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 ルースを椅子に縛り付けるのは、パンテーラとネーヴェの役目だった。

 ルースの細い体を椅子の背凭れにぐるぐると拘束するよう指示したのは、もちろんヴォルペ。

 経緯を聞いたネーヴェがルースの足に回復魔法を丁寧に掛けてやったが、やはり傷痕は消えなかった。

 痕が消えない足を見て、ヴォルペの落ち着かなさが増す。

 うろうろと右往左往して、しきりに髪を耳にかける。


 その唇に微笑みを携えることはなく、眉をしかめて思案している。

 こんなヴォルペを、パンテーラは見たことがなかった。


「ヴォルペ、できたぞ」


 拘束が完了したことを告げても、ヴォルペの足は止まらない。

 むしろ歩みが速まった。


「なんで怒ってるんですか? せっかくうまくなったのに……」

「ルースさん……」


 ルースの言葉を聞いて、ネーヴェは呆れ果ててしまっている。なんでわからないんだと眉尻を下げた。

 そしてもう何度も試したのに、また膝をついてルースの太ももに手を当て、魔法をかける。いくら魔法をじっくりかけても、やはり、だめだった。


 がっくりと肩を落とすネーヴェの頭に、さらに煽るルースの言葉が降り掛かってくる。


「大丈夫です、気にしないでください! ほら、お洋服着たら見えないし! ありがとうございます!」


 へへへ、とまた得意のポジティブな思考と表情。

 この場で笑っているのはルースだけなのに、それに気づいていない。

 ネーヴェはゆったりと目を伏せたあとで、ルースの頭を撫でた。


「ルースさん、申し訳ありませんでした。私が、私の教え方が、いけなかったんですよね。もう少し、()()()()伝えることができていれば……」

「えー! 全然そんなことないです! ()()()()()()()()、やっとコツがつかめましたし!」


 ネーヴェは困ったように笑った。

 その言葉がとどめだった。


 感情を爆発させるように髪を掻き乱すヴォルペ。

 崩れた前髪で双眸を隠したヴォルペは、肩で息をしながらそっと指示を出す。


「ふたりは、ちょっと席を外してくれる?」


 パンテーラは迷って、ネーヴェを見た。ふたりは目を見合わせて、ルースの部屋をあとにした。



 不機嫌なのはルースだ。

 いつかサプライズで練習の成果をお披露目するつもりだった。予想外に早く知られるところとなってしまったけれど、それでもこの努力を褒められないとは思わなかった。

(なんで3人とも褒めてくれないの)

