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「魔塔にもお休みがあるんですねえ!」
街を歩くルースは、心なしかスキップ気味だった。
かっちりとした黒ずくめの制服ではなく、私服に身を包んだパンテーラとルースは、ルースが街に行きたいというので仕方なくパンテーラが付き添う形で外出した。
ヴォルペは幹部会議だかなんだか、ネーヴェは回復魔法使いのための護身術会だかなんだか、とにかくふたりとも不在であるため、ヴォルペにルースの護衛をきつく命じられたパンテーラが仕方なく、仕方なく付き合っている。
「そりゃあな。あれだけ人数がいりゃあ、交代で休みを取る制度があってもおかしくねえだろ」
自分達だけ、やたら休暇の頻度を少なくされていることは教えてやらなくてもいいだろう。
ズボンのポケットに手を突っ込みながら、たらたらと歩く。自分としてはかなりゆっくりな歩みなのに、足の長さがそもそも違うのか、それでもルースが早歩きに見えた。
(ああ、浮かれてんじゃなくて、俺が早ぇのか。)
パンテーラは、外出に浮かれてスキップしているルースが、実は歩くのが速いパンテーラに合わせているのだと気付いて歩調を緩めた。
すると周囲を見る余裕ができたのか、ルースはきょろきょろと小動物のように首をあっちこっちへ回す。
そんなルースに問う。
「で?」
「で? とは?」
顔を見上げて聞き返してくる。
やはり顔色が明るいのは気のせいではない。内側から喜びが滲んでいる。
「どこ行きてえんだって話。」
「あぁ! そうですよね! 実は髪を切りたくて! ぼさぼさなもんで」
髪をつまんでみせる。確かに伸びっぱなしの放っておきぱなしなのがわかる。
「別に魔法で切りゃあいいじゃねえか」
「パンテーラさんが?」
「なんで俺がやってやると思ったんだ? んなもんは自分でやんだよ。自分のことは自分でやんの」
「私が魔法でまともに髪を切れると思います?」
ふとルースの不器用さを頭に浮かべる。ついでに鈍感さも。
「無理だな」
即答。
しかしルースは落ち込むでもなく、けたけたと笑ってみせた。
「そうでしょう、そうでしょう? だから、いっそ切ってもらおうと思って。それを話したら、ネーヴェさんは少しくらいなら回復魔法で髪を伸ばすこともできるって言ってくれたんですけど、わざわざそこまでしてもらわなくても最初からお金払って頼めばいいなーと思って!
なぜならお給料貰ったから!」
じゃじゃーん、と財布を見せつけてくる。
その財布もヴォルペから貰ったものだ。まさかヴォルペとは色違いのペアだとは思っていないだろう。ヴォルペもわかりやすい性格である。
その財布に先日の初任務の日当を詰めて、飛び跳ねていたのが昨日のルースだ。妙なダンスまでしていた。本当にへたくそだった。心からへたくそだった。
「わかったから、騒ぐなよ。」
「はーい。ところで髪を切るお店はどこにあるんです?」
「知らねえよ。街で髪切ったことねえもん」
「あー……だからそういうライオンの鬣みたいな──」
「なんか言ったか?」
「いいえー! あ、お姉さーん! 髪を切ってもらいたいんですー! 安くていいお店知りませんかー?」
と、ルースはさりげなく出店屋台の店員に声を掛けた。あっちのどこそこの店ならこうだ、そっちのどこそこの店ならこうだと、明るい笑顔で返されている。
「ありがとうございます! これ、ふたつ買います! 一本は味濃いめでできますか?」
あいよ! と手渡された、串焼きを買って戻ってくる。そして串焼きを差し出してきた。
「どうぞ! 普通味のほう!」
「……は?」
頓狂な声で聞き返すと、ルースはむっとしてもう一方の串焼きを守るみたいに体を捻った。そうではない。そっちを寄越せなんて言っていない。
「だめです。味濃いめは私のです」
「俺に食えって言うのか? これを?」
「え、食べない選択肢があるんですか? これを?」
と言いつつ既に食べ始めるルース。
パンテーラは出店屋台の品物を口に入れたことがなかった。家を飛び出してからはずっと魔塔で過ごしてきたし、休みの日も訓練や文献を読んでいたし、外出はほとんどしてこなかった。
あんな野晒しの食材で、なにをどう調理したんだ?
