最終話
ルースが怪我をしたのだと思った。
ヴォルペが路地裏でルースを探し当てたとき、ルースは蹲っていた。体をぐにゃりと折り曲げている様を見て、ルースが大怪我をしたのだと思った。
だから動けずにいて、目の前にいる子どもがおろおろとルースの頭を撫でていることに応えることもなく苦しみに喘いでいる。そう思ったのだ。
ネーヴェはいない。
彼は魔力の限界を迎えてしまった。おおかたの重傷者は彼のおかげで一命を取り留めたものの、あとは人命救助を待つしかなさそうだった。
ルースがかなりの大怪我であった場合、どうする。
自分の回復魔法でどこまで繋げられるか──まずは診てみなければ。
ヴォルペはすぐさまルースの傍らに膝をついて、その背に掌を乗せた。
ルースはすぐに顔を上げなかった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいああああごめんなさい」
彼女は蹲っているのではなかった。
土下座しているのだった。
地面に広がった臭い血の湖に汚れることを気にも止めず、ルースは謝り続けている。
察した。
男の両足の傷口が塞がっていた。
綺麗に。完全に塞がっている。これ以上ないくらいに完璧に。
「ルース」
背を擦ってやる。
それでも止まらない謝罪の言葉。
背中が熱く、興奮状態にあるのは一目瞭然だった。
「ルース、おいで。仕方ないんだ」
言うと、ようやくルースは喉を鳴らしながら応えた。
「ぐっ……! 傷を、塞いでしまいました……ッ!」
「いいんだよ。仕方ないんだ」
「わたし…ッ! それしか……!」
「いいんだ。わかってるよ。おいでルース」
ルースを少し強引に抱き寄せる。
彼女は優しすぎる。
この男性はもう二度と自分の足で歩くことはできない。
傷口を塞いでしまったから、もう回復はできないから。
おそらく彼女は、傷口を塞ぐ前からちゃんとそのことをわかっていた。
「仕方ないんだよ。ネーヴェももう限界で、ネーヴェがこの人を発見してたとしても回復は無理だった。命を繋ぐのが限界だったよ。見つけてあげられたのが、誰であってもだ」
「わたしが……! 回復もできれば……!」
「僕にも無理だよ。僕が見つけてたって、傷を塞いだよ。だから、ルース、自分を責めないで。そんな顔をしないで、泣かないで、そんな悲しい声を出さないで。僕も苦しいよ」
ぎゅうぎゅうに抱き締めたのは、ルースの魔力が彼女を飲み込んでしまいそうになったからだ。
面接のときにもあった。
地の底から湧き出た魔力が彼女を取り込み、巻き取り、引きずり込もうとする。
なにが原因なのかわからない。
彼女がなにを考え、なにを感じたがゆえの地獄からの手招きなのかはわからない。
けれど、引きずり込ませるわけにはいかなかった。
ヴォルペは柄にもなく早口で言葉を連ねた。
「泣かないで。僕と一緒にいて。僕とずっと一緒にいて。僕が守るから。僕に守らせて。この人は確かにもう自分の足では歩けないけれど、巷では義足や義手も出回っている。国に災害を申請して、この人たちが安く義足を手に入れられるように掛け合ってみる。通院できるようにも。それに働けなくても収入があるように頼んでみるから」
「お姉さん、大丈夫だよ。生きていられるだけで満足だ。」
と、事情を察したらしい男性が横たわったまま力なく笑う。子どもはまだよくわかっていないようだったけれど、男に合わせてにこりと笑ってみせた。
やせ我慢の笑顔だった。
「すぐに応援が来ますから、ここにいてください」
ヴォルペが言うと、男は小さく顎を引いた。
子どもが男の手を握るのを見て、ルースを抱いたまま立ち上がった。引きずり落とそうとする彼女の魔力を蹴散らして、ヴォルペは歩き出す。
ルースの頬に何度もキスをする。我ながら、必死に。
「自分なんか、自分なんて──……そんなふうに思わないで。僕がルースを必要なんだから。
そんなルースが必要なんだから。
僕のためにこそ、そんな風に自分を思わないで。
もっと自分を好きになって。
僕がルースを好きだから。」
