11
翌朝、ルースの部屋に向かうと、予想に反して既に着替えて待っていた。
ベッドで大口を開けて寝ているだろうと考えていたらパンテーラにとって、いささか肩透かしを食らった気分である。
そして制服と髪を結った姿は、昨日までとはまるで違う印象を抱かせて、パンテーラは少なくとも戸惑った。
どうやらルースは美人の部類に入るらしい。
痩せすぎているため少なからず健康的な美しさが損なわれてしまってはいるが、食堂での食事を続けたら大化けするのではないだろうかとそわそわする。
(なんでそわそわするんだ?)
わからない自分の異変に首をひねったあとで、努めて感心するように言った。
「起きてるじゃねえか」
「意地で起きました。頑張りました」
えっへんと腕を組んでみせている。
そこは時計を寄越さない俺に怒るところなのではないかと思いつつ、調子が狂って頭をぽりぽりと掻く。
とりあえず、懐中時計を手渡し、魔法で壁掛け時計をつけてやった。
ヴォルペが目をパチクリとした。
「ああ、そっか。まだルースには時計が必要だよね。ごめんね」
「大丈夫です! こんなに良くしていただいているので! なんなら意地悪したのパンテーラさんなので!」
「してねえだろ! 持ってきてやったじゃねえか! 本も貸したし!」
「はーい、ありがとうございまーす」
「思ってねえだろ!?」
「思ってます、思ってます。なんとなく魔法もわかりましたし」
「ほんとかー? 理解できたのかぁ?」
「なんとなくですぅー」
「仲良しだねえ。いつ、会ったの?」
ヴォルペの一言はどうしてこうも身を引き締めさせるのだろう。
「べ、べつに」
特段、悪さをしたわけでもないのになぜか後ろめたさを覚える。パンテーラとルースは襟を正して、もう会話もしなかった。さながら上官からの処罰を待つ隊員である。悪いことしてないのに。
「ルースさんはヴォルペのお気に入りですよ」
「わかってるよ」
耳打ちしてくるネーヴェに小声で言う。
触らぬ神に祟りなし。ヴォルペのお気に入りにちょっかいを出さぬべし。
少なくとも魔塔の中ではパンテーラとネーヴェもお気に入りに分類されるのだが、そのふたりから見てもヴォルペのルースに対する気のかけようは普通ではない
(一緒に食堂に行っただと?)
ヴォルペは食堂で食事をしない。ほとんどを自分で用意し、自分の部屋で済ませる。そしてかなりの少食だ。加えて、自分が食堂にいたら周囲がどんな反応をするかもわかっているはずなのに。
ヴォルペはあの反応を嫌悪している。
自らその渦に飛び込むのは、ルースのために他ならない。
ふと、ベッドの枕元にパンテーラが貸した本が置いてあるのを見つけた。
それが、嬉しかったのはなぜか。
今まで誰にもまともに相手にされなかったからか。
元貴族だからと相手にされないから努力して独学で知識をつけて、体得して、成績が上がれば今度は掌を返してどうすればいいのだと聞かれる。だが、親切にこの本に書いてあると言って渡すと怪訝な顔をされる。それの繰り返しで、魔塔でもパンテーラに近寄るものはいなくなっていた。
どうやら普通は本を読むだけでは、魔法は上達しないらしい。
書いてあることを試せばいいだけなのに、それができない全員が理解できなかった。試しもしない怠惰な者達なのだと思った。
自分が異質なのだと気が付いたのは、ひとりになってからだったが。
誰も班を組むことを了承してくれない。素質は十二分にあるのに、コミュニケーション能力に欠けているとして誰しもが離れていく。けれど実力はあるから、どうしようかと上も手もこまねいているときに、拾ってくれたのがヴォルペだった。
深くは知らないが、きっとネーヴェもその類なのだろう。
だから、例えば3人の中で誰かひとりが用事で欠員が出るとしても、他の班から任務に一緒に行ってやろうと名乗り出てくれる人はいない。他の班同士では助け合っているのに、だ。
ヴォルペ班は、通称、独立班。
誰にも助けられずに独自に任務を遂行していく、実力だけは最強の小さな魔塔。
