観念
あの日からちょうど1週間。
バイトに行く準備をしていると、茉央から電話がかかってきた。俺は無視して店に向かった。
いつも通り仕事をこなしながら、外の駐車場を見る。車が何台も止まっているが、店に客はいない。全て、俺を捕らえる為にやってきた車だ。
「ごめん、トイレ掃除お願いしていい?」
今日の相方は高倉くん。いつもじゃんけんで決めるトイレ掃除を、彼にお願いした。
「いいっすよ!」
高倉くんは嫌がる事なくトイレへと向かった。
1人になった俺は、携帯で茉央に電話をかけた。
「もしもし」
「いるんだろ。中に入れよ」
「分かった。」
電話が切れて直後、茉央がやってきた。
「なんで電話してくれなかったの?」
茉央は、少し怒っていた。
「電話したくなかったんだよ。」
「で、結局答えは?」
茉央は、俺に質問した。
「お前と付き合いたくもないし、結婚したくもない。警察に捕まりたくもない。」
「何それ。」
茉央は、腕組みをして不機嫌そうにこちらを見る。
「分かった。それじゃ、今から私の家に来てもらうから。」
「バイト終わりまで待ってくれよ。」
「だめ。ちゃんと『お付き合いして下さい』が言えなかった罰。」
そう言って、茉央が外に向けて合図をすると、5人ほどの男女が一斉に店内へ入ってきた。
「今すぐ帰りましょう。」
「分かった。だけどせめて、あいつがトイレ掃除終わるまで待ってくれ。」
「それぐらいならいいわ。」
茉央とその後ろにいる男女は、レジカウンターを挟んだ向かいに立ち、黙って俺をみている。
俺は、ついにこの時がきたと観念し、高倉くんが戻ってくるのをただ待った。
「どうしたんですか!?」
トイレ掃除を終えて戻ってきた高倉くんが、レジ前の人だかりを見て俺に聞いてきた。
「ごめん。俺、今日でバイト辞めるわ。」
「えっ」
「というか、今から店を出ないといけない。ワンオペになっちゃうけど、ごめん。」
「どっ どういうことですか。」
「今から私の家に来てもらうことになったの。急でごめんなさい。」
「えっ 和田さんの元カノさん?」
高倉くんは、状況を飲み込めていない。
俺は、そんな高倉くんをよそに、茉央に質問した。
「俺の家の解約とかどうすんの。」
「そんなの、家の者にさせるから心配しないで。」
「そっか。ついでに、俺の代わりにバイト入れる人も用意してくれない?」
「用意する。」
「助かるわ。深夜に入れる人ね。」
「そもそも、和田さんが辞めるって、店長は知ってるんですか?」
「店長には伝えてる。」
「そ… そうですか……」
店長に辞める旨を伝えた時、怒られるかと思ったら、『お願いだから残って』と嘆願されてしまった。
代わりのバイトが入ってくれるなら、迷惑をかける店長への、せめてものお詫びになるだろう。
「そろそろ良い?」
「もう?」
「今すぐ連れて帰りたいんだけど。」
「制服のまま出るのはマズイだろ。せめて着替えさせてくれ。」
俺が着替えを要求すると、茉央はため息をついて許可した。
着替えが済んで従業員室の扉を開けると、目の前に茉央が立っていた。
「さあ、行きましょう。」
「待って。最後にもう1つだけ。」
俺はレジに向かい、高倉くんの前に立った。
「俺の車、良かったらあげる。」
「えっ そんな……」
「もう乗らないからさ。自分の車欲しいって言ってたじゃん。」
俺は、車の鍵を高倉くんに渡した。
俺の済ませたかった事は全て終わった。後は、茉央に連行されるだけだ。
「じゃあ、後は頼むな。」
「和田さん!!」
「じゃーな!」
俺は、集団に囲まれながら店を出た。
1週間前に座った、高級ミニバンの同じ席に座らされた。
「最後までお店やバイト仲間思いなところ、大好き。」
隣に座る茉央は、そう言って抱きついてきた。使用人に出させたシャンパンを、お祝いとか言って飲んで、既に酔っぱらってる。
「電話してこないから凄い腹たったけど、あんなの見たら見直しちゃった。車の名義もちゃんと変更しておくから心配しないでね。」
茉央は上機嫌だった。
「そうだ!結婚式のときはあの子呼ぼうよ!祝福してくれるかな〜」
バイト仲間を連れ去った女との結婚を、果たして喜んでくれるだろうか。
「そうだな。」
しかし、もしその時は高倉くんにも参列してほしいと思った。珍しく、茉央と意見が一致した。
「ねぇ、もっと飲んでよ。」
茉央が、俺のシャンパングラスを見て言った。
「まだ家までだいぶ距離あるし、一緒に飲んで楽しも?」
シャンパンを飲んで楽しむ気分にはならないが、ヤケ酒をあおりたくなった。
俺は、シャンパングラスを持ち、一気に飲み干した。
「すごーい!」
俺の飲みっぷりに茉央は拍手をした。
「さぁ!いっぱい飲んで!」
茉央は、さらに酒を飲むように勧めてきた。
目的地の東京まで、まだ数百キロは離れていた。