地獄からの手は、同じ地獄を纏ったヴォルペには敵わぬとでも思ったのか、影に落ち込むように諦めていった。
頭を撫で、背中をさする。呼吸が荒い。過呼吸だ。
「大丈夫。仕方なかったんだよ。きっと僕も同じことをしていたよ。僕はルースが好きだよ。多分、おそらく、最初から──」
どこからともなくふたりを発見したパンテーラが駆け寄ってくる。ヴォルペと同じ勘違いをしたのか、焦燥に満ちた表情でルースの様子を見たが、すぐに安堵した。
「両足切断の男性の傷を塞いだんだよ。頑張ったって、褒めてあげて」
ヴォルペが説明すると、パンテーラは眉間に皺をくしゃりと寄せて、まるで泣き出しそうな顔で泣きじゃくるルースの頭を撫でた。
この子も察しが良くて助かる。
「馬鹿だな。こんな状況だぞ。よくやったよ。誰が見つけてたって、それが精一杯だ。むしろ、切断された両足の傷を塞ぐなんて難易度が高いんだぞ。すげえことやったんだぞ。
お前はすげえんだ」
ずっとふたりで慰めていた。
それから程なくして、国の兵士たちが到着した。
◇◆◇◆◇◆
入籍から3年遅れの結婚式は異例といえた。
ルースは結婚式なんてやらなくてもいいと言ったのに、ヴォルペを始め、ネーヴェやパンテーラが頑として許さなかった。
魔塔長はこの3年の間にルースになっていた。
ヴォルペは相も変わらずその冷酷さと人を見る目と、怜悧な判断力ゆえ粛清課長のポジションのまま。
もちろん、ヴォルペを魔塔長にとルースは強く推したのにヴォルペは絶対に首を縦に振らなかった。
頂点に立つ。
ルースにそれを経験してほしいと言った。そしてルースが適任なのだとも。
実力だけでなく、誰とでも分け隔てなく接せられるルースは驕ることなく部下に慕われ、魔塔はかつてないほどに連携が強まっている。他国からの志願者もいるくらいで、国王がルースに褒美を与えてやるとまで言った。
褒美はスラム街の改善を望んだ。
家を与え、仕事を与え、学校に通わせ、盗みや傷害は罪だと学ばせる。
死んでしまいたい。明日なんてどうでもいいと思う人がいなくなるようにと願って、ルースは一生に一度貰えるか貰えないかの国王からの褒美を他者のために使った。
そのおかげか、道端で死を迎えるものが圧倒的に減少した。
ベールを掛けてくれるのはネーヴェの役目だった。花嫁の顔に白のベールを覆わせ、整える。
魔塔員のレベルの底上げとして、教養のカリキュラムが見直された。それぞれの訓練に任せるのではなく、特に回復魔法は専門科が創設され、ネーヴェを筆頭教授として回復魔法の才能が少しでもあるものは実力を伸ばし続ける形式に変わった。
「これからも私たちはヴォルペ班として任務に出続けます。魔塔長だとしても、ですよ」
「もちろんです! ずっと室内にいたらつまらないですから! うんと難しそうなのは私たちで行きましょう!」
ふわりとベールのように微笑まれる。ベールごしに微笑み合うと、ベールからネーヴェの細長い指がやけにゆっくりと離れていく。
それからのエスコートはパンテーラだ。
「新人から、魔塔長に魔法のアドバイスを貰ったけど、ちゅーんってやってドンって感じって言われて訳わからんって苦情きたぞ」
「えー。やっぱり人に教えるって私には無理だなあ。教養課長をパンテーラさんが引き受けてくれて本当に助かりました! 実は面倒見がいいですからね!」
ふんとパンテーラが鼻で笑う。
バージンロードへの観音扉が開くと、バージンロードのその先にヴォルペが立って待っていた。
魔塔のほとんどの人、そして街の希望者で教会の中は人で埋め尽くされている。割れるほどの拍手に、ルースは「わ」と声を漏らした。
ヴォルペに白は似合わない。
ルースはそういって、シャツだけを白にさせ、ジャケットとスラックスは別の色にした。
やはり似合う。
バージンロードの中央で、パンテーラの手が妙に名残惜しそうに離れていく。
ヴォルペの待つ一段上へ足を伸ばして──つまずいた。
ヴォルペが受け止めた。
ふたりは互いに笑い合った。
そのときのヴォルペはあの笑顔ではなかった。
了