それが許されるのも、ヴォルペの圧倒的な存在感だ。そのカリスマ性は未だに健在である。
長らく3人でやってきた。新人を入れて正規の4人班とするかどうかは、3人次第。しかし、こんな班に入りたいと思う人間もおらず、新人も滅多に発見されなくなり、3人はずっと3人だった。
そんなときに、魔法を使える人間が新たに見つかった──。
そういった経緯があるから、パンテーラの渡した本を真面目に読んでくれたことに、喜びを隠しきれないでいる。
あれを読んだのか、ちゃんと。一晩で。
さっさと教えろよという顔もせずに。本なんかでわかるわけねえだろうとも罵倒もせずに。
「今日の任務を説明するよ」
ヴォルペが冷静に始めた。
◇◆◇◆◇◆
「ごめ゙ん゙な゙さぁぃ゙」
ルースはおんおん泣いた。
めでたきルースの初任務は、増えてきた野生の魔獣を狩るというものだった。見上げるほど巨大な四つ足の魔獣もいれば、空を飛ぶ魔獣もいる。土中にいるものも、もちろんいる。結界で市街地には入ってこられないとはいえ、国境を越えるものにとっては脅威に他ならない。
空に対するトラップ魔法をまだ発動できないルースは陸の魔獣を、空をパンテーラが担当した。ネーヴェは後方支援、ヴォルペも支援兼指揮に回り、魔獣がトラップに掛かるまで、あるいは出くわすまで捜索にあたる。出くわしたら狩る。
そこまではよかったのだけれど──。
どごぉぉぉぉぉん!
という耳をつんざくような爆音と共に、土の雨が降り注いだ。ヴォルペが咄嗟に4人をバリアで包んだため難を逃れたけれど、ぼとぼとと異臭を放つ魔獣の血肉が落ちてくるのでたまったものではない。
「……これは、ルースのトラップ魔法だね。」
地面に降り注いだ惨状を右から左へと眺めてから、ヴォルペがにこり顔で言う。
ルースも同じくにこり顔で返した。
この反応は、あまりよくない結果のようだ。
「た、たぶん」
「そうだね。僕が悪かったね。トラップっていうのはね、そんなに大きい魔法じゃなくていいんだよ。」
「そ、そうですよね。いや、訓練場でたくさん練習したんですけど、現実世界には木もたくさん生えてるし、土も石が混ざってるし、岩も所々にあるから、ちょっと強めにいかないと倒せないかなと、思って、みたりして……」
「そうだよね。初めてだもんね。加減がわからないもんね」
なにか、まずかったのだろうか。
多くを倒せるほうがいいだろうと、よかれと思って強めの罠を仕掛けたのだが。
ヴォルペが一歩、ルースに近づく。
パンテーラとネーヴェも距離を詰め、3人はルースを背に囲うように密集した。
パンテーラの目がぎらぎらと輝いている。
狩る獲物を狙う獅子の目と、僅かな焦燥が見て取れた。ネーヴェも真剣な表情で辺りを窺っている。
まずいことをしたらしい。
ルースは体を小さくして、拳を作った。
失敗した。
「ご、ごめんなさい」
「いいんだよ。むしろ、このほうが早く済むかもしれない」
頭に手を乗せられ、柔らかく撫でられる。しかしヴォルペはルースを見ようとはせず、どこか遠くを観察しているようだった。ルースには見えないなにかが見えているらしい。
「さあて──」
ヴォルペが髪を耳にかけた。
それから薄っすらと開かれた瞳に、口元のような笑みはない。
「くるよ」
◇◆◇◆◇◆
パンテーラとネーヴェが身構える。
先の罠の音と魔獣の血肉の匂いに釣られて、人がいると知られてしまった。魔獣が集結し始めたのだった。
彼らは徒党を組むことはない。
てんでバラバラな統率の取れていない攻撃をされるに違いなかった。そのほうが厄介だった。
「お前、浮けんのか?」
パンテーラがルースに問う。ルースは3人の背中に守られながら、緊張によって強く手を握りしめていた。
「う、浮く? 自分がってことです?」
「……無理か」
パンテーラの盛大な舌打ち。
(やめてよー、こわいよー)
失敗してしまった、失敗してしまった。
ルースの頭はそればかりだった。失敗してしまった。相談すればよかった。確認してもらえばよかった。
失敗してしまった。
ああ、やっぱり私なんか──。
そう思い終えるのを遮るように、ヴォルペが言った。
