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きっっっっまず。
ルースはスプーンで食事を口に運びながら、内心では汗がタラタラと垂れて味に集中できないでいた。
隣では普段どおりヴォルペが少ない量の料理を食べている。
あれから数日。
ヴォルペからの熱烈なキスは夢だったのかと疑いたくなるほど、当の本人ヴォルペは何事もなかったように接してくる。もちろん任務中も。
むしゃむっしゃと咀嚼をしつつ。
(というか、あれはもはや性犯罪なのでは?)
なんちゃらわいせつ罪とかにならないのだろうか。
はて、と人参のグラッセを頬張りつつ考える。
怒るべき?
悲しむべき?
憂うべき──だろう。
しかしなぜかルースは淡白に考えている自分に驚いてしまう。まだ女性たる部分を守れているからなのか、はたまた生い立ちがそうするのか、されたことよりも、なぜヴォルペはそうしたのかが気になる。
そういえば、魔塔には女性が圧倒的に少ない気がする。ルースが魔塔に来てから、まだ一度も女性に会ったことがなかった。
(はっ!)
電撃が走ったように思いつく。
さては性欲が抑えきれなかったわけだな、女性が少なすぎて。ははーん。
と、思いつくも、すぐに首を傾げる。
いや、そんなことはない。たった数ヶ月しか見ていないが、ヴォルペは非常に理性的に動く。こんな痩せぎすの魅力のない女がいたとて、急に制御できないほどの性欲に駆られるとは思えない。これがボインボインならまだしも、悲しいかな真っ平ら。
被害者として怒るべきか。しかし、衣食住がなくなってしまうと思うと下手に抗議できない。それとも、狡猾にそんな立場を利用して性欲の捌け口にしようとするとか?
追い出すぞとか脅迫をして?
それならもっと早く行動に出てもよかったよなあ。
「美味しくないの?」
ふとヴォルペに顔を覗き込まれていた。驚いて、まだ大きいままだった人参をごくんと飲み込む。喉の内壁を塊が押し広げて通っていくのがわかった。痛い痛い。
「おおお美味しいです、とっても」
「足らない?」
「足ります、足ります」
「僕のも食べる?」
「だ、大丈夫です!」
なんだか、ぎくしゃくしてしまう。
話題を変えた。
「魔塔に女性はいないんですか?」
「もちろん、たくさんいたよ。今はルースだけ」
「そうなんですか……。そもそも女性の魔法使いが珍しいんですか?」
「そんなことはないよ。ただ……年齢的な問題かな」
「あー……歳を取ると体力的な?」
「うーん、どうかな」
はぐらかしたな、と思った。
なにかしら言いたくない理由がそこにはあるらしい。ヴォルペが言い淀むというなら、ネーヴェかパンテーラに聞いてみよう。あのふたりなら、あまり隠し事をしなさそう。特にパンテーラ。
ヴォルペが来ると空っぽになる食堂に、相変わらず今日もふたりだけ。
ふたりが会話をしなければ、ここは沈黙にどっぷりと浸かりきってしまう。
「ごちそうさまでした!」
「満足できた?」
「はい! お腹いっぱいです!」
「そう、よかった」
そうして自然と別れて自室に戻った。
きっっっまず。
なぜキスをしたのか、多分もう聞けないだろうなとルースは思った。
◇◆◇◆◇◆
ヴォルペは耳に髪をかける。
自室のベッドに寝転んで、天井を見上げながら瞑目する。
唇の感覚がぞわりと背中を撫でた気がした。
ルースの唇。吐息。涙。汗。鼻水。唾液。におい。温もり。
もう一度したい。
またしたい。
まだしていたい。
ヴォルペは他の女と接すれば答えがわかるだろうと思って町中のあらゆる女と接してみた。だが、会話すらままならなかった。肌に触れることはおろか、振られた話題に返事をするという些細な行為に嫌悪感をいだき、すぐにその場を後にする。
女の裸も見た。
胸の大きい女も、貧相な女も。子どもも大人もすべての体を見た。
なにも感じなかった。
豊満な胸を鷲掴みにしたいとも、曲線を描く腰を撫でたいとも、豊かな茂みをかき分けて女性の部分に指を挿し入れたいとも、なにも感じない。
そうしたいと感じるのは、ルースに対してだけ。
なぜ?
どうして?
魔塔には、当然女性も多くいた。接してきたことは皆無ではない。数多の過去の女性隊員にも、こんな衝動は覚えなかった。
「ルース」
名を呼ぶことすらぞくぞくする。
どうすればいいのだろう。欲のままルースに触れれば、それはよくないことのような気もする。
しかしずっと葛藤を抱えたままでいるのも鬱陶しい。
こんなときに、ああ、自分は誰のことも信じていないのだなと痛感する。
心の内を誰にも打ち明けられないのは、つまり、そういうことだった。
ならばルースに聞けばいいのでは?
キスをしてもいいか、唇だけではなくて全身にキスをしていいか許可を取れば存分に欲を満たせるのでは?
なるほどそうか、簡単ではないか。
ヴォルペは指を鳴らした。




