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なにか特技があれば、と思わずにはいられない。
彼女はこれといって能力がなかった。
十個の頼まれたことがあればふたつは忘れてしまうし、できたと思っても詰めが甘いし、怒られるし、ダイエットは続かないし、化粧も面倒くさくなって続かないし、服はなにが似合うのかわからないし、いつまでも垢抜けないし、空気の読めない発言をしてしまって引きずってしまうし、後悔するし。
いつも平均点をうろうろして、親にも先生にも上司にも褒められた試しがない。
認識されない。
それが彼女の悲しみだった。
どんなに努力しても、突出しない。存在感がなく、飲み会の席にいてもいなくても、誰からも認識されずに、必要とされない。
急にいなくなっても、誰かが気づくのに時間が掛かる。
そんな空気みたいな自分が、彼女は大嫌いだった。
どうすれば、誰かに愛される特別な存在になれるのだろう。
こんな自分では無理だ──と、鏡に映る姿から目を逸らす。
心機一転、髪型を変えてみても誰も気づかないし、なんだか自分でもイマイチな気がするし、服を変えても、やはり同じだし。
明るい未来が見えない。
きっとずっと苦しいんだ、このまま。
彼女は苦しまないうえに、誰にも迷惑をかけずに死ぬ方法を考えて考えて、意識朦朧とする薬を飲んで海に飛び込むことにした。
飛び込むのにひどく勇気がいった。
目をぎゅっと瞑ってから数十分、いよいよ足に力を込めたあと、もう記憶がなかった。
ぺしぺしと頬を叩かれるまでは──。
◇◆◇◆◇◆
「ふざけんじゃないわよ、アンタ!」
ぺしぺし。
「起きなさいよ、このトンチンカン!」
べしべし。
「いつまで寝てんのよ、ボケチン! いい加減、起きなさいよ! 起きないと、ぶん殴るわよ!?」
べちん、べちん!
「い、痛い! やめ……! なに、誰ですか!?」
彼女は頬の痛みと衝撃に飛び起きて、相手と距離を取った。
そこにいたのは筋骨隆々の男性にも女性にも見える人だった。縄文時代の民族衣装のような麻布の服を着付けていて、肩や腕の筋肉の発達が見て取れる。髪は刈り上げているのかと思いきや、後頭部の一部分だけ長く伸ばしてひとつに結んでいた。
睫毛が長く、かなりくっきりとした顔立ちである。
喋り方が性別を混乱させた。
「この親不孝者!」
まだべちべちと平手打ちを降り落とそうとしてくる。彼女は両手で頭を包み込み、蹲るようにして耐えた。
「なんで死ぬのよ!」
「だ、だって……」
「“だって“もクソもないわ! 信じられない!」
「……だって……」
「言い訳しないでッ!!」
降り注ぐ平手打ちに耐えると、相手が肩で息をし始めて攻撃がやんだ。おそるおそる顔をあげると、相手は顔を真っ赤にしている。
泣くのを堪えているようだった。
ぎょっとした。
会ったこともない誰かが真剣に叱ってくれている。
(どうして……?)
彼女はぽかんと口を開けて、その表情を見つめていた。
「アタシが一番傷付くのはね、我が子が自殺することよ!」
そんなふうに両親も言ってくれたならよかったのに。
彼女は視線を落として嘆息ついた。
ふと周りを見ると、暗闇だった。
いや、光の届かない海の中だ。ゴミや、魚や、泡がたゆたっている。
そんな暗闇の中で自分達は発光しているようにくっきり見えた。
自分は失敗することなく死んだらしい。掌を見つめて、顔や身体に触れてみるけれど自覚できるほどの死を感じない。
この人は、誰なのだろう?
不思議な存在であることは間違いがなさそうだった。
相手は、まるでマスカラが落ちないように気をつける仕草で、ぐすんと涙を指先で拭いた。
びしっと彼女を人差し指でさす。
「いい? 最後のチャンスよ」
「……チャンス?」
「次の世界では常にポジティブでいること! くよくよしない、落ち込まない、引きずらない! 寝たら忘れる! 食べたら笑う! よく遊ぶ! わかった!?」
「な、なんのこと──」
「ネガティブになった瞬間、アタシの仕事を千年間、肩代わりしてもらうわ! 豪遊してやるんだから!」
「豪遊……? 肩代わりって、つまり、どういう──?」
「とんでもない罰を食らわせてやるってことよッ!!」
「え、えぇ? もっと、ちゃんと説明を──」
「ぐだぐだ喚いてないで、行ってきなッ!!!!」
べちん! と、平手で叩かれたのは背中だった。
う、と詰まった息のあと、視界がぐるりと一転する。
小さな教室にいた。