルースの耳の縁をなぞり、顎に沿って手を自分のほうへ引き寄せるまで、かなりゆったりとした動作だった。

 自分の魅せ方をわかっているようで、そこで初めて警戒心が生まれる。

 惚れさせて、従順にでもさせようとしているのだろうか。

 従順にさせて、なにかをさせるつもりか?

 信用してはならない──いや、これもネガティブな思考なのだろうか。


(はて?)


 ポジティブって、どこからがポジティブなのかしら?

 疑問に思いつつ、なにかを強要されたらそのときに考えればいいかと思い直す。努力して、思い直した。


「他にはなにを教わったの?」


 問われるのと、温かい食事を持ってネーヴェが現れたのはほぼ同時だった。

 スープから湯気がのぼり、香りがふわりと漂ってくる。腹の虫が鳴いた。


「食べたら笑えと教わりました!」


 早くちょうだいとネーヴェに手を伸ばすと、今度こそヴォルペは口元を歪めて声を出さずに笑った。

 刺青が覗く手の甲で口元を隠してしまったけれど、ルースは一瞬先に見逃さなかった。

 ネーヴェがわざと目を細めてそんなヴォルペを見やる。


「……ルースさん、先にはっきりと申し上げておきますが、ヴォルペはかなり粘着気質で変態的で、気に入ったものに対する執着と愛情は常軌を逸していますからね。このように一見柔和な見目をしていますが、ひとたび怒るとあのパンテーラも全力で逃げ出すほどの人格破綻者ですよ」

「僕、そんなにひどいかなあ」

「“ひどい“位ならまだ可愛いものです。好きになったら甘やかしまくるその極端な性格は、改善の検討をしていただきたいですね。いいですかルースさん、くれぐれも注意してくださいよ、気に入られないように──」

「肉だぁッ!!!! 肉!! うひょーーーーッ! うまぁーーー!」


 その大切な忠告は、ルースには聞こえていなかった。

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