 こんなに、こんなに頑張ったのに。


 自分なら大丈夫、できる! って、前向きになって頑張ったのに。


 私なんか、と思わないように頑張ったのに。


 ヴォルペは、とうとうルースの前で膝をついた。

 ルースが座る椅子の両の肘掛けにそれぞれの手をついて、顔を項垂れてしまっている。


 乱れたヴォルペの髪を初めて見た気がした。

 無造作にめちゃくちゃな方向へ飛び跳ねる紺碧の髪は、深い海のうねりにも似ている。凪いでいるように見えて、激しく蠢く海の波。


「……僕が言いたかったこと、伝わってないんだね」


 ぽつりと顔も上げずにヴォルペが言った。

 ルースはまた言い訳をした。


「他の人の傷だと集中できないからです! ちゃんと傷痕だらけになることは覚悟してました! だから、あまり目立たないところに──!」

「違う。ちがうよ。そうじゃない。僕が言いたいのは──僕が、言いたいのは」


 そこで途切れてしまった。

 しばらく互いに沈黙した。


 しかし、ヴォルペが急に立ち上がって自分のワイシャツを勢いよく開いた。ジャケットとワイシャツのボタンが弾け飛び、また刺青がこちらを覗き込む。

 そして氷で作ったナイフを自分の胸にそっと当てた。


「ヴォルペさん!?」


 ルースは仰天した。なにをしようというのだ。制止しようとしても、がたがたと椅子が揺れるだけで拘束は解けない。


「なにやってるんですか!」


 ナイフを刺すことはしなかった。ただ胸の中心から腹へと真っすぐに切っ先を振り下ろす。

 地獄が血でふたつに裂けていく。


「いいいい痛いですって! ヴォルペさん!」

「ルースがしたことと、同じことをしてるだけだよ」


 胸に一刀入れたかと思うと、今度は切腹するみたいに腹に切っ先を滑らせる。

 交差したところで、皮膚がさらにめくれ上がる。覗く肉。


「ちょ、ちょっと! ヴォルペさん、やめてください!!」

「塞げば大丈夫だよ」

「いや、そ、そうじゃなくて……!」


 私は練習しただけ。

 他の誰よりも素質がないから、少しでも追いつけるために努力しただけ。こんなふうに、自分を傷つけることを目的としていたわけじゃない。

 ヴォルペとは違う。


 絶対に違う。


 それなのに、なぜ焦るのだろうか。

 なぜ、ざわめくのだろうか。


 本当は、倫理に反するとわかっていた?

 自分の体を何度も傷つけるだなんておかしいと、わかっていた?


 でも練習しないと。

 でも、でも。


 そしてとうとうヴォルペは首に切っ先を当てた。




「ご、ごめんなさい……!」



 白旗を揚げたのはルースだった。

 ヴォルペはぴたりと手を止めた。

 乱れた髪から冷たい瞳が見下ろしてくる。

 さらに求めているのだった、ルースの悔恨を。


「ただ、本当に、純粋にうまくならなくちゃって……それしか考えてませんでした……。こんなふうに……なんていうのかな……自分で自分を傷つける人を見て、こんなに、辛くなるとは思いませんでした」


 言うと、ヴォルペは手をぷらりと下ろした。

 形の変わらない瞳は、だが、ほんの少し和らいだ気がした。


「違うよ、ルース」


 ルースはもうこれ以上はわからないと思ってヴォルペの顔を見返す。

 見下ろしてくる瞳を見上げて、次の言葉を待った。

 ヴォルペは表情を崩さずに言葉を滴らせた。


「僕達は、僕は、ルースに傷ついてほしくないって言ったんだ。僕は、ルースが傷つくと……わからないけど、僕が痛いんだ」

「……え」

「わからないけど、嫌なんだよ。わからないけど──」


 言い終えるより先に、ヴォルペはルースにキスをした。

 降るような口付けにルースは目を見開く。反射的に唇を閉じて、顔を背けようとした。

 そうさせないのがヴォルペだ。

 しかもルースが逃れられないのを知っていて、ルースの鼻を摘んだ。少し耐えたけれど、限界に達して息をしようと口を開けたところを狙われた。

 その隙間にぬるりと入り込んでくる蛇のような舌で、ルースの逃げ惑う舌を執拗に追う。


「わからない。僕もわからないんだよ」


 ヴォルペの息が、指が、舌が熱い。勢いの強さに喉が鳴っても、ヴォルペは止まらなかった。息をしようとしても、ヴォルペが絡み付いてくる。ほんの少しの間隙で息を吸って、また塞がれて、口の中で絡み合う舌と舌がとけてしまいそうで、頭がぼんやりとしてくる。


 それは目眩に似ていた。

 頭がぐらついて、とうとうされるがままになっていたルースからヴォルペが離れたとき、ルースはヴォルペの香りで満たされていた。

 至近距離にいるヴォルペの瞳を見つめながら、焦点が合わずに肩で息をする。


 いつの間にか拘束はなくなっていた。


 互いの息が交じり合う距離。


「──だめだ、もう一回させて」


 ヴォルペの胸を押し返そうとしたけれど、ほとんど力が入らなかった。

 夢に落ちるその瞬間までキスは続いた。

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