12
ネーヴェは、もっと早く訪れるべきだったと後悔した。
初任務を終えた4人は、それぞれの部屋に戻った。
見るからに疲労困憊のルースはがっくりと腰を曲げながら、風呂に入って寝ると言っていた。だから空腹で目が覚めるであろう頃に会いに行って、回復魔法をかけてやろうと思ったのだ。
しかし部屋を訪れたネーヴェの前には、びちょびちょに濡れたままの髪に素っ裸でベッドに俯せで倒れているルースだった。
死んでいるのではと不安にならないのは、ルースが小さないびきを掻いているからである。
ネーヴェはなんだか頭痛がする気がして、頭を抱えてしまった。
仮にもこの部屋の説明は受けたはずだ。一度、室内に入った者ならばいつでも誰でも入室できると。ならばヴォルペとパンテーラと自分が、いつなんどき入ってくるかわからないことは認識しているはずなのに。
とにかく、なにか掛けてやらねば。
クローゼットに歩み寄ろうとして、やめた。開けるのは躊躇われた。きっとヴォルペが用意した下着やらが入っているだろう。ルースが反動を起こしたあとの着替えと、今とで2回も裸を見ておきながらなにを今さらと思われるかもしれないが、見ないで済むなら見ないほうがいい。
床に落ちているバスタオルをかけてやるのも衛生的に疑わしかった。
そういうわけで、ネーヴェは自分のジャケットを脱いで、ルースに掛けてやった。
ベッドの隅に腰掛けて、ささやかな魔法で髪を乾かしてやる。
「風邪ひきますよ」
熟睡の彼女には届かない。肩に触れると、冷たかった。
「ルースさん、食事は召し上がらなくていいんですか?」
軽く揺さぶっても、やはり起きない。
予想以上に疲れてしまったのだろう。
ヴォルペに引き摺り回されて、魔法を乱発していたのを知っている。ネーヴェには到底できない魔法の数と種類だった。
ヴォルペが手助けしたのは何回だったか。見ているだけでも、ほんの数回だ。主にヴォルペは彼女の足代わりになっただけで、ほとんどの魔獣をルースが倒した。もちろんパンテーラも。
あのまま根絶やしにするかと思うほどに、圧倒的な魔力量だった。
背中に触れ、体全体をじんわりと温めてやりながら回復魔法をかける。
「回復魔法も希少なんですけどね」
自分としては、やはりパンテーラのように敵陣に突っ込んでいきたいし、獅子奮迅の戦いをしたいし、ヴォルペのように前衛だろうが後衛だろうが器用にこなすオールラウンダーになりたい。
どうしても、憧れがある。
回復魔法をかけられる魔法使いは少なく、否が応でも守られる立場にあるし、それでいて回復魔法が得意な魔法使いは、攻撃魔法がからきし苦手という欠点もある。ネーヴェも例外ではなかった。バリアやシールド、回復魔法は得意だが、攻撃に転じる魔法はほとんど使えない。使えても威力は弱い。
なぜ、ヴォルペは面接を自分に任せたのだろう。
立場としていうなら、ヴォルペが中央に座るべきだった。しかし、ヴォルペは全面的にネーヴェにルースの面接を任せた。人を見る目はヴォルペのほうが長けているはず。
「ルースさんは、すごいですね」
この小さな体で、あんなに魔法を発動させられるなんて。
こんな壊れてしまいそうな体で、班の切っ先になってしまうのだから。
ネーヴェは骨ばったルースの背中を擦り、母親が子どもにするようにぽんぽんと背中を叩いてやる。
面接のとき、ルースは妙な印象だった。
だいたい魔塔に入塔するのは、強く希望する者達である。ルースもやはり希望に満ちていた。しかしそれは、魔法使いとして活躍したいという欲求ではなく、衣食住を確保したいという保身に見えた。
それでいて、魔法を悪用しようとも思っていなさそうだし、人を能力で優劣をつけようともしなさそうだった。
もしかしたら、この人なら上も下もなく、対等にいられるかもしれない。それは、期待に近かった。