串を受け取りながら、訝しげに肉を見回してしまう。匂いは香ばしいのだが。
「いや、ビビって食べられないならいいんですけどね。私が食べるんで」
「ビビッ……!? は!?」
「なんだーい、お兄さん食べないのー? うちの店の肉が気にいらないってー?」
店員も面白そうに屋台の中から声をかけてきた。
「女に奢られた肉じゃどうのこうのって四の五の言ってるんですー! お肉とっても美味しいー! さいこー!」
「そりゃどうも! 男だとか女だとか、細かいこと気にすんだねー」
きっと肉そのものを疑っていると思われないように咄嗟に誤魔化したのだろうけれど、なんだか苛ついて、ふんぬといっきに頬張った。むっちゃ、むっちゃと噛み締めていくと、おや美味いじゃないか。その表情に気付いたのか、ルースは何も刺さっていない串を受け取りつつ、お店の前に用意してあるゴミ箱に捨てに行った。
食べてくれた、美味しそうな顔をしていただとか、彼氏かい? だとか、なんだか店員と盛り上がっている。
あいつは人と仲良くなる天才か?
パンテーラは嚥下しながら、ハンカチーフで口元を拭った。
戻ってきたルースの口の周りもスパイスで汚れていて、パンテーラはハンカチーフをわざわざたたみ直して自分が拭ったのとは違う箇所でルースを拭ってやった。
「一緒にいて恥ずかしい」
「ありがとうございます! なんだか上品な仕草ですねー!」
ぎくりとした。
貴族であった過去は、パンテーラにとって隠したい事実のひとつだった。避けられる要因だからだ。馬鹿にされる原因になりうるからだ。
しかしルースは気にするでもなくすぐに踵を返した。疑われるのではと思っていたパンテーラは、むしろ拍子抜けした。
安心したともいう。
「あっちに女の人が髪を切ってくれるお店があるんだそうですー! そこに行こうかと思います」
「はいはい」
ついて行った。
◇◆◇◆◇◆
そうして髪を整えたルースといると、そわそわする。
なんだかルースが綺麗な女性になってしまった。貴族たる男子として教え込まれたレディーファーストの精神がまだ残っているのか、気を使ってやらなければならない気もするし、そんなことする必要もない気がするし。
「さっぱりしたー! 帰りましょうー! お金もたくさん使っちゃいましたし!」
なぜだかルースは3人分の土産を買った。中身がなにかは知らないが、どうせパンテーラとネーヴェとヴォルペに渡すのであろうということはわかる。
別に、ルースに買ってもらわなくても、ルース以上に給料はあるし、ほしいものもなければ、困窮しているわけでもないのに。
「おーい、ルース!」
帰路につくと、しばらくして呼び止められた。
もうだいぶ人気のない路地に差し掛かっていた。薄暗く、陰鬱で、影になる通り。
振り返ると、出会ったときのルースの、その倍は汚れた服を着たストリートの少年達だった。
ルースが気付いて手を挙げた。
「おおー! なんだか久しぶ──」
「魔法で金出せよ!」
再会の挨拶も遮られて、ルースは面前に掌を差し出された。黒く汚れたその手と腕は、ルースと同じくらいに細い。
一瞬の間があったあとで、振り返されることのない手を所在なげにおろして、ルースは笑った。
ヴォルペみたいに嘘くさい笑い方だった。
「ごめーん、魔法でお金は出せないんだよー!」
「そんなルール無視しろよ!」
「ルールじゃなくて、できないのー。無理!」
「はあ? できないの?」
「そうなのー」
「なんだよ、魔法が使える奴がいるって、魔塔に教えてやった意味ないじゃん! 謝礼金も出ないしさー。魔法がうまくなったら、ルースに金を無限に出してもらおうと思ってたのに!」
「ごめんね」
「じゃあ、お前だけ家も仕事も貰えたってこと? あんなでっかい魔塔で暮らしてんの? こんないい服着て?」
