夜の語り合い
美味しそうな匂いを漂わせて、煙が天井へと昇っていく。
いつぶりだろうか、誰かと食事を共にするのは。
僕は、パチパチと音を立てて小さく燃える炎に手を当てて、チラリと彼女をみた。
彼女の名前はキトという。鮮やかな赤髪が首の辺りで無造作に切られており、白い肌にもところどころ煤や泥がついている。腕で顔を拭うたびに、少しずつ汚れていった。
「……っあ」
「え……」
彼女がビー玉のような緑色の目で僕のことを見つめるまで、僕は自分のしたことに気が付かなかった。
僕は、咄嗟に手を引っ込め、手についた汚れを軽く服で拭いた。キトは僕に触られた頬を、自分でなぞった。
「ご、ごめん。汚れがついてたからつい……」
思わず触れてしまったことを悔やみながら、僕は顔を上げた。キトはきょとんとした顔のまま固まっている。鍋がぐつぐつと音を立てた。
外の空はすっかり、暗くなった。キトに連れられてやってきたのは、建物の中だった。とはいってもドアや壁などほとんどなく、外と中が一体になったような空間だ。机が無造作に組まれ、人が数人滞在できるような居場所となっているだけだ。ブラックホールが大きな音を立てるたびに、砂埃が舞う様子がこちらからも見えた。
「……妹がいたんだ。……まだ、9歳だった。僕が…ーー」
沈黙に耐えかねて話し出した僕の言葉に、キトは被せるように言った。
「魔法兵士なんでしょ」
懐かしい響きの言葉を言われ、僕は言葉に詰まる。キトは鍋をひとつかきまわし、顎でクイっと僕を差した。
「その服装。見覚えあるの」といってキトは肩をすくめた。
「話の続きは、ご飯ができてからでもいい? こうみえて、私も久しぶりに話し相手ができて嬉しいの」
「もちろん」
僕が頷くと、キトは優しく微笑んだ。
僕の手の中には、お椀が収まっている。ちょうど良い大きさだ。キトのお椀よりも一回り大きい。
鍋で調理された食事は温かく、喉を潤した。キトは16歳だという。僕よりも一つ下だ。
「僕は、父と母と妹の4人家族だった」
僕の出身は、ここよりもずっと西の方にある。父のジョーナンは、農夫で、僕の家族を支える大黒柱だった。母のエリザは、いつも家族を支えてくれる優しい存在だった。それに、妹のミリアヌ。いつも僕の後ろをついてくるやつで、明るく活発的だった。
「農業で営んでいたから、町では有名な方だった。何かあったら町民の人が僕の家にやってきて、頼りにしてきたんだ。………まあ、中には、面倒くさいことを頼んでくる人もいたけど、父さんも母さんも優しいから、嫌な顔ひとつせず請け負うんだ」
「優しいのね、あなたの家族は」
「まあ。それが僕の家族の誇りだったからね」と僕は微笑む。
「農業ってどんなことをやるの? もしかして羊とかいるの?」
「う、うん。羊も馬も牛もいたよ。畑で食べ物も栽培していたから、食材もほぼ自分たちで育ててたかな」
僕の国では、天気が荒れる日が度々やってきた。その度に作戦を練って、できるだけ食べ物への被害を最小に収めようとするが、いつも成功しなかった。
「なんで?」
「妹が色々やっちゃうんだよ。あいつ、イタズラ好きだから、僕らが困るのが楽しいんだ。大雨降った日には嬉しそうに濡れてはしゃいでた」
「うえ。まじか。妹さんちょっと人格に問題あるんじゃない?」
「うん。……でも、今考えると、僕はその妹の笑顔にいつも救われていたんだ。あいつが、僕らの家族に幸せな時間を増やしてくれていた」
決して、笑顔が素敵とは言えない妹のぎこちない笑みが今でも思い出される。歯並びが悪いせいか、笑ってみると、いつも上の唇の端に尖った歯が見えた。目元がくしゃりとしぼみ、「みてみて、ルー」と僕の名を呼んだ。
僕は一口、ご飯を飲み込んだ。
「実は、農業出身の魔法学生なんて、あまりいないんだ」
僕の家族には、魔法を持って生まれた者がいない。父も母も妹も無属性の人間だった。だから、僕に魔法の力があると知った時は、泣いて喜んだ。
でも実際には、そんな喜ばしいものでもなかった。
「僕は、すぐに魔法学校に入れさせられたけど、学校じゃうまくかなかったんだ」
「才能なかったってこと?」とキトは聞いてくる。僕は首を横に振った。