「私がもっと強い魔法使いだったら、ルースさんがこんなに頑張らなくてもよかったはずなんですけどね……」
とはいえ、ネーヴェも疲れていた。
久しぶりにあんなにシールドを張り続けていたし、援護射撃とはいえ、攻撃魔法も何度も使った。パンテーラに完ぺきに付いて行けたわけではないけれど、走り続けもした。
ネーヴェは、ルースの隣に寝転がって天井を見上げた。
回復魔法は希少。
それは間違いない。
しかし、それは便利に使われるだけだった。必要なときだけ猫なで声で近付いてきて、回復させたら、さよなら。
必要がないときには、攻撃もまともにできない弱者扱い。
そんな人間関係に疲れて、回復魔法が使えなくなった時期があった。
そうしたら、もう誰も近寄ってこなかった。
自分の居場所を取り返すために幾度となく挑戦するのに、一向に回復魔法が発動しない。
それは、もしかしたら、もう誰も治したくないという本音だったのかもしれない。
もう便利に扱われるだけの物にはなりたくなかったのかもしれない。
ヴォルペに誘われたのは、その頃だった。
初めは、シールドさえ張っておいてくれたらいいと言われ、回復魔法を使えないことになにも言及されなかった。
そうやってふたりだけで任務をこなした。
ヴォルペの実力は、ネーヴェが見ても素晴らしかった。
どれもが優れた判断力の下で、最適解の魔法を発動させる。必要最低限の魔法と魔力で効率的に終わらせる。だからこそ、ふたりでも遂行し続けることが出来たのだ。
そこにパンテーラが加わり、攻撃の幅がいっきに広がった。
パンテーラも、ネーヴェを馬鹿にする余裕もなく自分が結果を出し続けることに集中していたし、ヴォルペはそんなふたりを適切に動かして班の実力は跳ね上がった。
ネーヴェはやっと自分を道具にしない人達に巡り会えた気がしていた。
今まで、それでも3人組のくせにと影で言われていた。4人組が基本の魔塔で、4人組になれない班。しかし、その話題も尽きることになる。
もうヴォルペ班は、4人だ。
「やっと……ここまで──……」
やっと。
その安心感がネーヴェの疲労を増幅させる。
深い溜息をつくと、そのままベッドに沈み込む錯覚を覚えた。
◇
はっと気付いたネーヴェは体を起こして、ルースを見る。
ルースはまだ寝ていたが、そろそろ起こして食堂に連れて行ってやらねばならない。ヴォルペがルースの食べっぷりを話していたし、ルースは食事を楽しむタイプのはずだ。
「ルースさん、ルースさん起きてください。食事に行きましょう。私も一緒に行きますから」
「……んぁ? ご、ご飯、行きます……」
「服を着てください。」
「…ふく……服……」
寝ぼけながら、ぽてぽてとクローゼットに歩き出すルース。その右手にネーヴェのジャケットを握ったままで、ずるずると引き摺っている。裸の自覚がないのか、隠す素振りもない。ネーヴェはあえて視線を外してやった。
まだまだ寝ぼけているのか、ルースはネーヴェのぶかぶかのジャケットにまで袖を通した。
まあ、貸しておいてあげましょうか。
そんなふうに思いつつ、さあ、行こうと声を掛けようとしたとき、テーブルの上に木のおもちゃを見つけた。
糸目が特徴的なキツネと、不機嫌そうな顔と鬣が目立つライオンと、ほんわかとした顔つきの雪だるま。雪だるまは、モノクルをつけている。
まさか──……?
雪だるまは滑らかな球体にするのが難しかったのか、かなり歪である。球体というよりは多角形だ。
「ごはん、ごはん」
ルースも調子を取り戻してきたようだ。髪を結んでいる。
ネーヴェは雪だるまを撫でようとして、やめた。
3体のおもちゃは、綺麗に向き合って配置されていたから、崩してしまうのは惜しかった。
指を鳴らす。
いつもより少し大きく響いた気がした。