「僕がルースをフォローする。パンテーラはネーヴェを援護しつつ、攻撃しまくっていいよ。ただし、空からくるやつを優先的にやっつけて欲しい。まだルースは平面的な魔法の発動のほうがいいから」
「わかった。」
「私は皆さんのシールドを保持しつつ、援護射撃します」
「そう。それでいい。ルース、手を出して」
ルースが素直に手を差し出すと、ヴォルペはその手を握ってきた。指を絡ませ、しっかりと握る。大きく、力強い手だった。いつもの優しい仕草とはまるで違う。
少し、驚いた。
「絶対に放したらいけないよ。離れ離れになったら、助けに行くのに時間が掛かるからね」
ヴォルペが言う。
しかしルースは、周囲からどんどん近付いてくる重い足音や、おどろおどろしい呻きや、羽音、木々を揺らす音、振動する地面に気を取られて、空返事をした。
至るところから鳴る音に、きょろきょろと周りを見てしまう。
(魔獣が集まってくるって、どんな感じなの。ただでさえ初めて魔獣を見たのにどどどどどどうしよう──怖い、怖い)
「ルース」
ヴォルペのほうを向かされた。空いている手で顎を優しく掴まれたのだった。そしてヴォルペも、先とは違ってルースをしっかりと見つめ返していた。
「僕の指示を聞けるね?」
こく、こくと頷く。
「手を放さないこと。」
こく、こく。
「僕が言った魔法を、言った方向へ、すぐに発動させること」
こく、こく。
「体に異変があったら、すぐに言うこと」
こく、こく。
「できるね?」
「で、できます!」
「いい子だね、ルース。──ネーヴェ、シールド強化」
ネーヴェ、と言ってからの声は低かった。
そこからのルースは操り人形だった。
ヴォルペに手を引かれ、あっちへこっちへ走りに走りまくって、もはやさっきの地点からどっちに向かっているのかもどこを走っているのかわからないほど方向を失う。しかし、でたらめに走っているのではなく、大小様々、形色々な魔獣を避けながら攻撃を回避しているらしい。
とりあえず無事でいるのはわかる。
パンテーラとネーヴェはもう見えない。
「ルース、9時の方向に炎の魔法」
「は、はい!」
発動直後、ぐいん、と方向転換。
倒せたのかどうかも確認できなかったし、どんな魔獣に当たったのかもわからなかった。
強さは? このくらいでいいの? もっと?
「2時、氷。槍みたいに突く。何本も」
「ええい!」
どうやら魔獣の特性に合わせて魔法を変えさせるつもりみたいだ。ルースは従った。
「4時、炎と雷。5時、氷の槍。6時、7時に向けて風」
「炎雷! 氷──の槍! あと、あと、ええーと、えーと」
「風。竜巻みたいに」
「たつまき!」
「1時、雷」
ぐるん。方向転換。
「えー、あー、今、体の向きが変わったからー、えーと!」
「今なら4時。追加で11時に土壁」
それからいくつもの魔法と方向を立て続けに指示され、ルースは目が回り始めていた。それこそ走りまくっているからなのか、体力が大幅に削られ、三半規管が狂い始める。
走りすぎている息切れと、平衡感覚の喪失による気持ちの悪さが襲ってくる。
「ぅ゙ー、ヴォルペさーん、限界かもー!」
「魔法的に? 体力的に?」
「体力的に!」
「ならあと少し頑張ろう。手を放していいよ。──抱いてあげる」
言って、ヴォルペがルースを抱き上げた。
今度は優しい力だった。
「僕を放さないでね」
そう言った直後、おそらくルースに合わせて抑えていたのであろうスピードをヴォルペ本来の速度に戻すためか、ほんの一瞬、前傾姿勢になった。
そこからは自分が風になった。
ごおごおと駆け回っている。回避、回避、回避。
ぐるぐると回る視界。
ここはどこ? どっちに、なにがある?
「お、怒ってます? もしかしてヴォルペさん怒ってます!?」
「正面、雷。1時、土壁。9時10時、炎。3時、雷」
「がんばる゙ー! がん゙ばる゙けど、ごめ゙ん゙な゙ざぃ゙ーーー!」
「4時──」
「ぎゃあ゙ーーーー!」
パンテーラはこの日のルースを、後に捨てられる直前のボロ雑巾のようだったと語っている。




