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 ルース・アレグレットは目を瞬いた。

 瞳だけを動かして周囲を窺い見ると、そこは窓もない小さな教室である。

 中央に向かい合わせに席が組まれており、自分の隣には誰もおらず、3人の男性と正対している。


 面接だった。


 家のないルースが家を得られる大チャンスであるこの面接のために、ルースは何日も前から準備をしてきた。

 雨水を溜めて一張羅を洗い、拾った石鹸の欠片で体と髪を洗い、なんとか人の前に立てるようにした。


 今のは夢だったのか?

 今が夢なのか?


 あの海のゆらめきは?

 たゆたう魚たちは?


 突き刺すような水の冷たさは?


 背中に確かに残る痛みを感じつつ、人格の混乱を立て直す。

 自死を選んで成功したはず。

 いや、それは夢であって、ルース・アレグレットとして生きてきたこの16年間が現実なのかもしれない。

 目眩がするような混乱だった。

 鈍痛がうずくこめかみを指の腹で揉み、ルースはルースについて思い出していた。


 親の記憶はない。

 物心ついたときから街を徘徊する者達で僅かな資源を奪い合い、時に助け合って生きてきた。


 ルースに魔力が発現してから、まだ日が浅い。


 ストリートに魔法を使える家無しの女がいると聞き付けて、ふたりの男が訪ねてきたのが10日前だ。


『君の魔力量と人柄によっては、魔塔で面倒を見る』

『面接は10日後。午前10時に、ここに来い』


 そうして手渡された地図をもとに、この学校に来たのだ。ここは貴族の子息が通うアカデミー。門構えからして豪奢で、ルースとは縁遠い場所だ。

 魔塔の面接であるはずなのに、どうしてこの学校が指定されたのか理由はわからない。


 とにかく、この3人に気に入られなければまた家のない生活がずっと続く。


 そろそろ、体を売らなければならない年齢になってきたルースは必死だった。


「大丈夫ですか?」


 と、問うのは向かい側、正面に座る白髪にモノクルをつけた若い男性。3人の中では年長者であるのか、揃いの制服を基本通りに着付けており、どこかの貴族の優秀な執事にも見える。足を組むことなく真っ直ぐ床に揃えてつけ、机の上のガラスペンの飾りを何度も撫でていた。指が長い。


「だ、大丈夫です。緊張してしまって……」


 モノクル執事は小さく顎を引いて、理解を示した。


「そうですよね。どうぞ、と促してもいないのに着席した時点で、まったく教養がないことはわかりましたから、こういった場は不慣れでしょう。礼儀は微塵も期待していませんので、気楽になさってください」


(性格わる)


 優しそうな顔でズバズバ言う性格だ。

 ルースの緊張が強まった。圧迫面接を切り抜けられた試しがない。もちろん、そんな経験は自死を選んだ夢の中の自分が積んだものなのだけれど、いつもうまく切り返せずにパニックになって黙ってしまうのだ。


(また、どうせ落ちる)


 ルースは膝の上で固く両手を握った。

 祈るのではなかった。

 どうして、こんな人に当たってしまったのかと諦めに近い感情で、家のない街に戻る未来を憂いてしまったのだ。


 気付かれないように浅くため息をつく。


「もう一度、質問します。お名前は?」

「ルース・アレグレットです」

「お住まいは?」

「……えっと、イタリー通りの……」


 どこかの軒下。そう答えるのはいかがなものかと思って、そのままごまかした。

 ごまかされたかどうかは、定かでない。


「あなたは魔法でなにをしたいですか?」


 なにを?

 なにを、って……。


 自分がどうやって魔法を発動したのかも今ようやく思い出しつつあるというのに、将来の展望などわかるはずがなかった。答えを用意していたはずなのに、萎縮してしまってうまく思い出せない。


「……魔法で、なにを……」


 考える。

 考えて、いつの間にか口にしていた。


「人が、もう死にたいと思ってしまわないようにしたい、です」


 明日が来ることを信じて、温かいベッドに横たわる。皆の1日の終わりがそうであればいいと思う。


 夢の中の、別の私の終わりもそうであればよかった。


「具体的には?」


 そう質問してきたのは、ルースの左斜め前に座る男だ。こちらは服を着崩しており、椅子に膝を立てている。長めの髪は獅子の鬣のようで、眦のきつさも相まって獰猛さが伺える。ルースを見定めるように上目で観察してきていた。


「具体的にはどうすんだよ」

「……それは……」


 言い淀むと、失笑された。


「あなたは家がないんだよね? まずは家から作ってみるとかは?」


 今度は右斜め前の男。糸目の彼は紺碧の髪をオールバックにして、口元の前で手を組んでいる。3人揃いの服を着ている中で、彼のネクタイの色だけが異なった。


 ルースは否定した。


「家だけでは、だめです」


 夢の中の自分だって家もあった。仕事もあった。金もあった。傍から見れば恵まれた環境だった。不自由のないひとり暮らしの成人女性に違いなかったのだ。


 なんで死にたいと思ったのだろう。


「だから具体的には? お前さぁ、さっきからのらりくらり質問躱して結局なにも答えてねえじゃねえかよ」


 と、獅子。

 さらに追い打ちをかけてくる。


「だいたいよぉ、魔法を使えるやつなんざ大して珍しくねえんだよ。俺達が探してんのは、将来性ある奴。根性ある奴。この国を発展させてやるんだって強く思ってる奴なんだよ。どうせ金持ちになりてえとか、三食付きの家が欲しいとか、そんな気持ちでここに来たんだろ?


 迷惑なんだよ。俺達は忙しいんだよ。


 やる気ねえなら帰れよ」


 ルースはとうとう合わせていた視線を落とし、膝を見つめた。

 穴が空いていた。穴の周囲のほつれを指で弄びつつ、唇を引き結ぶ。


(やっぱり、無駄なんだ)


 夢の中の自分も、ルース・アレグレットも、平均点をうろうろする突出した力のない人間。特別なことはなにもなく、いるのか、いないのか、認識されない空気。


 そんな自分が、認めてもらおうと期待しただけ無駄。

 才能ある人には敵わない。蟻がどんなに努力しても象にはなれないのと同じで、ルースはルース以外になれない。


 ため息をつくと、その息が質量を持って床に落ちた気がした。


 とぷん──。


 まるでゼリーみたいに床に落ちた息は、母を追う幼子のように体をくねらせて這い寄ってきて、ルースの足首にまとわりついた。

 急に寒くなった気がした。

 足首にまとわる吐息は氷のように冷たく、地の奥深くへ引きずり落とそうとぐいぐいと引き始める。

 爪先に暗い世界が広がっているように見えた。

 地獄のように暗い闇──。


 闇は海に足を浸けたように鋭い冷たさで満たされている。


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