第8話 私を処刑した伯爵
夜も更けてきた頃、私が過去の王国の財政資料をチェックしていると、執務室の扉がノックされた。私がエリーを通じて入室の許可を出すと、一人の男性が部屋に駆け込むように入ってきた。
その男性は、息を切らしながら深く頭を下げる。私は机にペンを置くと、男性に声を掛けた。
「ウェルズリー伯。自領へ戻る途中で王都に呼び戻してしまい、申し訳ありませんでした。顔を上げてください」
王宮内を全速力で走ってきたのだろう。ウェルズリー伯は荒い息遣いを必死に隠しながら、顔を上げて私を見た。
「いいえ、全く問題ございません。親愛なる女王陛下のためでしたら、どこにでも馳せ参じる所存でございます」
ローゼンハイム王国では、国王の命令は絶対だ。
私はウェルズリー伯に謝りはしたが、彼には王都に戻ってくる以外の選択肢はない。もし私の命令を拒否したことが周囲に知られれば、待っているのは上級貴族による裁判と処刑だ。
「……それで、昨日の戴冠式で、私に何か落ち度がございましたでしょうか?」
ウェルズリー伯の額から、汗が流れ落ちて頬を伝う。しかし、彼には、その汗をハンカチで拭う余裕は無いようだ。「自分は今夜、奇天烈な女王に処刑されるかもしれない」と覚悟せざるを得ない状況であれば、それも仕方ないだろう。
──国王に処刑の権利があると言っても、私ってそんなに怖いのかしら……。エリーもずっと怯えていたし……。お父様もそうだったのかな?
私は軽く溜息を吐きつつ、眉尻を下げて、ウェルズリー伯に笑顔を向ける。
「いえいえ、何もありませんよ。こちらこそ、ご足労いただき、ありがとうございます。まあ、立ち話もなんですから、どうぞお座りください」
私が発した言葉に、ウェルズリー伯は目を丸くした。資料室でのエリーのように、私のお礼の言葉に驚いているのだろう。
私は席を立つと、驚いた表情のウェルズリー伯をソファに案内する。そして、専属侍女になったばかりのエリーに、二人分のお茶を用意するように伝えた。
私が調べたところでは、ウェルズリー伯は今の私よりも二十数歳ほど年上の四十代半ばだ。身なりは貴族らしく綺麗に整えられているが、顔にはいささかの疲れが見て取れる。
辺境に位置するウェルズリー伯爵領は、貧しくはないが豊かでもない。貴族とは言えど、ウェルズリー伯が領地経営で苦労しているのが、その表情から感じられた。前世の革命時には堂々と見えたその風貌が、心なしか今は弱々しく見えた。
私とウェルズリー伯の前に紅茶が置かれた後、私はエリーが毒味役としてポットのお茶を一口飲むのを確認して、ウェルズリー伯に紅茶を勧める。
そして、私自身も紅茶を一口飲み終えると、ウェルズリー伯を見て口を開いた。
「さて、ウェルズリー伯。突然ですが、あなたのご子息について教えてください」
ウェルズリー伯は紅茶のカップを持ったまま咽るように何度か咳をすると、そのカップを慌ててテーブルに戻して、ソファに座ったまま深く頭を下げた。
「しっ……失礼いたしました!! それよりも、まさか、私の愚息が女王陛下のお気に障るようなことをいたしましたでしょうか!? もしそうであれば、どうか寛大なご処置をお願いいたします!! 私が身代わりとなり、処刑されても構いません!!」
ウェルズリー伯の必死の懇願に、私はこめかみに指を当てて、大きく溜息を吐いた。
「はぁ……。そういう話ではありません。……というか、結構ショックなのですけど、私はそんなに怖くて短気に見えるのでしょうか? 大悪党でもない限り、私はそんなに簡単に人を処刑しませんよ。もっと気楽に接して下さい」
前世では、私に近寄る人間は上級貴族ぐらいしかいなかったが、もしかすると、私が安易に処刑を命令する女王だと思われていたのかもしれない。……とっても心外だ。
私が不満気な表情をしていると、ウェルズリー伯は私を窺うようにして、ゆっくりと顔を上げた。
「……そうではないとすると、私のような中級貴族の息子に、どのようなご用向きでございましょうか?」
私はウェルズリー伯の目をじっと見つめる。
「ウェルズリー伯のご子息は、財務省で官吏をしているのですよね?」
ウェルズリー伯は眉間に皺を寄せて、私がその情報を持っていることを訝しみつつ、軽く頷いた。
「おっしゃる通り、私の息子ギルバートは貴族学園を修了してすぐに、伯爵家の当主になる前の修行として王国政府に奉公しております」
私はその言葉を確認すると、ウェルズリー伯に笑みを向けた。
「それでは、明日、ギルバートをここに連れて来て下さい。色々とお聞きしたい事があります」
ウェルズリー伯は再び目を丸くして、叫ぶように声を出した。
「あっ……明日でございますかっ!?」