少年は汚いものをそうするみたいにルースの服をつまむ。パンテーラが睨むと、少年はふんっと鼻を鳴らして手を放した。
またルースはにこにこと笑いながら謝った。
「ごめんね」
「ふざけんなよ! 魔法で俺達のためになんかやれよ! 飯だせ! 家作れ! 売れるもん出せ!」
「ごめんね」
「なら帰ってこいよ! お前ばっかりずるいじゃんか! 許さねえからな! お前も街に戻れ!」
「ごめんね、できない。戻りたくないし。」
「俺達を裏切るのか!? お前だけ勝ち逃げか!? お前だけ!?」
「ごめんね」
ルースはそれ以上なにも言わなかった。
役立たず、裏切り者、国の飼い犬、腰巾着と罵られても、ただ口先だけで謝って、踵を返した。
「女のくせに体も売らねえで済みやがって……! いつだって襲ってやれたのに! 襲わねえでやったのに、恩を仇で返しやがって……死ね!!!!」
悪意の籠もった呪いだった。
我慢できなくなったのはパンテーラだった。
いよいよ堪忍袋の緒が切れたパンテーラは、あらゆる魔法を使って少年達を痛め付けようとした。
指を鳴らそうとする。
しかし、ルースがそれをさせまいとパンテーラの手を握った。
なにもなかったみたいに、リズム感のとち狂ったスキップで弾みながら歩を進める。次第に元気のない歩みに変わっていく。
背中ではまだ少年達が呪いを投げ掛けていた。死ね死ね死ね。重い恨みの呪詛がずっと響いている。
「なんでなにも言い返さねえんだよ。今のルースなら、あんな奴ら一瞬で黙らせられるじゃねえか」
「家もない、仕事もない、親もない、金も食事もない。そんな環境じゃ、抜け出した人が羨ましくて仕方ないのは当たり前なんですよ。私はたまたま運が良かっただけです」
「それにしたって……仲間だったんじゃねえのか?」
「全然。あの街で夜を明かす人達は、いつだって売られてもおかしくない関係です。たまに力を合わせて金を盗んで、盗んだあとで山分けしたくなくて殴り合うような、いつ繋がりが切れても──いや、繋がっているかどうかも怪しいくらい薄っぺらい相手でしたよ」
──諦めて帰れ。
俺は、そんな発言をしなかっただろうか。
パンテーラはルースの過ごしてきた環境を少しも考えずに発言したことを後悔した。
この子には、帰る場所すらないのだ。
反動が起きるまで無理をしたのではない。抜け出すためには、無理をするしかなかったのだ。
それを自分は、あんな幼稚な理由で。
「あの、俺……」
「面接のときに、死にたいと思わないようにするためには、具体的になにをしたらいいかって聞きましたよね」
謝罪さえ言わせてもらえない。
パンテーラは一度飲み込んだごめんなさいを、吐き出す勇気が出せなかった。
「それ、は……確かに聞いたけど、あれは、別に──」
「わからないんですよ。ずっと考えてるんですけど、思いつかないんです。多分──
生きたい目的を自分で見つけないとダメなんです。
けど、あの子達は見つけるチャンスもない。どうしたらいいんですかねえ」
どうしたらいいのかなあ。
そんなふうに、なにも気にしてないと装って笑いながら言うくせに、パンテーラの手を握りしめる手に力は入っていない。
強く振りほどけば、もうきっと離れてしまう。
繋ぎ止めようと努力してくれないまま、行ってしまう。
ルースには、もう既に魔法しか残されていないのだった。
それを奪おうとした自分が愚かだった。
「おい、ルース……!」
なんだか、どこかに消えてしまいそうな気がした。
ルースが、どこかに。
ヴォルペみたいに笑うルースが振り返ってくる。
「……帰るか」
言うと、ようやくルースの嘘が消えた。
この笑顔はきっと本物だ。
「はい!」
手は振りほどかなかった。




