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 少し早すぎたか。

 ヴォルペはルースを膝に乗せて抱いたまま、自分の計算違いに驚いていた。いや、早すぎるということはどちらかというとわかっていた。

 もちろんヴォルペが教養課長の役職を得たのは、どの隊員になにが足りないのかを見る目が高かったからだし、けっしてその者が習得できないであろうレベルのものを教えず、習得できるであろうレベルを求めるのに長けているからだ。


 妥協は許さなかった。


 もう勘弁してくれと縋られようとも、自分が求めたレベルに達していなければ幾度となく鍛錬を課した。

 そうして、やはり見立て通りそのレベルに達する。



「ルース、ごめんね」



 なぜ、中断させたのだろう。


 ヴォルペはそこがわからなかった。

 自分は中断させるような、妥協を許す人間ではない。



「ルース、泣かないで。大丈夫だから」


 まだ泣いている優しい子。

 痛みなんてどうでもよかったのに。


 むしろ、傷が残ってしまったらよかったのに。


 永遠に消えない傷を残して、ずっとルースがヴォルペと一生一緒にいることを誓ってくれたならよかったのに。


 (ネーヴェは回復魔法の腕が良すぎるなあ。)


 傷があったであろうルースの首は、すっかりネーヴェが治している。見えない傷痕にキスをしても、泣き疲れたルースはなんの反応も示さなかった。


 重傷ではなかった。

 ルースのあの傷は、切り傷に留まっていた。部位が部位だけに出血が多く見えただけで、ヴォルペが駆けつけたときにはほとんど血も止まっていた。


 制服のせいだろうか。

 黒の制服に身を包み、首を赤く染めたルースは、生首そのものに他ならなかった。


 彼女の死を意識したのだった。

 ルースが魔法を上達させればさせるほど、彼女の死も歩み寄ってくる。


 いつまでも守られるだけの存在ではない。


 だからヴォルペ班のルース以外の3人は、彼女に生き残る(すべ)を教えてやらなければと強く思ったのだった。


 パンテーラは、教え方を工夫しなければルースにはうまく伝わらないと言った。

 ネーヴェは、傷を塞ぐのに教え方のレパートリーは少ないと言った。とにかく、やらせてみなければ、と。


 つまりふたりは衝突した。


 中断させなければ、きっとレベルに達したはずだった。

 自分の出血を恐れたわけでもないのに、なぜ止めたのだろう。


 ──胸がざわついた。

 そう、確かに、そうだった。


 嫌悪──ちがう。

 もどかしい──いや、違う。

 憤怒──も、ちがう。


 わからない。ヴォルペは、やはりわからなかった。

 落ち着いてきたルースを抱いたまま立ち上がり、ルースの部屋に移動する。ベッドに寝かせ、ハンカチでぐしょぐしょの顔を拭ってやった。


「ちょっと休んでてね。起きるころに、また来るよ。一緒に食堂に行こう」


 眠ってはいないルースが小さく頷いた。

 おやおや、そういえばシャツを着ていなかった。魔法で取り出したワイシャツを羽織り、制服を着付けていく。その間にルースは目を閉じて眠り始めていた。


 ベッドに手をつくと、軋む音がした。


 その瞼にキスをしていた。



 なぜ?


 おや? なぜ自分はこんなことを?


 ルースの訓練を見たのは一度でも二度でもない。多くの魔法を教えたし、厳しくもした。

 そのとき、こんな気持ちにはならなかった。

 ルースが涙目になっても、必要なことだからとさらに訓練を告げた。


 今回となにがちがう?


 ルースが、()()()()泣かされたから?


 それは、つまり──?


 ヴォルペはまともな生活をしてこなかった。

 生まれた家の環境は悪く、それこそルースが育ったストリートのさらに粗悪な場所で、奪い合い、殺し合い、誰かと誰かがその土地の王座を常に競っていた。


 運が良かったのは、ヴォルペの父がそこそこの地位にいたこと。

 次期王とも言われ、ヴォルペの父に歯向かうものは少なかったから、その息子のヴォルペにも楯突いてくるものもいなかった。


 ──狙われはしたが。


 父の弱点であるとして誘拐やら暴行傷害に留まらず、口に出すのも思い出すのも、過去を認めるのもおぞましい性被害にも遭った。


 父は気にも止めなかった。


 弱点なんかではなかった。そうと知れると、ヴォルペは他と同じように楯突かれ、障られ、自分の明日を自分で勝ち取る以外に生きていく手段がなかった。


 強く見せるために刺青を。味わった地獄を覚えていたくないから代わりに皮膚に記録して、頭の中からは葬り去る。


 何年も時が経って王座を手に入れた代わりに、与えられたのは犯罪者の称号。

 どうやら殴るのも、怪我をさせるのも、奪うのも、犯されるのも、すべて世の中では許されないことだったらしいと知ったのはそのときだ。

 重犯罪者として刑務所に入れられ、死刑囚になった。


 なにもすることがない毎日を過ごしていると、魔塔からのスカウトがあった。


 自分が人を殺した手段は、なにやら魔法を使っていたようだった。知らないが。


 とどのつまり、依頼をこなすだけの奴隷が欲しかっただけなのだ。

 いつの間にか下剋上が成されていただけで。


 だからヴォルペはまともに生活をしたことがない。

 あの場所にいた女達はすぐに地位のある男に囲われて、犯され続けて短命であったし、あるいは病気になって、人質にされて、ほとんど町にいなかった。

 友人も、安寧を築ける家も、家族も、ひとりを補う金もなにもない。


 ヴォルペは冷ややかな眼差しでルースを見下ろした。


 不思議な感情もあるものだなあ、と思うのと同時に、なんだか自分の得体のしれない感覚に戸惑う。

 謎の根源は寝息を立てている。


 もう一度キスをしようとして、やめた。


 ベッドに手をつこうとした行き場のない手で髪を耳にかけて、その場をあとにした。

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