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大熊の祠

作者: 小雨川蛙

 

 ある山の中にある村の外れに簡素な造りの祠があった。

 それは所謂、悪神を祀る祠であり、人々は皆、昔からそれを恐れて暮らしていた。

 悪神は村人の夢に現れては言う。

『肉を寄越せ。人間の肉を』

 それ故に村人達は自分の体をそぎ落として祠に贄として捧げていた。

 始めは指を。

 次には腕を。

 さらには足を。

 そして、四肢をもがれた人間を。

 少しずつ、丁寧にそぎ落として、少しでも犠牲を少なくするようにして贄として捧げ続けた。

 無論、長い歴史の中で人々はこの祠をどうにかしようとしたこともある。

 祠を強引に取り壊そうとした時には近づいた者達の身体は皆、見たこともない毒々しい紫色の傷が全身に出来て、その直後に叫び声をあげながら死んでしまった。

 ならばと、巫女を呼んで祠の悪神を払おうとした時には、彼女は発狂して自ら喉に刃を突き立てて自身が画いた結界の外に出てもがき苦しんだ後に、やはり毒々しい紫色の傷が全身に走り死んでしまった。

 最早、どうしようもない。

 だからこそ、人々は諦めて生け贄を捧げるしかなかったのである。


 ある冬の日。

 一人の勇気ある青年が言った。

「もう悪神に支配されるのはこりごりだ! 俺があれを破壊してくれる!」

 それを見た村の長は叫んで青年の前に立ち塞がった。

「ふざけんじゃねえ! やめろ! そんなことをするな!」

 しかし、青年は村の長を思い切り突き飛ばすと、周りが止めるのも聞かず彼は弓矢を持って祠を破壊しに向かった。

 誰もが恐ろしくて彼を追うことが出来なかった。

 その夜、人々の夢の中に悪神が現れて全身血だらけで、まるで獣の牙や爪に引き裂かれたような傷を負った青年が悲鳴をあげながら祠にしがみつく光景を見せつけてきた。

『何故、このようなことをした!』

 悪神は恐ろしい声をあげて村人達を怒鳴りつける。

『今すぐに皆、ここへ来い! 今すぐにだ!』

 悪神の叫びに人々は飛び起きて、月星と自分達の持つ松明が世界を照らす雪原で凍えながらも、皆で固まり祠へと向かった。


 祠が見えて来た。

 辺りに散乱する夥しい血に女子供は勿論、男達でさえ悲鳴をあげ、嘔吐する中で、それでも皆で祠へと近づく。

 そして。

「なっ!」

「あの大馬鹿野郎……!!」

 村人達が絶望の声をあげる。

 なんと祠は完全に破壊されていたのだ。

 人々は悲鳴をあげながら、一晩中その場で必死に悪神に赦しを請い続けたが、悪神が何か言葉を返すことも、何かすることもなかった。


 やがて、夜があける。

 幾人もの人間が凍える中で村の長が陽光に照らされた雪原を見てあるものを発見した。

「おい。見ろ、これを」

 その言葉を聞いた人々が顔を上げてそちらを見ると、そこには熊の毛が散乱していた。

「なんで、熊の毛なんか……」

 そう疑問に思う者達の中、村の長が振り返り人々に言った。

「女子供と死にそうな奴らは皆、村へ戻れ。他は俺と一緒に来い。アイツの死体を探そう」

「しかし、村長。悪神様の祠が……」

 その言葉に村の長は顔を青くしながら一度唾を飲みこむ。

 村の長が今も恐怖の中に居るのは明らかだったが、それでも彼は絞り出すような声で言った。

「いいから俺の言う通りにしろ」


 それから、数日が経った。

 悪神は村人たちの夢に現れなくなり、それを人々はまた不気味に思っていた。

 村人の多くが今の内に祠を直すべきだと主張したが、村長はそれを許さずに相変わらず震えた声ではあったが、それでも力強く男連中に指示を出していた。

「いいから、俺と一緒にアイツを探すぞ」


 そして、それからさらに三日後。

 村長達は遂にそれを見つけた。

「やっぱりな」

 そこには巨大な熊が全身に毒々しい紫色の傷を負ったまま絶命していた。

「冬眠に失敗した熊……穴持たずですかぃ?」

「あるいはアイツに起こされたのかもしれねえ」

 村長はそう言うと恐る恐る大熊の死骸に近づいてその傷を調べる。

 大熊に出来た傷は二種類あった。

 一つは傍から見ても分かるほどに大きい毒々しい紫色の傷跡。

 村長を始め、村の者が皆、この異形の傷がどのようにして出来るのかを知っていた。

 そして、もう一つは彼らも良く知る狩りで使う弓矢で出来た傷。

「まさか……」

 村長の予想していることを悟った村人達は皆が各々、大熊とその周辺を調べ始める。

 やがて、大熊の爪や牙にあの勇気ある青年の皮膚や肉が付着していることを発見した。

 そして、さらに辺りを調べた結果、半身をもがれて絶命している青年自身の死体を発見した。

 村人達は大熊と青年の死体を丁寧に並べて事の顛末を知る。

 そう。

 つまり、青年は自分ではなく大熊に祠を壊させたのだ。

 冬眠に失敗して徘徊していたか、あるいは巣で眠る大熊を矢で攻撃して、必死に祠に向かい逃げて、そして、祠に死んでもしがみ続けることで大熊の爪と牙で祠を完全に破壊させたのだ。

 皆は大熊と青年の死体を見つめ、しばしの間無言だった。

 やがて、村長が沈黙を破る。

「帰るぞ。こいつらを持って」

 皆は無言のまま頷いた。


 その後、村で青年は荼毘に付せられた。

 かなりの欠損こそあったものの、村ではほとんど初めての人間らしい葬式だった。

 なにせ、今までは生者は勿論、死者さえも悪神に捧げられていたのだから。

 そして、大熊の方は村の者は総出で可能な限り身体の傷を綺麗にしてやった。

 何故なら、この大熊は人間に利用された哀れな生き物であるから。

「あんたには悪いがよう」

 熊に……それも、死体に話しかけていたのに、それでも村長の言葉を厳かに響いた。

「あんたのおかげで俺達は助かったんだ。本当に、ありがとうな」

 そう言って、村人は皆で大熊を葬り、そして祠を造った。

 経緯はどうあれ、この大熊によって人々は救われたのだから。


 今日ではその祠は悪神から人々を守った偉大なる山の神の祠として誰もが知る観光の名所となっている。

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