ウェルズリー伯は今日、何度驚いた表情を浮かべただろうか。私はその滑稽さに、思わず笑ってしまった。
私は急いで口元を手で押さえながら、ウェルズリー伯に謝罪した。
「ふふっ、失礼いたしました。……でも、財務省の官吏は王都で働いているのですから、明日ここに来るのは、それほど難しくないでしょう?」
私は無茶を言っていることを自覚しつつ、敢えて首を傾げてワガママ女王を演じる。
すると、ウェルズリー伯は眉尻を下げて、困った表情を浮かべた。通常、中級貴族が女王に謁見するのは一大事だ。今夜のウェルズリー伯は急な呼出しであったため準備不足でも問題無いが、彼の息子の話となると懸念があるのだろう。
私はそれを想像し、言葉を付け加えた。
「明日は私への『謁見』ではありません。ただの会議です。なんなら、私服で来ていただいても問題ないですよ」
「いっ……いえ、そういう訳には……」
ウェルズリー伯は受け入れを渋る。こういう時、私の女王という地位は面倒くさい。私はウェルズリー伯の説得を行うため、少しだけ理由を話すことにした。
「実は、私は現在の王国の財務状況を知りたいのです。そこで、財務省内で働いている方に直接話を伺いたいのですが、私には伝手がありません。そんな時、ウェルズリー伯のご子息が財務省にいらっしゃるという話を耳にしました。ですから是非、ウェルズリー伯のご子息に、ここに来ていただきたいのです」
私が説明を付け加えると、ウェルズリー伯はその理由に驚きつつ、疑問を口にした。
「……女王陛下。恐れながら、王国の財務状況であれば、宰相閣下や財務尚書閣下に直接訊かれる方が良いと存じます。財務省の一官吏が知り得る情報は限られておりますし、ギルバートの話に間違いがある可能性も……」
案の定、ウェルズリー伯は私の依頼を遠回しに断ってきた。想定済のその言葉に、私は首を左右に振った。
「ダメです。詳細を話すことはできませんが、これは内密に行わなければならない調査なのです。特に、宰相や財務尚書に知られるわけにはまいりません。それから、内容に多少の間違いがあっても構いません」
ウェルズリー伯は顎に手を当てて少し考え込んだ後、私の依頼を了承した。
「そうですか……。承知いたしました。では、明日必ず、ギルバートをここに連れてまいります」
私は軽く頷くと、そのまま話を続ける。
「ところで、話は変わるのですが、ウェルズリー伯には仲の良い貴族はいらっしゃいますか?」
ウェルズリー伯は、再び怪訝な表情を浮かべつつ、私の問いに答えた。
「……はい。私は辺境の貴族ですから、私と同様に辺境の領地を持つ方々と懇意にしております」
前世において、ウェルズリー伯がいつ革命の同志と出会ったのかは不明だが、どうやら既に親交があるようだ。私はフェルナー伯爵、タウンゼント伯爵、ブルーネワルト子爵の顔を思い浮かべた。
現時点の彼らの戦力は不明ではあるものの、六年後の革命の状況を考えると、実力を伴う有力な貴族に成長していくのは間違いない。もし四人を味方にできれば、現在の国王派の貴族達を含め、叔父であるグレンヴィル公爵に対抗できる勢力となるかもしれない。
私の質問の真意を測りかねているウェルズリー伯に、私は続けて問い掛けた。
「もしよろしければ、その方々のお名前を教えて頂けますか?」
ウェルズリー伯は、私が想定した通りの三人の名前を挙げる。私は嬉しさのあまり、思わず顔が綻んだ。
「よしっ!! 前と同じ!!」(小声)
私が思わず腰のあたりで小さくガッツポーズをすると、ウェルズリー伯が首を傾げた。
「……あの、女王陛下? どうかなさいましたか?」
「あっ、いや、こちらの話です。気にしないで下さい」
私は誤魔化すように苦笑いしつつ、慌ててソファから立ち上がった。そして、私自ら、ウェルズリー伯を部屋の出口まで案内する。
「それでは、明日、よろしくお願いしますね。ギルバートには色々と話を聞くと思いますので、少し長めに時間が取れる昼食後にいらしてください」
そして、私は軽く頭を下げる。
「今日は突然呼び戻してしまい、申し訳ありませんでした。すぐにウェルズリー伯の部屋を用意させます。もう既に遅い時間ではありますが、王宮内でゆっくりと過ごして下さい」
私が過去世のサラリーマン時代のような口調で話すと、ウェルズリー伯が感心するように軽く息を吐いた。そして、私に頭を下げる。
「中級貴族の私ごときに過分なご対応をいただき、誠にありがとうございます」
ウェルズリー伯は顔を上げると、私を見て微笑んだ。
「……大変失礼なことを申し上げるかもしれませんが、女王陛下はお美しいだけではなく、とても親しみの持てるお方ですね。私は、己の不明を恥じねばなりません」
私はウェルズリー伯から意外なことを言われ、思わず目を見開いた。