「その逆。自分でも言うのは気がひけるけど、才能がありすぎて周りと上手く馴染めなかった」
ましては、農業出身のド庶民だ。
「学校はすぐにやめたよ。僕には向いてなかったんだ。学校へ行かなくたって生活には困らないし、僕はのびのびとした家で農業をしているのが楽しかったんだ。でも、戦争が始まって………」
「兵士にかり出されたのね」
僕は頷く。
「どうしようもなかった。国は戦力のためになら手段を選ばないって聞いてたから、僕が兵士になるのを拒めば、家族に何かあると思った。だから僕は、兵士になった。最初は訓練所に入れられて、すぐに戦場へ出た」
魔法が飛び交う戦場で聞こえる人々の悲鳴や叫び声。苦痛に、怯える声。どこかで爆発音が聞こえたと思ったら、破片が宙を舞っている。どの戦場でもあっという間にモノが壊れ、世界が歪んでいった。魔法による暴力に、大義などない。そうわかっていたはずなのに、僕もいつの間にか戦場の魔物に心を蝕まれた。
仲間は、日に日に減っていった。チームの数が減り、無線を握っても返ってくる声が無くなっていく。道端に倒れた仲間たち。制服には血がこびりつき、もはや敵か味方かなど区別もつかない。
巻き込まれていく一般人など、目にもくれずまた1日1日戦争が続く。
「何のためにとか、そんなこと考えている暇もなかった。とにかく生き延びなきゃって……。それしか考えられなかった」
それから、何日も過ぎて、空にはブラックホールが浮かんだ。それが終焉の合図だった。人々は争うことをやめ、大きくなっていくブラックホールをみて、全てを察した。
一体自分たちは、何をしていたのだろうか、と。
「気がついた時には、何もかも遅かったんだ。僕たちは。……まさか、僕がこんなありきたりな言葉を言う日が来るとは思わなかったけど、それが事実だ」
手の内に収まっていたお椀もいつの間にか、すっかり冷えていた。
僕が戦場から退いたのは、数週間前のことだが、今でも鮮明に覚えている記憶は脳みそや骨の髄までこびりついている。きっとこれから先も剥がれることはない。僕は、自分のしたことを忘れてはいけない。何人の命を奪ってきたか、忘れてはいけないのだ。
スッと僕のての中からお椀が取られた。横を向くと、キトが無言でお椀の中に暖かいご飯を注いでいた。そして再び、僕の手のひらにお椀を置く。また、ビー玉のような目で僕のことを見る。食えと言ってる顔だ。
「僕は元兵士だ。キトは僕のことが憎くないのか?」
こんなことを聞くのも、本当は怖い。でも、聞かない方がもっと怖い。いっそのこと、殺してもらった方が楽なのかもしれない。全てを償えるのなら、この命など、手放してしまった方が……。
「その質問には答えたくない」とキトはキッパリと答えた。
「あなたが憎いとか、戦争がどうとか、私にはもうどうでもいいの。だって、考えてみなよ。世界はあと4日しかないんだよ?今日が終われば、あと3日。3日で全ての生命が絶たれるの。そんな中で、誰かを恨んだってしょうがないじゃない。後悔したって、もう何にもならないんだから」
正論だ。
「だったら、あと3日間思う存分生きた方が、私は楽しいと思うの。何もかも概念が壊れたこの今だからこそできることを私はしたい。私、お付き合いとかしたことないし、男の子と触れ合ったこともない。ましては、外にも出たことなかった。世界を全然知らなかった。だから、私は今を生きたい。過去とか、そんなのどうでもいい」
キトは少しだけ言葉に詰まりながら、思いを話した。
確かに彼女の言う通りだ。後悔など、今しても意味がない。でもだからと言って、僕は自分のしてきたことを忘れることはできない。
「……キト」
「なに?」
「よかったら、僕と旅をしてくれないか? 君となら、生きてみようって気がするんだ」
僕は彼女の目をまっすぐみて思いを伝えた。キトは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑った。
「いいよ。私もちょうど、お供が欲しって思ってたんだ」
「お供って……。まあ、いいや。これからよろしく」
僕がそっと手を差し出すと、キトも僕の手を握った。