「正直なところ、私は戴冠式で女王陛下から声を掛けていただいた際、全く反対の印象を持っておりました。陛下から頂いたお言葉に強圧的なものを感じ、私のこの先の命は短いものと思っておりました」
戴冠式の時、私はまだ園田詩織としての過去世を思い出していなかった。そのため、周囲の助力にも気付いておらず、とても傲慢だったのかもしれない。
私はウェルズリー伯の話を聞いて苦笑した。
「確かに、戴冠式の私は少々強圧的だったかもしれません。ウェルズリー伯にはご心配をお掛けしました。……ですが、今の私はこのような可愛らしいただの女王です。もうご安心いただいて大丈夫ですよ」
ウェルズリー伯は私の冗談を受けて笑みを浮かべると、手を胸に当てて頭を少し下げ、敬礼のポーズを取った。
「……女王陛下。くれぐれも周囲には十分にお気をつけください。私が言うのも変な話ではございますが、貴族社会は、魑魅魍魎が跋扈する闇の世界にございます。私の貴族としての経験から申し上げますと、女王陛下は、王族としては人が良すぎるようにお見受けいたします」
前世の私の弱点を的確に突いたウェルズリー伯の言葉に、私は思わず息を呑んだ。
私はウェルズリー伯から視線を外すと、寂し気に俯く。
「……もちろん、貴族社会がそういうものあることは心得ているつもりです。私も伊達に、今まで王女をしていたわけではありません」
私はそう言いつつも、知らず知らずのうちに上級貴族達に騙されていた前世の日々を思い出した。お腹のあたりに、怒りと悔しさが湧き出してくるが、拳を握って必死に堪える。
しばらくの沈黙の後、私は顔を上げると、ウェルズリー伯を見て微笑んだ。
「……あなたはどうなのですか? あなたも妖怪の類なのですか?」
私がそう言うと、ウェルズリー伯は顔を上げて苦笑した。
「貴族社会においては、私も妖怪の類であることは間違いありません。……ですが、私は領民のために働き、領民を守る妖怪でありたいと思っています。必要であれば、命を賭して、女王陛下とも戦います。それが、領地を持つ貴族としての私の使命です」
ウェルズリー伯の言葉に、私は両肩を少しだけ上げて軽く微笑んだ。
「それは素晴らしい心意気です。でも、私はウェルズリー伯とは戦いたくありませんので、私も王国と国民を守る妖怪を目指すとしましょう」
私はそう答えつつ、言葉の端々に感じるウェルズリー伯の為人に惹かれ始めていた。過去世と前世、二つの人生の記憶を持つ私の魂が、ウェルズリー伯は信用できる人間だと判断していた。
──私を処刑したこの人に、ローゼンハイム王国を救ってもらうしかない……。
私はそれまでの笑みを消すと、ウェルズリー伯に一歩近づく。そして、軽く頭を下げると、右手を差し出した。
「ウェルズリー伯。どうか私を助けてください。私は無力なのです。私は名ばかりの女王で、上級貴族達の策謀の中では何もできません。この王国を救うために、あなたの力が必要です」
ウェルズリー伯は意外なことを言われたように驚くと、すぐに首を左右に振った。
「……女王陛下。大して交流のない臣下に、軽々しく弱音を吐いてはいけません。今の女王陛下の言葉で、私は陛下が上級貴族と対立していることを知りました。私が他の貴族達と陰謀を企て、陛下を陥れるために動き、王国を乗っ取ろうとしたらどうするのですか?」
私は前世の裁判の時のようにウェルズリー伯に叱られて、思わずションボリとしてしまう。
「ごめんなさい……」
「謝罪も安易にしてはいけません。女王陛下は戴冠式の時のように、威風堂々としているべきです」
私が元気なく俯いて、助力を求める右手を下げようとすると、ウェルズリー伯は急いで私の右手を握り返してきた。
「……女王陛下は本当に純粋なお方ですね。ですが、僭越ながら、陛下はまだまだお若いようです。普通の王族であれば、格下には『協力のお願い』ではなく、『協力を命令』したことでしょう。……ましてや、今の私の失礼な発言を受けて、歴代の国王なら私に処罰を下していたかもしれません」
その言葉に、私はハッとして顔を上げた。
「もともと私は、女王陛下のために身を粉にして働く所存でございました。私めでよろしければ、是非、女王陛下の目指すところに協力させてください」
優しく笑うウェルズリー伯に、私は満面の笑みを返す。
「ありがとうございます! どうか、若輩者の私に色々と教えてください!」
私の言葉に、ウェルズリー伯は気が抜けたような表情で軽く笑った。
「先程も申し上げた通り、女王陛下はもっと威厳を持って偉そうにしてください。陛下から見て、私はずっと格下なのですよ」
私がつい「ごめんなさい」と二度目の謝罪をすると、ウェルズリー伯はまるで自分の娘を見るかのように、穏やかな笑みを見せた。




